ターラント2
侍女に侯爵家の様子を聞けば火の精霊王はまだ健在らしく、カミロの妻エリザベートが持つ加護の証であるティアラの赤い石は輝きを失っていないそうだ。目下の目的は逃亡したカリグラ公爵と息子のマクシミリアンの捜索ということになる。
「お待たせいたしました」
湯あみを終えたヴァレンティーナは、カミロとテオドールが食卓で待っているとのことだったので、そちらに向かった。道中、携帯食ばかりだったので温かい食事は久しぶりである。内心楽しみにしつつ、あまりがっつかないように気を引き締めながらヴァレンティーナは席についた。
「いやいや、見違えましたよ。アルナダ令嬢。用意したドレスがよくお似合いだ」
「侯爵様、着替えまでご用意いただき感謝いたします」
湯殿を出ると屋敷の侍女たちが待ち構えていて、身体中にベタベタと塗りたくられるは、髪を結い上げられるは、仕上げにフリルとリボンの付いたドレスを着せられるはで、ヴァレンティーナは疲弊していた。
「こうしてみると二人はお似合いですね」
なんだか含みを持った眼差しでカミロに微笑まれたが、ヴァレンティーナは目の前にある温かい料理の方に気を取られる。
「それは嬉しい言葉ですね、侯爵。ヴァレンティーナは美しく聡明で、何よりもノルニルの国のために尽くしてくれています。私にとっては唯一無二の存在と言っても過言ではありません」
「それはそれは。王太子殿下の心をそこまで掴むとは、私も彼女に興味をそそられますね」
「ははは。侯爵には美しいエリザベート様がいらっしゃるではありませんか。よそ見していては、火の精霊王からそっぽを向かれてしまいますよ」
「生憎と、私の妻はそのような心の狭い女ではないのですよ。そう、あれは私がまだ十六の頃……」
「はいはい、そのへんにしてくださいな。せっかくの料理が冷めてしまいますわ。ヴァレンティーナ嬢はもう食べていらっしゃいますけれど」
ヴァレンティーナは口に手を当ててゴクッと口内にあった食べ物を飲み込む。目の前にあったパンを一切れつまみ食いしたのがバレてしまったようだ。
カミロの妻、エリザベートはふふふと笑いながら自身も手に赤い液体の入ったグラスを傾けている。
「本当に綺麗な瞳ね。ご家族からの遺伝かしら?」
「いいえ。私の瞳の色は初代のレクセル・アルナダ伯爵以来のものらしいです」
「まあ、それは素晴らしいことね。レクセル・アルナダ伯爵といえば建国の祖であるウィルソン・ノルニルと共に精霊と直接言葉を交わせた稀な人物であったと伝え聞くわ」
「え?」
「あら、ご存知ないの? アルナダ家では教えていないのかしら」
知らなかった。自分の父や母はあまりノルニルの歴史やアルナダ家の祖先の事を教えることはなかったのだ。ヴァレンティーナが産まれた時に先祖返りだと盛大に祝いをしたのは、それが理由だったのだろうか。
「申し訳ありません。その、私は歴史に疎く特に精霊に関しての知識は浅いものがありまして」
「そうなの、でも仕方ないわね。アルナダは国境の領地ですもの」
「アルナダは山に囲まれたノルニルの中で唯一、隣国と接している領地だ。確かに、知力より武力の方に重きを置くのは無理ないことだ。しかも傭兵団なんてもので生計立ててるくらいだからな」
カミロもエリザベートもアルナダの置かれている状況や立場をよく理解しているようだった。派手な身なりと雰囲気からは想像もできないほど、二人は冷静で情報をよく分析しているように感じた。
ふ、とエリザベートの横に陽炎が揺らめいた。ヴァレンティーナはそこを凝視しているとぐにゃりと人間の形ができた。透明だったそれが人間の色に染まった。目が合う。しかし、その精霊は黙ったままエリザベートの横に立っているだけだった。
「どうかした?」
「あ、いえ。エリザベート様はとても知識が深いので驚いてしまって」
「当たり前だ。エリザベートは妃教育まで受けた才女だ。ヴィノルバは俺の妻で持っているようなものだ」
「それは素晴らしい。では、今度の会議ではぜひエリザベート様にご出席いただきましょうか」
「いやですわ、殿下。ご冗談が過ぎますよ」
終始、和やかな雰囲気で食事を終えられたのは、このエリザベートのおかげであることは明白であった。一癖も二癖もありそうなカミロの妻を務められるのは彼女以外にいないだろう。そしてカミロが彼女にベタ惚れなのは言うまでもない。
このエリザベートの横に立っている気難しそうな火の精霊王も、彼女の虜になっている者なのかもしれないとヴァレンティーナは知らずため息をついた。




