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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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風の始祖

「土の始祖を愛し続ける私を愛してくれたエウラリアには感謝している。加護を続けているのはエウラリアへの恩返しのようなものだよ」

 精霊帝は懐かしむように目を細める。一方でエルドは遥か昔のことを昨日のように思い出していた。土の始祖は、その属性から人間に対して親しみを抱いていた。そして偶然、精霊の見える男と出会い、恋に落ち、子供を産んだ。それがアルナダの一族の始まりだ。

 風の始祖は、土の始祖に思いを寄せていたがそれを伝えることはせず、土の始祖と彼女の子供たちを見守っていた。エウラリアという女性は、そんな風の始祖を愛しそばに居続け、やがて子供を身ごもった。

 精霊帝は目を閉じ、目蓋の裏で過去を思い起こしているようだった。

「土の始祖は頑固者で、他者に加護を与え続けると寿命を縮めると知っても決してやめようとしなかった。彼女は自分の子孫の末端に至るまで加護を与え続けた。そのおかげで、彼女は人間より少し長いぐらいの寿命で愛する夫の元へと旅立てたわけだが。私には面倒で無理だった」

「まあ、あいつが特別だったんだ。ほとんどの精霊は人間に関心もない。あんたも、六百五十年も国王に加護を与え続けたんだ。たいしたもんだぜ」

 精霊帝は薄緑色の長い髪を風にたなびかせて、閉じていた瞳を開いた。不思議な瞳で、見る角度によって今日の空と同じ薄青色だったり、ブリュック城の屋根と同じ薄灰色に見えたりする。

「君はあの子をどうするつもり?」

 その声音は責めるつもりもなく、ただ単に聞いているだけの響きがあった。だがエルドはその淡々とした中に僅かながら、肉親への情が混じっているのを聞き逃さない。

「俺はティナが望むことに従うつもりだ。国や王などと人間のつまらん社会になど興味はない」

「息子たちが作ったこの国は、滅びの道を辿るのかもしれないな」

「それも俺たち精霊には関係のない話だ。ティナが生きているうちに平和であれば、それでいい。ティナの父親の根回しのおかげでそれもうまくいきそうだ」

「ふ、本当に。狸と呼ばれているがその通りだ。あっという間に四大侯爵家の三家にアルナダに縁ある者が入り込み、ヴィノルバはあの子と旅の縁で結ばれた者が侯爵となる。アルナダ伯爵は大きな力を持つことになった」

 他の貴族達から反発が出ることが予想されるが、のらりくらりと言い交わす狸の姿が目に浮かぶようだった。

「さあ、私はそろそろお別れを言いにいかなければ。可愛い子供たちともこれが最後だ」

「可愛い子供たち、ね」

「人間らしいだろう?」

 最後の言葉は精霊帝の姿が消えた後、エルドの頭の中に直接響いた。あれだけ強く吹いていた風はとまり、薄曇りだった空もいつの間にか明るく晴れてきた。そしてその場には誰もいなくなった。




 扉がノックされ、部屋に入ってきた顔を見た瞬間、ヴァレンティーナの手は出ていた。握りしめた拳は残念ながら当人に掴まれて当たることはなかったが、ヴァレンティーナの怒りの程を認識させるには十分だった。

「許してくれ、ヴァレンティーナ。別に騙すつもりはなかったんだよ」

「そうですね、騙したんじゃなくて偶然そうなっただけですものね」

「私とて半信半疑で送り出したのだ。そのような曖昧な説明などしても、余計に混乱させるだけであろう?」

「はー」

 盛大なため息の相手はヴァレンティーナの父であり、現在のアルナダ伯爵である。横からヒョイっと顔を覗かせたのは兄のノアだ。兄の見た目は母譲りだが、雰囲気や考え方は父そっくりだ。二人が話し合いをすると全く同じ意見でまとまるから領地の足並みが揃って仕方ない。

「許してあげてよ、ティナ。父上はティナのことを信頼して送り出したんだ。期待に答えたティナは僕たちの誇りだよ」

「知っていたのに黙っていた兄上も同じです。せめて、ブリュック城の状況だけでも伝えていただければ……」

「君の性格は私たちがよーく知っているよ。ティナは目の前で面倒が起きたら逃げ出さないけど、始めから面倒だと分かっていたら何がなんでも関わろうとしないじゃないか」

 その通りではあった。今回の出来事を片鱗でも耳にしていたら、意地でも関わらない方法を探しただろう。

「父上も兄上も、どうして私に精霊を見聞きする力があると思われたのですか?」

 狸、と呼ばれるアルナダ伯爵の外見上は別に太ってはいない。ただ、温和な雰囲気で人の良さそうな笑みをいつも浮かべる外見とは裏腹に、政になると重箱の隅を突くように厳しく、それでいて駆け引きがうまいのだ。年若いノアと並ぶと兄弟のようにも見える童顔さも相手を油断させる武器となっている。

 ヴァレンティーナの外見も母親に似ていたが、それ以上に初代のレクセル・アルナダに似ていると肖像画を前にして言われ続けた。確かにヴァレンティーナ自身も成長するにつれ、男女の違いはあれど瓜二つのように似てきているのを感じていた。

「我が家の家訓には、当主にのみ伝えられるものがある。『精霊の加護が途絶える時期、必ず王家に馳せ参じよ。ふさわしき者は外見に現れる』とな」

「なるほど……。確かに、漠然とした理由ではありますね」

「だろう? 大事な娘のことだし、困った困った。でも精霊の力が色濃く残っていたご先祖様の言葉を無下にもできない。苦渋の決断だったんだ」

「ティナ、父上は各地に諜報員を送って何かあったら迎えに行くつもりで待機していたんだよ。おかげで、仕事が溜まる溜まる。大変だったよ」

「父上」

「あー、うん。まあね」

 少し照れ臭そうに頭をかきながら、はにかむ父の姿は二十の息子がいる中年男とは到底思えなかった。

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