ヴェルゲニール4
「てことは、その水の精霊達の勝負が終わるまでは契約できないってことですか」
「ああ」
朝食後、ロッソにエルドから聞いた情報を話した。合わせてエルドが精霊かもしれない、というのは念のためロッソに話しておいた。少し驚いた様子を見せたがすんなりと受け入れた。ロッソも精霊に対する余計な知識もないため、そんな精霊もいるのだろうぐらいの感覚だった。
水の精霊王の件もエルドの件もまだ確証がないのでルイーゼには伏せておくことで意見が一致する。それにザクセンの時もそうだったが、オスロン侯爵家に新しい精霊王が加護を与えるとは限らない。ザクセン侯爵家のことについてはすべての精霊王との契約が済むまで他言無用である。
「王太子殿下にご報告は?」
「先ほど手紙を早馬で持たせた。雨の中申し訳ないな」
今回はロッソの他にも荷馬車引きと護衛を数人テオドールから借りていた。そのうちの一人に手紙を託してブリュックまで運んでもらうことにした。
「変な天気ですね。晴れてるのに雨が降ってる」
「あまりアルナダではない天気だな。この辺ではたまにあるそうだが」
ヴァレンティーナは故郷の空を思い出して懐かしく思う。つい数週間前に出たばかりだというのに、遥か遠い昔のように感じる。父や兄は元気だろうか、と家族の顔を思い浮かべる。
「お嬢様、少し体を動かしてきてもよろしいでしょうか」
「構わない。私は屋敷の中を散策しているよ」
「分かっているでしょうが、屋敷から外へ出る時は声をかけてくださいよ」
「わかっている」
疑わしげな眼差しをよこすロッソに手を振り、ヴァレンティーナは一先ず部屋へと戻ることにした。
屋敷の裏手で素振りをしてロッソは汗を流していた。アルナダの狼と言われていた頃は戦さ場が訓練を兼ねているようなものだった。若さゆえに甲を被らず、灰色の髪をなびかせて味方の列から一人抜け出し獰猛に戦う姿から、いつしかそう呼ばれるようになった。
父と母は幼かったロッソと弟を残して戦場で死んだ。ロッソと弟は、ヴァレンティーナの父親であるアルナダ伯爵に養父として育てられたのだ。今回、ヴァレンティーナの御者として同行する役は自ら願い出た。育ててくれた恩を返すため、何より妹同然に育ったヴァレンティーナを守るため、それはロッソにとっては至極当然のことだった。
額の汗を拭い、剣を鞘に収めた時声をかけられた。
「こちらをお使いください」
「ああ、フェミア様。ありがとうございます」
双子の片割れ、ルイーゼの娘であるフェミア・オスロンは丸くて大きな瞳をさらに大きく見開いた。母親はどちらかと言うと切れ長の目をしているので、父親に似ているのだろう。
「どうかされました?」
「あ、すみません。その、リリアンとよく見分けがついたなと思って。私たちは髪型も着る服、履く靴さえも同じにしているのに」
「昨日、リリアン様とお会いしたので」
確かに初対面の時はあまりのそっくりさに見分けがつかなかったが、口を開いて話せば全くの別人であることが分かる。フェミアは母親と似て落ち着いた口調で話すが、リリアンは浮ついたところがある。リリアンがロッソと出くわしたなら、タオルを渡してエルドの様子でも聞き出そうとするだろう。
「何にせよ、片手ほどしか会っていないのに、違いがお分かりになる方は初めてで。驚きました」
「そうですか? お二方は全然違いますよ。無理に双子だからと合わせる必要なんてない。服も髪型も好きにすればいいと思いますよ」
なんとなく、このフェミアはリリアンに合わせているのではないかと思った。ロッソもアルナダ伯爵の家に居候として置いてもらっている頃、周りに合わせてばかりで自分の意見は言わなかった。それを許さなかったのがヴァレンティーナであった。
「……」
「あ、申し訳ありません。出過ぎたことを言いました」
「そんな、謝らないでください。その、私、そういうふうに言って頂けると思わなくて。私たちは母にすら、二人で一人と思われているぐらいなので。リリアンもそれが当然というふうに思っていて。私だけが違和感を覚えているのはおかしいのではと思っていたぐらいなのです」
とつとつ、と胸のうちを話すフェミアは顔を赤らめて一生懸命にロッソと向き合ってくれた。それに好感を覚えてロッソはつい、フェミアの頭を撫でてしまった。フェミアはますます顔を赤らめてぽかん、と口を開けてロッソを見つめた。
それに気がついたロッソは慌てて手を離して身を低くした。
「失礼いたしました。侯爵様のお嬢様に、身分もわきまえず」
「あれえ? ティナはいないの」
急に割って入った声に視線をやるとエルドがこちらに向かって歩いてきた。
「し、失礼いたします」
フェミアは転ばんばかりに慌てて屋敷内へ走り込んで行った。
「君もなかなかやるね」
「何か用か」
「ティナは一緒じゃないの?」
「ヴァレンティーナお嬢様はお部屋でお休みだ」
たとえエルドが精霊だとしても馴れ馴れしくヴァレンティーナの愛称呼びなどされたくない。ロッソは鞘にしまっていた剣を再び引き抜く。
「お嬢様の手前、何も聞かなかったがお前は何のためにお嬢様に近づく? 目的はなんだ」
エルドの顔の横にピタリと構えられた刃を指先で掴み、エルドは口に笑みを刻む。
「それを聞いたところで、お前には何もできないよ」




