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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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ターラント6

 結局、逃げた二人は見つからなかった。テオドールは根を詰めて捜索したが、もうこのターラント周辺にはおらず、船で国外へ逃亡したという情報が入ってきた。

「あの火の精霊王は人型で力もかなり強い。誰も気がつかなかったんだろう」

「どういうことだ」

「カミロとかいう男に憑依し、ことに及んだってことだ」

 ヴァレンティーナはひゅっと息を吸い込んで、そのまましばらく呼吸を忘れた。自分の夫だと思っていた男の中身が別人だったということか。しかし、体はカミロだったのなら貫通とはいえないのではとヴァレンティーナはせめてもの救いにそう思おうとした。

「あいつなら、完全に同化して肉体までも自分の物にしてしまうぐらい出来るだろうな。まあ、俺はそんな人間に憑依なんぞしなくても」

「なんって気持ち悪い! どういうつもりだ、あいつは!」

 エルドの他には誰もいない屋敷の一室でヴァレンティーナは我慢できずに叫んだ。箱入り娘のヴァレンティーナは男女のそういった事には免疫がない。だからこそ、火の精霊王がそのような暴挙に及んだことも信じられないし、生理的にも受け付けられなかった。もしも男性と恋愛の二つ三つ経験していても理解などできないし、かえって冷静に非難したかもしれない。

「叶わぬ恋だったんだろうよ」

「だからって……。騙してまで」

「あの女も満更でもなさそうだったじゃないか。公然と浮気できたんだから、いいんじゃないのか」

「な、そんな」

「あれは一回だけって感じじゃなさそうだぜ。火の精霊王が見えるようになってからも続いてたんだろ。しかも今も続いてる関係のようだし」

「今も。カミロ侯爵に憑依して?」

「いいや、もう憑依なんてしなくてもあの女には、普通の男と同じように触れられるようになっている」

 恋愛をしたことのないヴァレンティーナには分からなかった。カミロはエリザベートの事を愛しているように見えたし、エリザベートもカミロの事を慕っているように見えた。

「ふ、まだティナには少し早い大人の話かな」

 混乱している様子のヴァレンティーナのおでこを人差し指で突くと、音もなくエルドは部屋の扉に近づき、さっと開けた。そこには青ざめた顔で立つカミロがいた。




 カミロは部屋に入るとヴァレンティーナに断って長椅子に腰掛けた。向かいに座ったヴァレンティーナが言葉をかけるのも躊躇われるほど顔色が悪い。しばらくの沈黙の後、カミロはやっと口を開いた。

「申し訳ない。盗み聞きするつもりはなかったのだが」

 やはり先ほどの話を聞いていたようだ。カミロは両手を組んで額に当て、頭の中を整理しているように見受けた。

「侯爵様はエリザベート様と火の精霊王の事を初めて知ったのですね」

「ああ。だが、エリザベートと婚姻を結び、精霊王からの加護を受けてしばらくしてから、エリザベートとの寝屋の記憶が飛ぶことがあった。それは部屋に炊いている香のためだとエリザベートに言われ、疑うこともしなかった」

「それは随分と能天気な話だな」

「エルドっ」

「いや、構わない。特段、変わったこともなかったので今まで気にも留めていなかったのだ。だが、ここ数日間は寝屋の間ではなく、日中でも記憶がない事が増えた」

「公爵達が来てからでしょうか」

「ああ。なぜ公爵がこの地を訪れたのか、私には心当たりがない。連れてきた従者の男も私は知らない男だった。しかし、気づけば屋敷の地下に公爵は匿われていて、テオドール殿下が屋敷を見張る事態になってしまった」

 カミロはぐしゃりと髪を握りしめ、硬く目を瞑った。ヴァレンティーナは後ろに立つエルドを見やる。

「何」

「エルドは、あの火の精霊王がなぜ公爵達をここへ呼んだのか知っているのか?」

「まあ、なんとなく」

 すがるようなカミロとヴァレンティーナの視線に耐えきれず、エルドはため息をついて答えた。

「あいつは精霊が人間に縛られるのをよく思っていなかった。もうずっと、人間と契約を結ぶのを終わりにしたかったんだろう」

「精霊不要論の公爵を王にしたかったのか」

「それが自然な形での終わりになるからな。精霊ではなく人間の都合でそうなったということになる。精霊帝やら他の精霊王の面子も保てるだろ」

「なかなか、人間臭い考え方をする」

 カミロがようやく口に笑みを上らせた。

「あいつは精霊の始祖に対する崇拝心が特に強いからな」

 どうやらエルドは火の精霊王とは知り合いのようだ。昔からの知り合いのような口ぶりをする。

「あなたはその精霊の始祖の一人ということでしょうか」

 カミロがエルドに問いかけると、エルドはふっと口の端を吊り上げて笑った。ヴァレンティーナの方を見て答える。

「それを答える義理はないな」

「おや、アルナダ嬢にもまだ話していない秘密のようですね」

「こいつは鈍いんだ」

「まあ、何にせよ助かりました。テオドール殿下に報告もできます」

 話についていけなかったヴァレンティーナは、ここでやっと会話に入ることができた。

「今から殿下と話されるのですか」

「ええ、その前にこちらに寄らせてもらいました。何せ私の身に起きている事が私自身にも説明できないでいたので。もしかしたら、アルナダ嬢のお連れの方ならば何か知っているかと思いまして」

「ティナと違って、流石に鋭いようで」

「お褒めに預かり光栄です」

 軽口も出るようになり、いつもの調子を取り戻した様子のカミロ侯爵を見送り、ヴァレンティーナ達はエリザベートのもとへと向かうことにした。

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