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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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ターラント3

 ヴィノルバの中心地、ターラント。侯爵の堅牢な要塞のような屋敷には地下へ続く隠し通路があった。カミロは従者を一人伴って階段を降り、一つの扉の前で鍵を取り出し鍵穴に差し込んで施錠を外した。

「お加減はいかがですか?」

「悪くないな。一つあるとすれば、太陽の光を浴びれないことぐらいか」

「それは申し訳ありませんが、王太子殿下がいる間はこちらで大人しくして頂きませんと」

 ふ、とせせら笑い落ち窪んだ目から鋭い視線をやるのはカリグラ公爵である。疲弊した様子であるが緑の瞳は油断なく光らせている。

 部屋には簡素なベッドが二つと椅子が二脚置いてあるだけだ。一脚の椅子にカリグラが座り、背後には息子のマクシミリアンが今にも掴みかかってきそうな形相で立っていた。地下の部屋には窓もなくカリグラの手元にある燭台のみが光源となっている。

「どういうおつもりかな? てっきり私たちを王家へ突き出すものと思っていたが」

 言葉を切り、カリグラはカミロの背後に立つ従者を見る。

「は、まったく騙されましたよ。まさか金を出して雇っていた私兵がヴィノルバ侯爵家の者だったとは。私たちはとんだ笑者でしょうね」

 マクシミリアンは自虐の笑みを浮かべて、カミロの後ろに立つ従者を忌々しく睨め付ける。城から脱出する際に、この従者が先導しうまくブリュック兵をまくことができた。この従者を雇って五年にもなるので、うっかりと信頼仕切っていたのだ。言われるがままヴィノルバまで逃亡してきたら、待っていたカミロに捕らえられ幽閉されてしまった。

「感謝しておりますよ、マクシミリアン殿下。おかげで国の中枢の情報が手に入りやすくなりました」

「その情報を使って、お前はどうしようというのだ」

 ヴィノルバ侯爵家は火の精霊王の加護を受ける四大侯爵家の一つだ。精霊王不要論を掲げるカリグラとは相入れない。さっさと王家に身柄を引き渡せばいいものを、テオドールが来ても二人の存在を隠したままにする。カミロは何を考えているのか分からない男だ。

「いえ、ね。俺も色々と考えるんですよ。特に今の国王は、あなたに国政を任せきりにして都合のいい時だけ前に出てくるお飾りの王じゃないかと。次の王太子までそんなでは、この国は精霊の加護を得ていても衰退していく一方なんじゃないかってね」

「つまり、見極めたいと?」

「まあ、そうですね。どちらにつくか、決めかねているって現状なんですよ」

 琥珀色の瞳を眇めて見下ろされ、カリグラは二の腕が泡立った。その気になればこの国を沈めることもできる才を持ちながら、カミロは侯爵家として王家につかえている。それは彼が祖先に対して敬意を払い、血筋に誇りを持っているからだ。そのように教育されてきたからともいえる。しかし、彼はもう妻子を持ち、領地の民を守る責任を背負っている。必要とあれば、全てを覆して新しい道へ突き進む決断をしなければならないのだ。

「でも、どちらにせよお二人を王家に引き渡す真似は致しませんよ」

「なぜ?」

 怪訝に眉を潜めるマクシミリアンに、カミロは苦笑いを浮かべた。いつも陽気で余裕のある態度ばかり見せるカミロには珍しいものだ。

「マクシミリアン殿下には、少し借りがあるもので」

 何のことだかわからないでいる二人を残し、カミロと従者は部屋を出た。地上もすでに日は落ちていて、日中の暖かさはなく夜の冷たい空気が降りてきていた。

「カミロ様、お二人をどうなされるおつもりで」

「こんなところで話すな。誰が聞いているか分からねぇぞ」

「申し訳ありません。失礼いたします」

 従者は建物の影に溶け込んで消えていった。カミロは息を一つ吐いて、頭を掻いた。無敵に思えるヴィノルバ侯爵にも、どうにもならないモノがあった。

「まったく、あいつは何やってんだか」

 毒づくカミロは苛立ちと心配と、愛情が入り乱れる複雑な表情を浮かべていた。




「国王陛下は致命傷を負った。いまだ、生死の境を彷徨っておられる」

「背後から刺されたと聞いたが」

「カリグラ公爵とマクシミリアン殿下が逃亡する際、居合わせた国王陛下を背中から刺した」

 ヴァレンティーナとテオドールは、屋敷の周囲を散策しながら馬上で会話を交わしていた。屋内よりも見通しが効く外で会話し盗聴されるのを防ぐためだ。

「表向きはそうなっている」

「刺したのは別人か」

「実際に刺したのはマクシミリアンの私兵の男だった。そいつはヴィノルバ侯爵の従者でもある」

「では、侯爵の指示で?」

「それを探るためにここへ来た。だが、見ての通りのらりくらりとかわされている。情けないことだが」

「その従者は見つからないのか」

「いや、何度か見かけたのだが証拠もなく引き渡しを要求することもできない。そもそもマクシミリアンの私兵だったと証明しようがない」

「国王陛下が刺された時に目撃されたのでは?」

 テオドールは頭を掻いた。

「顔を覆っていて目だけしか出ていなかったのだ」

「なぜ侯爵の従者だと分かったのです?」

「我々は公爵達を追ってここに辿り着いた。このターラントで忽然と行方をくらましたということは、侯爵がかくまっていると考えるのが自然だろう。公爵やマクシミリアンにこのヴィノルバと繋がりがあったという事実はない。ならば、マクシミリアンの私兵の方にあてがあったと考えるのが妥当だ」

 ヴァレンティーナは今回、このヴィノルバでは精霊王との契約よりも王家の問題を解決するために協力する必要があるということだ。正直、乗り気にはなれない。かといって知らないフリをするほど、ヴァレンティーナも薄情なわけではない。

「何か手伝うことがあれば」

「いや、ヴァレンティーナは火の精霊王との対話を頼む。精霊王との契約に比べれば王家の内輪揉めなど、小事に過ぎないよ」

 とんでもないことをさらりと言ってのけるとテオドールは止めていた馬の歩を進ませ始めた。つられてヴァレンティーナの馬も歩き出し、二人の会話はそこで終わった。

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