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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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ヴェルゲニール7

 空はすっかりと晴れていて海も穏やかな様子である。浅瀬のところは青く透き通って海の底が見えた。ヴェルゲニールの街外れの海辺に三人は立っていた。足元は草むらですぐそこは崖になっていて波が打ちつけているが、崖の高さはヴァレンティーナの身長ほどしかない。

「水の精霊王、契約を結ぶぞ」

 大きくはないがよく通る声でエルドが言うと、海面が渦をまき、中から人影が現れた。

『せっかちな方ね。昨日も私達を急かして』

「当たり前だろう。俺の時間をお前たちごときが奪っていいとでも?」

『ふふふ。あなた様だからこそ許される傲慢な態度、とても心惹かれますわ』

 その水の精霊は女性の形をしていて、下半身が魚である。人魚という伝説の生き物の形をしていた。緩やかにうねる銀髪に空色の宝石をはめ込んだような瞳をしていて、肌は青白い。へそから下は魚の鱗に覆われて光が当たると虹色に反射する。渦巻く海の上に浮いていて、興味深そうに三人を眺めていた。

『さて、私と契約を結べる人間などいるのかしら』

 音もなく水の精霊は近づいてきて三人の前に降り立った。前の蛇女の精霊もそうだったが、水の精霊は背筋に嫌な緊張感が走る。何をするかわからない恐怖感があり、土の精霊や風の精霊とは違う不気味さがある。

 ヴァレンティーナが何か口にするよりも早く、ロッソが動いていた。エルドはヴァレンティーナを背中から腕を回して動きを封じる。

『ガッ』

 気づけば水の精霊は地面に仰向けに倒れていて、ロッソがその体を跨いで見下ろしていた。水の精霊の肩に剣を突き刺して地面に縫いとめている。

「契約を結べるか、じゃない」

 薄寒い冷気がロッソの周囲に漂い、殺気で空気がビリビリと震えている。

「俺が結んでやる、水の精霊王。お前が死ぬまで永遠にこの地を治める伯爵家に加護を与え続けろ」

『この剣ッ! 厄介なものを……しかし、そうか。お前が前の水の精霊王を殺したのね』

 そう言うと怒りで青筋を立てていた水の精霊王が口元を歪ませて笑った。

『はははっ! いい気味ッ、私はあの蛇女が大嫌いだったんだ! 殺してくれた礼にお前と結んでやろう!』

 水の精霊王は指を立ててふ、と息を吹きかけると青い光がロッソの耳元に飛んでいった。光が止むとロッソの耳に青い宝石のピアスが付いていた。

『これでいい? さあ、この剣を抜いてちょうだい』

「まだだ。お前の口から契約の内容を聞いていない」

『なかなか疑り深い男ね。私が死ぬまでこの地を治める侯爵家に加護を与え続ける。これでいい?』

「いいや。前みたいなことがあっては困る。配偶者や子供達に取り憑くことも、取引を持ちかけることもするな」

『いいわよ。あれはあの蛇女の趣味みたいなもんだもの。私はそんなつまんないことに興味はないわ』

 ロッソはちら、とエルドの方をみる。エルドは肩を竦めて顎を上げた。離してやれ、ということらしい。肩から剣が抜けると刺されたところから煙が出て黒く焦げ付いているようだった。

『ひどいお方ね。治すのに時間がかかりますわ。まあ、私は強いお方が好きだから許して差し上げます』 

 水の精霊王はエルドの方に熱い視線をやった後、海の中へと戻って行った。

「ロッソ、何を勝手に」

 ようやく声が出せるようになったヴァレンティーナはロッソに詰め寄る。耳たぶにきらりと光る耳飾りが呪いのように見えて仕方ない。ロッソはこのオスロンで伯爵家として生きなくてはならなくなったのだ。

「マリーもそうなんです。俺もそうするのは仕方ないことでしょう」

「幸いにもここには婿入りできる侯爵家があるよ、ヴァレンティーナ」

「お前、最初っからそのつもりで」

「円満に行く方法を選んだつもりだよ。水の精霊共はやらしい上に強い男が好きなんだ。ねじ伏せられるぐらいの強さと精神力がある男でないと、また蛇女の時みたいになるところだったよ」

 ヴァレンティーナは口を噛む。マリーもロッソも自分を守るために一緒にアルナダを出てきてくれた。なのに、自分が引き受けたことのせいで勝手に道を決められてしまった。守られるばかりで何の役にも立てていない、とヴァレンティーナの負目は大きくなるばかりだ。

「大丈夫だって。ロッソくんには気になる子がいるんだから」

「……うるさい」

「え?」

 寝耳に水の話にヴァレンティーナは大きく目を見開いた。

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