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 まだ午後七時だというのに、駅の西口は人通りがまばらだ。

 今日からは待ちに待った大型連休が始まるというのに、反対側に比べて盛り上がりが欠けている。人口規模二十万人程度のこの町では仕方がないことなのかもしれない。駅ビルと電車の音が町の喧噪の一切を遮り、孤独を感じさせてくれる。

 彼は駅に入るでもなく、居酒屋に入るでもなく、備え付けの喫煙室で煙を味わっている。

 どうにも扉の立て付けが悪く、出入りする者にちょっとしたストレスを与える。さらに入ってくる者は怪訝そうに彼を見つめる。スーツを身に纏う意サラリーマンも、銀色のネックレスとピアスを付けたチャラチャラした男も、誰彼構わずだ。性別も年齢も関係はない。


 今日は昼間から太陽が顔を覗かせることはなく、一日中どんよりとした天気であった。鼠色の雲は何時にも増して低く見えた。雨が降らなかったことが不幸中の幸いであろう。もし真夏であれば、じめっとした生暖かい空気が肌に纏わりついていたに違いない。あの気持ち悪さはなんと表現すればいいか。


 そんなくだらないことを考えながら深く煙を吸い込む。皮肉なことに、煙が肺を満たせば満たすほど、自分の空虚さがひと際、輝きを増してくる。


「あんた何やってんの」


 どうやら彼の待ち人が喫煙室を訪れたようだ。

 上手く開かない扉を無理やりこじ開けて、彼女はそんなことを言う。

 茶色に染められた長い髪は、真っ直ぐと彼女の腰を目指し、礼儀正しく伸びている。襟元に刺繡が入った長袖のブラウスに袖を通し、黒のロングスカートに足元は厚底の白いスニーカー。左手には小さな鞄が握られ、袖口からはピンク糸の時計が見え隠れしている。

 絵にかいたような綺麗な大学生そのものだ。彼女のような人こそ、賑わっているであろう東口がお似合いだ。寂れたこちら側に立ち寄るべきではない。もはや町のほうが不相応とすら感じてしまう。


「見て分かんない?」


 彼は肩を竦めながら、自分の姿を彼女によく見せる。袖から覗かせる腕は、すっかり白くなってしまっている。


「私、分かってることは聞かないって、涼宮なら知ってるはずでしょ」

「それもそうだね。侑李たちはもう店の前いるらしいから、歩きながらでいい?待たせるのも悪いし」


 涼宮と呼ばれた彼は、煙草を灰皿に捨てることなく喫煙室から出る。そもそも、彼は煙草なんて持っていない。どちらかといえば、煙草は嫌いだ。どうしてもその存在を受け入れられない。にもかかわらず、彼女を待っている間、喫煙室に籠り続けた。何故そうしていたかと聞かれたら、彼自身にも分からない。そういう気分だったと言われたら違うような気もするし、喫煙者の気分を味わいたかったと言われても違うような気がする。

 ただ、この後、久しぶりに学生時代の友達と会うことが億劫であることは間違いない。


 歩きながら彼女に説明しても、理解は得られず、変な目で見られるだけだ。

 彼女は学生の頃から姿形は変われど、何も変わらず彼女のまま成長しているのだと短い会話から、ひしひしと感じる。嬉しく思う反面、こういうところが嫌いだったと再認識させられる。

 人の美点を疎ましく思うなどと、人間関係が全てであるこの社会に不適合にもほどがある。


「涼宮もなーんにも変わってなくて安心した」


 不意打ちの一言に心臓が跳ねる。

 学生時代、お互いの胸の内を見せてぶつかったことなど、片手で数える程度しかなかったと記憶している。それだけで彼女のすべてを理解した訳では無いが、まさか彼女にそんなことを言われるとは思いもしなかった。


