王城へ
アウエの街からこのブリュックまで、道中は至って平穏な道のりだった。平な道を一日半ほど走り続けたが、盗賊にも雨にも当たらなかった。アルナダの領内も平和であったが、ザクセン領内の雰囲気はもっとのどかなものがあった。
土の精霊王から与えられた加護によって、ザクセン領は肥沃な土地が多く、農業が盛んである。麦や野菜、果物などをあちこちで世話をする領民の姿も見られ、勤勉な働き者と言われる彼らの性質も見て取れた。
無事にブリュックについてすぐ、ヴァレンティーナ達はアリア・ブリュック校へと向かった。学校の建物は王が暮らすブリュック城から目と鼻の先にあり、身分の高い貴族達が暮らす地区にある。堅牢だが優美な鉄の門を潜り、馬車でしばらく並木道を徐行するとレンガで積まれた壁で出来た歴史あるブリュック校の校舎が見えてくる。玄関の前は広場になっており、そこで馬車は一回りして引き返すことができるようになっていた。広場は左右に道がつながっていて、左側は寮への道に続く。右は立ち入り禁止になっており、教師や王族関係者の出入りする道になっていた。
「その髪型、とても地味だと思うんだよ。せめてもっと高いところで結ぶと華やかでいいんじゃないかな?」
先ほど数学の授業を終えたヴァレンティーナは、教室がある二階から教科書を抱えて玄関まで降りてきた。いつもなら迎えの護衛が来てさっさと帰っていくテオドールが、後ろから一人でついてくる。そして先ほどの余計なお世話とも言える助言をヴァレンティーナにしてきたのだった。
「王太子殿下のお言葉、心に留めておきます。ところでいつもの護衛の方達は?」
低い位置で一つに結ばれた髪型は、年頃の貴族の娘がするには華やかさに欠ける。しかし王太子殿下の花嫁として立候補する気もさらさらないヴァレンティーナは、着飾ることを時間と金の無駄と思っている。なので鬱陶しい助言は受け流して、気になっていたことをテオドールに尋ねた。
「いるよ。ほら、そこに」
開け放たれた生徒玄関の脇に、屈強そうな男が二人たたずんでいる。
「いつもは教室までいらっしゃいますよね?」
「今日はきみと話したくて。ここで待たせていたんだ」
「はあ。それでは私は寮へ向かいますので。失礼いたします」
会釈をして立ち去ろうとしたとき、護衛の二人がヴァレンティーナの前に立ち塞がった。
「あの?」
「本日はアルナダ伯爵嬢もご一緒にと、王より御命令がございました」
周りにいた貴族達が何事かと足を止めている。テオドールは周囲にニッコリと微笑みを投げかけて、ヴァレンティーナの肩を抱いた。令嬢達から絶望の悲鳴が上がる。
無表情のヴァレンティーナもさすがに焦りを顔に浮かべて、体をテオドールから離そうとする。
「あ、あの殿下。私は寮に帰らせていただきたく思いまして」
「駄目。だって君、あのアルナダ伯爵のご令嬢でしょ? それを学校の寮になんて……下位貴族しかいない学校の寮になんて、置いておけないでしょ」
「あのお言葉ながら殿下、下位貴族などという差別用語はお使いにならない方がよろしいかと」
「はあ? 本当のことじゃん? 差別じゃなくて事実だよ」
「だとしても、このような大勢が聞く場所で国を治める立場の方が使っていい言葉ではないかと」
農民や階級の低い貴族の方が人口は多いのだ。もし仮に国内で内乱が起きたとして数の上で王族は圧倒的少数で、不利なのだ。精霊の加護があるからといって、無闇に人心を乱すようなことを王族が言うべきではない。
「そうかな。では、君の方を持ち上げようか」
「え?」
「アルナダ伯爵は四大侯爵家よりも古く、歴史のある由緒正しい家柄だ。国王陛下がぜひ城に招きたいと言っている! さあ一緒に参ろう!」
玄関の広間中に響き渡る声でそう言うと、テオドールはヴァレンティーナの手をとって颯爽と歩き出した。横にはピタリと護衛が張り付いて、ヴァレンティーナは引きずられるように王家の紋章付きの馬車に乗せられた。
「お嬢様!」
「ヴァレンティーナ様!」
「ロッソ、マリー! よかった、来ていたのか」
突然の出来事に混乱していたが、二人の顔を見てヴァレンティーナはようやく安堵した。馬車を降りるとブリュック城の入り口で、相変わらず両隣をいかつい護衛兵に固められながら、この謁見の間に連れてこられた。
「国王陛下がお越しになる。膝を折って」
テオドールがそう言った直後、部屋の隅に立つ衛兵達の背筋が伸びた。部屋の空気が変わる。国王陛下が謁見の間に入ってきた。国王の後ろに控えるのは宰相の男だろうか。王はかなり早足で席につくと、膝を折って待つヴァレンティーナ達に声をかけた。
「いきなりで申し訳ないね。アルナダ伯爵嬢。私はノルニル国王、エドワード・ジェームズ・ノルニルだ。話は長くなる。椅子をもて」
国王の合図で三脚の椅子が持ってこられた。背もたれのついた上等そうな椅子だ。いきなり国王から何かの罪を言い渡されるわけではない、とヴァレンティーナは緊張を少し解いた。
「私はいい」
テオドールにも持ってこられたが、彼は壁際で立ったままだった。
「そなた、アルナダ伯爵から何か聞いているか?」
「私は、王太子殿下の婚約者候補を国中から集めることになったから、アリア・ブリュック校へと入学するようにと言われて参りましたが」
「他には? 何か言われなかったか? なんでもいいから」
「いえ、何も」
はー、とため息が重なった。
「あいつ、あの狸野郎め」
「陛下、心の声がもれております」
宰相の男に窘められて、国王は手を額に置いた。この様子は何かただ事ではないことが起こったようだ。
「おそれながら陛下。アルナダ嬢達は訳もわからずこちらに連れてこられております。私から説明させて頂いてもよろしいでしょうか?」
「頼む、テオドール」
そしてヴァレンティーナ達は、ノルニル国の危機的な状況を知らされることになる。