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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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ヴェルゲニール6

 アルナダ傭兵団の最後の赴任地は、北の大国トラキアとその隣国スネーデルの国境だった。アルナダはスネーデル側につき、敗戦濃厚だった戦況をひっくり返した。それが他国に知れ渡るとスネーデルの周辺国が軍事支援を申し出、スネーデルがトラキアの国境領土を占領するに至った。今までトラキアは和平交渉の場に出ることは一切なかったが、幸運なことに国王が病死したのだ。新しく立った国王は他国への戦争をする余裕などなく、戦争を終わらせることを決断したのだ。

 和平交渉には大陸中の全ての国が参加し、領土の不可侵条約を締結するに至った。破った国はすべての国から報復を受けることになる。そして戦争は終結したのだ。

 この戦争の終結にはある噂がある。トラキアの国王は病死ではなく暗殺されたのだと。暗殺を実行したのがアルナダの狼と呼ばれる男だったのではないか、という噂だ。


「お嬢様、お怪我は」

 ロッソはルイーゼの背後から音もせず忍び寄り躊躇いもなく剣を背中から心臓に突き刺した。苦痛に喘ぐルイーゼには目もかけずヴァレンティーナの側にきて、怪我がないか体を点検する。

「あ、は……お前ッ」

 膝をついて痛みに震えるルイーゼは殺気立つ視線で睨め付ける。

「これは……ルイーゼ様?」

「ロッソ?」

 困惑した様子のロッソはヴァレンティーナとルイーゼを交互に見て、狼狽し始めた。

「お嬢様! 申し訳ありません、こちらがルイーゼ様とは思わず。てっきり化け物かとばかり」

「うわー、すごいね。躊躇わず心臓を一突きだ」

 次に現れたエルドは能天気な声を出しながら、ルイーゼの背中の剣の柄を握って思い切り引き抜いた。

「これで終わりっと」

『しぶといババアめ』

 ガラガラと喉の奥が引きつったような低音が聞こえたかと思うと、赤い巨大なトカゲがエルドの背後から湧き出た。背中には不揃いの尾びれがついており、その縁がゆらゆらと赤く燃えていた。立ち上がった背丈は天井より高く、体を天井に沿わせて折り曲げている。ルイーゼの体を目掛けて大きく口を開き、真上から飛びかかる。床にぶつかるのでは、と思ったがそのトカゲはルイーゼを一飲みにすると床にぶつかった部分からキラキラと火の粉を出して一瞬でその場から消え去ってしまった。

「い、今のは」

 巻き起こった風で乱れた髪をそのままに、ヴァレンティーナは茫然と部屋の床に視線をやる。そこには赤いトカゲもルイーゼの姿もない。

「迎えの精霊さ。あの蛇女、うまいこと隠れやがって」

 ザクセンで見た、土の精霊王を連れて行った風の精霊と同じ物だろうか。それならば、先ほどのトカゲは水と反対の火の精霊ということになる。

「ルイーゼ様はどうなった?」

「心配ない。いらないものは道中で捨てるだろう」

 扉の外で話を聞いていた双子は顔を見合わせて、廊下を走って行った。ルイーゼを探しに行くのだろう。

「ロッソ、さっきルイーゼ様はどんな風に見えていたんだ」

「上半身は人間の女で下半身は蛇の化け物です。まさかルイーゼ様だったとは」

「それは水の精霊王の姿だ。ルイーゼについていたんだけど、どうして急にロッソにも見えるように」

「えっと、自分はお嬢様の部屋の前にいた双子の様子がただ事ではないように見えましたので、剣を握って部屋に立ち入りました。その時にはもう水の精霊王に見えていたました」

「それで、私の横に来たらルイーゼ様の姿に変わっていたと」

 ヴァレンティーナはエルドが持っている剣の方へ視線をやる。は、と気づく。

「剣に何か仕掛けを?」

「さすがティナ。大正解だ」

 ロッソは先ほど庭でエルドに剣の刃先を指で掴まれたことを思い出した。何かしたのならその時である。

「お前、火の精霊か。なんで俺に水の精霊王を殺させた。自分がやればよかったんじゃないか」

「それじゃ駄目なんだよな。水の精霊ってのは強い男が好きでね。力でねじ伏せなきゃ言うこと聞いてくんない訳だよ。前の精霊王達は精霊帝が大好きだったから言うこと聞いてたんだけどさ」

 エルドは窓の外を見やり、ヴァレンティーナに微笑みかけた。

「次の水の精霊王がお出ましだぞ。送ってやろうか」

「しかし、次に契約を結ぶときは今までのように伯爵家から犠牲を出さないようにしなくては」

「心配ない。普通に契約すれば精霊王が死ぬまで加護は受け続けられる」

「だが、この侯爵家は脅されて……」

 言いかけて、ヴァレンティーナは気づく。誓いの縛りは一度結ばれるとその精霊が死ぬまで違うことなく守られるものだと言っていた。それを精霊王の一存で破られることは簡単ではないはずだ。ハラー・オスロンはそのことを失念したということか。

「そう、別に水の精霊王から何と言われようと、誓いの縛りは済んでいたんだから関係なかったんだ。まあ精霊のことなんてよく分かんないんだから、あんな脅され方されたら冷静ではいられなかったんだろうね」

 六百五十年もの間、この恐ろしい事実に誰も気づかず放っておいたことにヴァレンティーナは憤りを感じた。何より国王がこの事に向き合おうともしていなかったことに腹が立つ。

「まあまあ。とりあえず、水の精霊王のところに連れて行くよ」

 ヴァレンティーナは目蓋を閉じ、怒りを納めて目の前のやるべきことへと意識を切り替える。次に目蓋を開いた時、目の前にはヴェルゲニールの海が広がっていた。

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