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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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シュトロウム7

「あれえ? もうあんまり驚いていないな」

「いえ、声が」

 と言いかけてヴァレンティーナは口をつぐんだ。もう声で分かったなどと言ったら、自分がこの男のことを意識していると思われそうだった。それがなんとなく気恥ずかしくてヴァレンティーナは嫌だった。

 エルドは何もない空中からヴァレンティーナの前に降りてきた。空に瞬く星のように静かにたたずむ。

「俺がティナの前に現れるのは、今回で三度目」

 そう言われてティナは前回のことを思い出す。シュトロウムの街中で、不意にされた口づけが蘇りカッと体が熱くなる。まだ昨日のことだというのに、数日経ったような気持ちになっていた。それというのもこの男の登場が唐突な上にいっ時のことで、さながら白昼夢のようだからだ。

「昨日のはどういうつもりだ」

「どうって?」

「な、何のつもりであんなマネをした」

 接吻などの類の言葉をヴァレンティーナは発することができなかった。伯爵令嬢であり、尚且つアルナダという土地に生まれ育ったヴァレンティーナは、色恋とは無縁の生活を送ってきた。アルナダ領の貴族は傭兵隊に属さなければならないという決まりがある。ヴァレンティーナも初陣は十四歳の時である。初めて人を斬ったのもその時だった。

「何のつもり、ね」

 おかしそうに喉を鳴らして笑うエルドの視線がヴァレンティーナに向いた。瞳が艶を帯び、視線に濃厚な色気を混ぜてヴァレンティーナを射る。

「お、お前は人間ではないのだろ? 精霊か?」

 目の前の男は精霊という非俗物的な響きのある呼び名には、似つかわしくない雰囲気を持っている。どこかの国で聞いた、人を誘惑し堕落せしめる悪魔という存在であると言われる方が納得できた。しかし、このノルニルでは生物以外にあるとされている存在は全て精霊と呼んでいる。ヴァレンティーナはその慣習に従ってエルドに問いかけた。

「さあね。君の王子様にでも聞いてみたら?」

「真面目にっ」

「それよりも土の精霊王の弔いをさっさとしてくれる? 眷属の精霊共がうるさくて仕方ない」

 ヴァレンティーナは握りしめていたブレスを見やる。

「風の精霊はそこまで迎えに来てる。俺が送っていってやる」

「ま、待て。マリーは」

 ヴァレンティーナは思わずエルドの服を掴んで胸元へ入り込んでしまった。

「ふ、必死だな」

 エルドに顎を持ち上げられて二人は三度目の口づけをかわす。一度目は気を失っていたのでヴァレンティーナにとっては二度目の認識だ。

「またね」

 パチン、と風船が弾けるような音がして気づけばヴァレンティーナは、風の吹き荒ぶ建物の屋上にいた。

「あ? え? なんで?」

 横からマリーの明るい間の抜けた声が聞こえ、ヴァレンティーナは安堵した。

「マリー、無事か?」

「ヴァレンティーナ様、どうやってここに来たのですか?」

 戸惑うマリーに言葉をかけようとすると、東の夜空の星がだんだん大きくなっていくことに気づいた。しばらく見ているとそれは星のように光を発しながら飛ぶ、蝶の羽を背中につけた少女だとわかる。エルド の言っていた風の精霊と思われた。

「ヴァレンティーナ様、手が光ってます」

「え?」

 掌を見るとブレスの石は琥珀に輝き、鎖は銀の光沢を取り戻している。それが掌の上で砂状の粒子となって形を失い、空から飛んできた少女の元へ弧を描いて飛んでいった。

『誰かと思えばアルナダの子孫か』

 砂は形を変え立派な雄牛となり、ヴァレンティーナに口を聞いた。土の精霊王はどうやらこの筋肉質な白い雄牛だったようだ。あの立派なツノで刺されたらひとたまりもなさそうだ。

『あら、瞳の色までレクセルにそっくりね。女の子だけど』

 透明で色を持たない風の精霊は、少女の声だが発せられる響きはもう大人の女性の深さがある。

「私はヴァレンティーナ・アルナダと申します。レクセル・アルナダの子孫に間違いありません。あなた方は土の精霊王と風の精霊でしょうか?」

『姿も見える上に声も聞こえるとは』

『本当にレクセルと同じね』

 空に向かって話すヴァレンティーナにマリーは驚いたが、精霊がそこにいるのかと視線を彷徨わせる。

『じっくり話がしたいものだが、もう時間がない』

「あの、次の土の精霊王はどこにいらっしゃるのですか!?」

 ここで手がかりを掴んでおかなければ、とヴァレンティーナは焦る。

「誓いの縛りを結んで頂きたいのです」

『そこに控えておる。土に埋められていたせいで次にふさわしい人間を見つけることができなんだが、ちょうどいい具合の娘が見つかったな』

「え、お、お待ちくださッ……」

 いつの間にかヴァレンティーナの背後に控えていたのは、これもまた毛並みの良さそうな筋肉隆々の白馬である。

『我が命が尽きるまで、この娘マリーが選んだ血統を加護し続けましょう』

 白馬は光に溶けてゆき、光はマリーの手首に巻きついた。

「ええ! な、何ですか!? これ」

 光は次第に収束してゆきマリーの手首には琥珀色の石と銀のブレスが残された。土の精霊王も風の精霊も、もうそこにはいなかった。

「ま、マリー」

「ちょっと、どーいうことですか! これーッ!!」

 静かな夜更けにマリーの絶叫がこだました。

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