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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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ターラント9

「それは次の精霊帝に、エルドがなるっていうこと?」

「そういうこと。ヴァレンティーナになら加護を与えてもいいと思ってるよ。君がノルニルの女王になるなら、精霊帝としてこの国を守ってもいい」

「そうか……それなら」

「それなら?」

「他の方法を探さないといけないな」

 ふ、とエルドは吹き出すとケラケラと笑い出した。真面目な顔のままでヴァレンティーナは固まっている。

「ティナならそう言うと思ったよッ。権力には興味がなさそうだ」

「そうだが、私はそれよりもエルドを縛りつける方が嫌なんだ」

「へえ」

 意外な言葉にエルドは目を丸くしてヴァレンティーナを見つめる。エルドの手はもう胸元から離れていたが、触れていたところが熱を持っているような気がする。じわりとその熱が体全体に感触が広がっていくような感覚をヴァレンティーナは感じていた。

「エルドを契約で縛るようなことはしたくない。それに、加護を与え続けることで精霊の寿命は縮まるんだろう?」

「……驚いた。気づいていたの」

「そりゃあ、エルドが始祖だっていうのに、後から生まれたはずの精霊王達が先に消えていってるんだ。そうじゃないかと思うよ」

「縮んでも六百五十年生きてるから、人間よりは長生きさ。ティナより長生きできるよ」

「それでも、そんな契約をエルドに負わせたくない」

 とても勝手な言い分だと思う。ヴァレンティーナは新しい精霊王の契約に進んで協力した。他の精霊達に対してはそのような感情は抱かず、むしろ契約が済んでほっとしている。エルドにだけ、自由に生きていて欲しいと願うのだ。

 エルドはヴァレンティーナの頬に優しく触れる。二人の周りをひだまりのような暖かさが包み込む。

「それは最高の殺し文句だよ、ティナ」

 自然に二人は口づけを交わした。




 テオドールは仕事場を失って屋敷の外を彷徨くことになった。ブリュック城からさらに数名このカミロの屋敷に応援を呼び、事後処理に追われている。現状の問題は、新しい火の精霊王が出現していないことだった。ヴァレンティーナの報告によると、土の精霊王も水の精霊王も前の精霊王が消失して間も無く、姿を現したという。

「消えたのはつい先ほどだと言う。もう何日か待つしかないか」

 庭の植木の中にちょうどいい石の段差を見つけると、テオドールはそこに腰掛けた。そして、カリグラ公爵の部屋で発見されたノルニルの古い文献を懐から取り出した。これはもともと城にあったインクをかけられてしまった書物と、全く同じものである。なぜ二冊あるのか理由はまだ分かっていない。公爵がこれを持っていた理由は、偶然拾ったというものだった。

 インクで汚されていた部分に書かれていたのは、土の精霊と風の精霊の代替わりの方法だけだった。その前後をいくら読んでも肝心なことは何も書かれてはいなかった。詳細に史実を記録してあるというより、日記のように印象に残った出来事を書き綴っているような印象を受けた。

「ん?」

 ページをパラパラと背表紙の裏側のところまで捲ると、そのページに不自然な膨らみを感じた。よく確認すると一度剥がされたような跡がある。テオドールが注意深く紙をめくっていくと間から二つ折りにされた紙が出てきた。紙の色も変色していることから、かなり昔のものであることがわかる。

「手紙?」

 所々かすれて読みにくいが、テオドールはその手紙に目を通した。




 西の空が赤くなり、日暮も近くなったというのにテオドールの姿が屋敷内で見当たらず、少し騒ぎになった。ヴァレンティーナが屋敷の周りを探していると、ローマンと出くわした。

「お、ヴァレンティーナちゃんも王太子殿下を探してんの?」

「ああ」

「色男は?」

「ちょっと、と言って出かけた」

「はは。人間の男みたいな奴だな」

「ローマンはエルドが精霊だって知っていたのか?」

「なんとなく。でもさっき親父に聞いた」

「侯爵も気づいていたのか」

「まあ、何年も精霊王の側にいたら分かるようになるんじゃないか」

 自然と沈黙が降りた。カミロから聞いた話は他にもあるだろうとヴァレンティーナは何となく察していた。ローマンもヴァレンティーナが事情を知っているだろうことは分かっている。口火を切ったのはローマンの方だった。

「心配しないでよ。俺にとって親父はあの人に変わりはないし、母親を責める気持ちもない。もっと小さかったらショックだろうが。大人の事情ってやつも理解できる年になってる」

「そうか。ローマンがローマンであることに変わりはないしな」

「お、いいこと言うね。その通り、俺は俺だ」

 琥珀色の瞳を細めて肩をすくめる様子に、無理をしている気配はない。元来の性格なのか、一人で旅に出ていたという年月がそうさせたのか出自へのこだわりは無いのだろう。

「にしても、王太子様はどこ行ったんだか」

「軽率な行動をとるような人ではないから、屋敷の中にいるとは思うが」

「なんで俺を見るの」

「いや、なんとなく」

 屋敷の庭へ入っていくと影になって、木々の間が見えにくい。二人は遠目からでは判断できず、植木の裏側を見て回った。

「あ」

「テオドール殿下!」

 植木の後ろにある石段に座るテオドールを見つけ、ヴァレンティーナが駆け寄る。いつからここにいるのか、テオドールの周囲は重く静かに冷えている。

「ああ、ヴァレンティーナ嬢。ローマンも」

「こんなとこで何やってんです? 家来達が探してますよ」

「もうこんな時間か。今戻るよ」

 穏やかな表情を浮かべてはいるが、どこか心ここにあらずの様子のテオドールにヴァレンティーナとローマンは顔を見合わせた。

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