シュトロウム8
次の日、ザクセン伯爵の屋敷は騒然としていた。屋敷の主人であるはずのオリバーとハンナが縄で縛られ、執務室の床に転がされている。その前にはザクセン家を追い出されたはずのティール・プルグ伯爵が山積みの書類と睨み合っていた。
「偽の使者様はどこにもいねーよ」
ノックもせずに入ってきたのはローマンだった。徹夜明けで目が半開きだ。遠慮もなく椅子に音を立てて腰掛ける。
「ロッソは?」
「あー? あいつはヴァレンティーナちゃん命だから。全力で探してるぜ」
ロッソとローマンは当初の予定ではヴァレンティーナ達とは違うルートで屋敷に潜入し、ブレスを見つけるはずだった。しかし、ローマンは直前で行き先を変えた。オリバーの執務室への侵入を試みたのだ。マクシミリアンが絡んでいるというのなら、父であるカリグラ公爵も裏にいると予想された。何の目的でザクセン家と接触しているのか手がかりを見つけられないかと思ったのである。
「酷いな。民から徴収した租税からだいぶ間引きしてある」
執務室で見つけたのは民からの納税書と王家への納税書、さらにはザクセン侯爵家がいかに潤っているのか分かる差額の収支表だった。ティールは父の政務を手伝っていたが、王家への納税に関することは必ずオリバーが行っており不正について気付くことができなかった。
「ま、よくて降格、最悪はお家取り潰しだな」
ローマンの言葉にティールは堪えるように目を瞑った。
「仕方ない。私は事実をすべてご報告するつもりだ」
乱暴に扉をノックする音がしてロッソが執務室に入ってきた。彼はたった今まで屋敷中を調べて、ヴァレンティーナ達を探していた。
「やはりいないようです。中庭には何か掘り起こした後がありました。お嬢様達はブレスを持って外に出たようです」
「そうか。兵士たちは?」
「どうやら、プルグ伯爵の方が信頼されているようです。プルグ伯爵様のご命令があるまで動きません、と申しておりました」
「当然だな。ティールはザクセン領内の兵士をまとめる大将の役目も担っていたんだ。そう簡単に忠誠がうつるわけない」
自慢げにいうローマンにロッソはずっと持っていた疑問を口にする。
「プルグ伯爵、このローマンとはどういうご関係で?」
何でも屋とザクセン侯爵家の長男では身分が違いすぎて接点がわからない。このローマンの態度は同等、それより横柄ともいえる態度だ。ティールもそれについて別に気にする様子もない。
「ああ、ローマンは」
「あれ? ヴァレンティーナちゃんじゃない?」
窓の外を見ながらローマンが言うのでロッソとティールも窓を覗き込む。
「どこだ?」
「あれ、いたと思ったんだけど。おかしいな」
「適当なこと言うなよ……」
ロッソが何気なく執務室の入り口へ視線を向けると、そこにはヴァレンティーナと青い顔をしたマリーが立っていた。彼らには見えていないが、マリーの背後には真っ白な馬の精霊も立っていた。
「お嬢様! マリー!」
「ほらほら、言った通り来たじゃん」
「ヴァレンティーナ様、マリーさん、ご無事でよかった」
「あ、ああ。えっと、どういう状況に?」
ヴァレンティーナはちら、と部屋の隅に転がされているオリバー侯爵とハンナに視線をやる。二人とも縄で縛られたまま目を閉じて眠っている。
「それがさ、こいつらが脱税してる証拠の書類をここで見つけちゃってさ。書類突きつけて、ここで朝まで他の証拠品探しと尋問してたんだよ。二人はどこに行ってたの?」
ヴァレンティーナは今度はちら、とマリーの方に視線をやってそれから横に立つ白馬に目を向けた。
「はああああー」
これでもかという大きなため息を吐き出して、マリーはよろよろと執務室の応接ソファーに腰を落とした。白馬もぴったりと横について離れない。
「な、なんだ? おい、マリー」
ロッソがマリーに近づいて様子を伺おうとすると、小さいけれど目につくブレスが左手にあるに気づいた。こんなものしていたか、と聞く前にティールが大声を出した。
「マリーさん! それ! それはっ!!」
左手首を掲げてマリーは涙目で声を絞り出した。
「土の精霊王との誓いの縛り、完了しましたよ」
執務室は男たちの叫び声で大揺れに揺れた。
「えーっと、なるほど。そうか」
プルグ伯爵の家から飛び立たせた伝書鳩の知らせを受け、テオドール王太子がブリュック兵を引き連れてザクセン侯爵家に駆けつけた。オリバーとハンナは地下牢に閉じ込めてあり、これからブリュック城に連れて行き、尋問を行う予定である。
マリーが次の土の精霊王の加護を受けたことを知り、テオドールは頭を掻いた。今までは代々のザクセン家の当主や跡取りが選んだ相手に加護を授けていたと聞くので、今回のような事態は想定外である。
「ヴァレンティーナ嬢、精霊王と話はしました?」
「はい」
「彼? のご意見は?」
精霊王の意思を確認したいとテオドールはヴァレンティーナに聞く。今、部屋にいるのはテオドールとヴァレンティーナの二人だけである。
「あの、あくまでもマリーに加護を与える約束であって、家のことなど知らんと言っていました」
「えっとー。まあ、加護を受けられたのならそれでいい。問題は、これからマリーさんに山ほどの求婚が押し寄せるけれど誰を選ぶかということか」
「殿下はザクセン侯爵家にこだわりはないのですか?」
「代々、ザクセン侯爵家に受け継がれてきた加護であるから重要視していただけだ。今回、このように不正も発覚したことだし権力の長期保持は良くないこともわかった。四大侯爵家の入れ替わりは歓迎するところだよ」
あっさりとテオドールは長年の慣習を変えることを肯定した。国がよくなるならば無意味な慣習は必要ないという姿勢にヴァレンティーナは好感を持った。この王太子が将来、王となればこの国はもっとよくなるだろう。
「マリーさんは、婚約者とかいるのかな」
「いいえ。彼女は私つきの侍女でして、子爵家の娘ですが今のところ決まった相手も嫁ぎたいと思う方もいないはずです」
扉をノックする音が聞こえた。
「入れ」
「失礼いたします」
入ってきたのはティールだった。手に書類を持っていた。
「こちらの書類にも目を通していただきたくお持ちいたしました」
「うん、ありがとう」
淡々と自分の生家の不正を暴いていくティールに、気遣いの視線をヴァレンティーナは向ける。ティールは知らなかったのだろうけれど、知らないことも罪であると処罰に応じる姿勢を感じた。
「プルグ家の養子になったんだっけ?」
「はい。私の実母の実家でございます」
うーん、と顎に手をやってテオドールは唸る。それからぽん、と手を叩いてにっこりと笑った。
「決まり。マリーさんと結婚させよう」
「は?」
ヴァレンティーナは何も言わなかったが、心の中ではそうなるのがいいなと思っていたので知らず頬が緩んでいた。