『変わってなくて安心した』という言葉をもう一度だけ、頭の中で巡らせる。

 変わらないままの自分でいられているのか、それとも。


 何か言った、と彼女は聞き返してくる。

 涼宮は何でもないよ、と首を横に振る。


 始まりは侑李からの連絡が来たことだ。

 涼宮と侑李の関係は中学校まで遡る。中学二年生の時に初めて同じクラスなった時から高校卒業までの五年間同じ教室で過ごしてきた。俗にいう親友というやつだろう。若しくは腐れ縁とも。

 涼宮は隣県の専門学生として、侑李は関東の有名大学へと進路を進んだ。初めは連絡も取り合ってはいたが、物理的な距離は次第に二人の距離を遠ざけていった。それぞれの道に進んでから四年目の春、今まで音沙汰がなかった親友から連絡が飛んできた。


『今度のゴールデンウィークにそっちに帰るから久しぶりにご飯でも行こうよ。とか仲良かったメンツも誘ってさ』


 こんな感じの誘い方だっただろうか。一ヶ月も前のことだから、記憶がおぼろげだ。

 幸か不幸か断る理由を持ち合わせなかった涼宮は、侑李の誘いを快諾するほか道は残されていなかった。とは感じつつも、久しぶりの親友からの連絡は嬉しくない訳がない。たとえ、連絡を取り合うのが久しぶりとはいえ、彼らは確かに親友だったのだから。


 ではなぜ、現在進行形で億劫になっているかは明白とは言い難い。前日までは楽しみにしていても、いざ当日になると憂鬱になってしまうアレだ。人間の性というのか、涼宮という人間の性というのか。しかしながら、侑李は親友であるから涼宮との付き合い方を熟知している。彼が何をすれば嫌がり、苦手とするのかを理解し尽している。それだけで侑李という人間の優秀さが分かるだろう。

 今回に関して言えば、彼女、香織が涼宮の隣にいることで彼の逃げ場を無くしているという訳だ。


「それにしても久しぶりね。今は何やってんの?」

「そういう事を話すために侑李が声かけたんでしょ。皆と集まってからでも遅くないでしょ?」


 何やってんの、と聞かれるのは早くも二度目だ。気になることをすぐに聞く香りの性格はどうにも改善されていないらしい。


 歩き始めてからおよそ十分弱。駅から離れるほどに人気が無くなる。駅前通りから右に逸れ、少しだけ細い道へと足を進める。

 互いに話を切り出す素振りなど見せず、ただ無言で目的地を目指す。二人っきりの無言ほど居心地の悪いことこの上ないが、涼宮と香織にとってはその限りではない。そのような面でいえば、二人の波長は合っているのだろう。


 細い道を進んだ先に小綺麗な外装の居酒屋の前に二人、懐かしい顔が並んでいる。侑李と綾乃だ。会話には花が咲いているようで、静かな町中に声が響いている。

 こちらが声を掛けるよりも先に気付き、手を振ってきてくれる。それだけでは足りなかったのか、綾乃は小走りに駆け寄ってきてくれる。

 久しぶり、と女性らしい高い声が涼宮の頭の中にも響いてくる。海馬が刺激され、彼女に関する記憶が一気に蘇ってくる。人が人を忘れる時、一番最初は声だという。だが、こうして声をトリガーとして、記憶が蘇るのであれば、悪くないのかもしれない。


 花柄のワンピースに肩から小さな鞄を掛けて、女の子らしい格好をしている。それに、香水だろうか。彼女が動く度に、花の香りが鼻の奥をくすぐる。

 どうやら彼の記憶の中の彼女とは、まるっきり別人のように感じてしまう。思い出された記憶と目の前の人物は同一人物であることに間違いない。間違いないのだが、心のどこかが違うと叫んでいるような気がする。

 別に好きでも何でもない、特に気にも求めていなかったようなものが、突然手からこぼれ落ちるような。ただ落ちていくのを見守るだけだ。落ちて壊れても、掻き集めることはしない。そんな程度の事で心が揺さぶられる。


