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プロローグ 02

 ネージュがアリスティードの婚約者になったのは、彼にレーネ侯爵家の爵位と資産を渡すためである。


 ――というのも、マルセルの弟、ダニエルの正式な養女であるネージュは、れっきとした侯爵家の一員なので相続権を持つのだが、アリスティードにはそれがないからだ。


 ネージュは元は孤児で、レーネ侯爵家の血を一滴も引いていない。

 アリスティードがマルセルの血縁者なのは顔を見れば明らかで、この家を継ぐべきなのはネージュではなく彼なのは明らかなのだが、法律がそうなっているのだから仕方ない。


 このような状況になったのは、アリスティードの父親でマルセルの一人息子だった男が、だらしなく、どうしようもない人間だったせいだ。


 その男の名はレオナーという。

 彼は、親――マルセルが決めた婚約者との結婚を嫌がり、侯爵家で女中として働いていたエディットという女性と駆け落ちした。


 しかし、甘やかされて育ったレオナーに、庶民の生活は到底耐えられなかったようで、妊娠中だったエディットを捨てて失踪した。


 一人ぼっちになったエディットは泣く泣く生家に戻り、男の子を出産するが、産後の肥立ちが悪く亡くなった。彼女が遺した子供がアリスティードだ。


 彼は母方の祖父母に育てられた。


 一方でマルセルは、レオナーの捜索にあたる中で、比較的早い時期に孫の存在に気付き、アリスティードを侯爵家で引き取りたいと申し出た。

 しかし、その願いは『娘の忘れ形見を奪わないでくれ』と、涙ながらに拒否され叶わなかった。


 マルセルは泣く泣く断念すると、密かに資金援助を申し出て引き下がった。


 一方でレオナーは、エディットを捨てた後、両親から受け継いだ端正な容貌を利用して、色々な女の間を情夫として渡り歩いていたらしい。

 だが、痴情のもつれから女に刺され、マルセルが見つける前に亡くなっていた。


 レオナーが認知してから失踪するか、マルセルの生前に彼の養子となるような手続きが行われていたら結果は違ったはずなのだが、残念ながらアリスティードは母方の祖父母の元で、父親の分からない私生児として育てられた。


 そのせいで直接の血縁関係のないネージュに継承権が渡ってしまったのだから、法律は無情である。


 なお、外部から見ると、ネージュは老侯爵とその弟の二人を手玉に取って、まんまと侯爵家に入り込んだ悪女に見えるらしい。

 それだけでなく、侯爵家の使用人や出入りの商人と良好な関係を築いている姿も悪く取られるのだから、人の噂は無責任で残酷だ。


 見知らぬ他人に何を言われてもどうでもいいのだが、アリスティードに厳しい視線を向けられるのは正直(こた)えた。彼の瞳はマルセルに似すぎているのだ。




   ◆ ◆ ◆




 応接室に場所を移したネージュは、お茶とお菓子を持ってこさせると、使用人を下がらせた。


 アリスティードと腹を割って話したかったので、ここまで彼を連れてきてくれた顧問弁護士のナゼールにも遠慮してもらい、単独で彼に対峙する。


「初対面でいきなり侮辱されたのに、あんた、何も反論しないんだな」


 どう声をかけたものか思案していると、彼の方から口を開いた。

 二人きりになって取り繕うのをやめたのか、口調が粗雑である。


「そういう噂があるのは承知しております。ナゼール卿からは婚約を受けてくださったとお伺いしておりましたので、まさか、このように仰られるとは思わず、困惑しているところです」


「とてもそうは見えない。表情が変わらないから、まるで人形を相手にしてるみたいだ」


 『人形』。

 よく言われる言葉だが、アリスティードの口から飛び出してくると、棘のように突き刺さった。


「……私は感情を顔に出すのが苦手です。そのように見えるかもしれませんが、大変驚いております」


 内心の動揺を隠し、アリスティードの顔を見返して告げると、舌打ちの音が聞こえてきた。

 事前に仕入れていた情報通りだ。軍隊上がりのせいか、言葉遣いだけでなく、所作も粗野である。


 黙って立っていれば貴公子然とした青年だが、侯爵位を継ぐにあたって、言葉遣いと礼儀作法は早急に身に着けてもらわねばいけない。このままでは社交界に出たら恥をかく。

 ネージュは彼の教育計画を反射的に考えていた。


「私がお気に召さないようですが、婚約はいかがなさいますか? 既に各所調整が完了しておりますが、もしアリスティード様がお嫌なら――」


「結婚はしてもらう」


 ネージュの発言はアリスティードによって遮られた。


「だってあんたと結婚しないと、俺はこの家も財産も継げないって聞いた」


「はい。法律上はそうなっております」


 養女とはいえ、現在ネージュは一番マルセルに近い親族なので、レーネ侯爵家の爵位と財産の相続人になってしまっている。それを彼に譲ろうと思ったら結婚するしかない。


「でも、俺はあんたに手を出すつもりはない。恋人がいるんだ」


 ネージュはアリスティードの発言に目を見張った。


「ようやく表情が変わったな」

「……驚きましたので」


 ネージュの答えに、アリスティードはこちらを小馬鹿にしたような表情をした。


「結婚式が終わったら彼女をここに呼び寄せる。あんたには出て行ってもらいたい」


「…………」


 ネージュは沈黙し、少し考えてから口を開く。


「恋人がいらっしゃるのに、このお話をお受けになったんですか?」


「赤の他人のあんたに、マルセル爺さんの遺産を持ってかれたくなかったからな。それに、貴族には政略結婚も愛人も付きものだろ?」


 確かにそうだ。政略結婚したものの性格が合わなくて、互いに愛人を持つ夫婦は数多く存在する。

 この国の上流階級には、最低限の義務さえ果たせば好きにしていいという風潮がある。


 ここ三年ほど、体調が思わしくなかったマルセルの代わりに、領主の職務を代行していたのはネージュである。


 また、侯爵家の女主人として、使用人や屋敷内の予算の管理をしていたのも自分だが、侯爵家の使用人は優秀だから、きっと何もわからないアリスティードとその恋人が主人になったとしても、どうにか上手く回すだろう。


 そう思ったので、ネージュは抵抗せずに承諾する事にした。


「かしこまりました」


「悪女って噂の割に随分殊勝だな。それとも、それがあんたのやり口か?」


 自分は本来ここにいていい人間ではない。

 その意識があるからたどり着いた結論だったが、彼の中にはネージュの悪い印象が相当に根付いているらしい。


「悪く取られるのは悲しいですが、そう言われても仕方のない立場にあると自覚しております。あなたの不快感はもっともだと思いますので、仰せの通りにいたします」


 ネージュがそう告げると、アリスティードは盛大に舌打ちをした。

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