 ***


 お酒が入ると皆のテンションがまた一段階上がる。学生時代の思い出話が止まらない。

 入学式の日の話や体育祭、文化祭の話。日常の中のくだらない話から修学旅行というビッグイベントの話まで、四人は語り合った。

 こじんまりとしたこの店では、全ての会話が筒抜けだ。だが、そんなことを気にするはずがなく、声のトーンも徐々に上がっていく。周りのお客さんも似たようなもので、誰も気にする様子は無い。

 学生時代の話で盛り上がりつつ、隣のテーブルから聞こえてきた話題を、そのまま自分たちのものにしてみたり。もはや内容よりも話す事が目的になっている。


 楽しい時間は過ぎ去るのが早いとはいえ、二時間程度では語り尽くせるはずもなかった。若者らしく会計は割り勘で済ませ、店を後にする。

 一軒目では語り尽くせるはずもなく、次に入る店を探しに駅の方へ戻っていく。東口の大衆居酒屋も良いし、また個人経営のこじんまりとした店に入ってもいい、と回らない頭と舌で話し合っている。


 午後九時を回った現在、どこの店も客を入れようと躍起になる頃だろう。しかし、西口はそういった店員は姿を見せることは無く、より一層の静けさを感じさせる。その静かな空間に響く、男女四人組の声は異質であろう。


 結局、次に入ったのは東口にあるカラオケボックスだ。フリータイムに飲み放題を付けて、朝まで居座ると決め込んでいる。

 先程の店では酒を一滴も飲まなかった涼宮だが、空気に流されて飲まされる。飲まないのは単純に酒に弱いから。直ぐに顔が赤く火照り、周りから心配されるのだ。どうにもそれが苦手で、自分から酒を遠ざけていた。


「今だから言えることだけどさ。私、玲くんのこと凄く好きだったんだよね」


 誰も歌わないカラオケボックスに、綾乃の独白のような声が響く。綾乃の顔はずっと赤いまま。


「ねぇ、誰か何か言ってよ」

「だってそれ秘密でも何でもなかったじゃない」


 綾乃が涼宮を好きだったことは、周知の事実だった。ここにいる全員が今更そんなことを暴露されても、という感想を抱く。それ程までに気持ちが態度に表れすぎていたのだろう。


「好きだったのもたったの三ヶ月くらいだし、告白も出来ずじまいだったのに。そんなに分かりやすかったかな、私」


 場の雰囲気と酒の影響が相まって、どんどん口が軽くなる。それはもう綾乃だけに限った話ではない。


「分かりやすいも何も告白しなかっただけの人じゃん、野崎は」

「縮まったのも、さん付けが無くなったくらいだし。あーあ、私の青春無駄にしちゃったなぁ」


 レモンサワーを口に運びながら、流し目で涼宮の方を見る。好きと言ってみても、逆に突き放してみても、彼の態度が変わりはしない。そんな彼を好きになったのか、そんな彼だから諦めたのか。それは高校生の綾乃だけが知っている。


「でもさ、それを含めて青春ってやつじゃない?」


 ここまで静観してきた侑李がようやく口を開く。


「それに、玲の恋愛観は独特だし。というか世界観が独特だけどね」


 親友だから知っている事をついつい口走ってしまう。酒を飲んでも、顔色一つ変えずにいるものだから、侑李は酒が強いと思い込んでしまったのが運の尽きだ。

 侑李の言葉にいち早く興味を持ったのは意外にも香織だった。学生時代は部活動一筋のような姿を見せていた。だが、やはり女子らしく色恋話に興味を引かれずにはいられなかったのだろう。


「面白そう。侑李くん、詳しく教えて」

「それじゃつまらないから、玲くんに直接話してもらおうよ」


 侑李の巻いた餌にまんまと釣られる香織、それに悪ノリする綾乃。三対一の状況では、もう観念して話すしか道が残されていない。

 酒の力で話そうにも、少量では頼れなさそうだ。顔は赤く火照り、心臓の鼓動が速くなろうとも、頭だけは正常に働いている。


「今よりも、この場の空気を悪くしてもいいならいくらでも話すよ」


 涼宮を見ながら、三人が静かに頷く。

 そうして涼宮は自分自身について語り始める。

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