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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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アウエの街

「ご老人はなぜこのような場所に?」

 車輪の音に耳を寄せている様子の老人にヴァレンティーナはごく自然に話しかけた。

「人を待っていたら、こんな時間になってしまいましてのう」

 薄汚れたローブを見に纏い、長く伸びた白髪を覆うようにフードを被る老人の言動に、マリーは奇異の目を向けている。あんな人も来ないような森でいったい誰を待っていたというのか。まさか死人ではあるまいか、というマリーの心の声が聞こえてくるようだ。

「そのお人には会えたのですか?」

 ヴァレンティーナの問いかけに老人は柔らかい笑みを浮かべた。伸びた前髪の間から覗く瞳は優しく細められて、光の加減によって灰色に見えたり緑色に見えたりする。

「ええ、会えましたよ。今日は本当にいい日でございます。こうして親切な方々に街まで送ってもらうこともできたのですから」

「それはよかった」

 普段からあまり表情の変化がないヴァレンティーナであるが、老人につられて微笑みを浮かべた。マリーは滅多に見られないヴァレンティーナの微笑に、胸の前で手を組んで感激していた。

 マリーはアルナダ伯爵家に三年前から侍女として雇われる子爵家の娘であった。ヴァレンティーナ付きの侍女であり年も同じであったため、ヴァレンティーナの世話係として一緒にブリュック校へ入学することになっている。

「そちらのお嬢さんは随分とあなた様を崇拝しておられるようで」

 老人の言葉にマリーは顔を赤らめてあたふたさせた。それを見てヴァレンティーナと老人が声を出して笑い、馬車の中は和やかな雰囲気のまま街まで辿りつくことができた。




 スダンの森から一番近い街、アウエの街についた。街の入り口に馬車を預かってもらえる所があったので、そこで四人は馬車を降りた。街の入り口には門兵がいて交代で見張をしている。まばらではあるが人の通りもまだあった。

「じいさん、どうすんの? 家まで送ろうか?」

 ロッソの申し出に老人は首を振った。

「ここまでで十分だ。ありがとう。わしはもういくよ」

「そう? じゃあな、じいさん。お嬢様! 俺は宿をとってきますよ」

「私は馬車に水筒を忘れてきたので、とってきますね! おじいさん、気をつけて」

 マリーとロッソがヴァレンティーナに背中を向けた途端、老人はヴァレンティーナの手を掴み、ちょうどよくそこにあった木製の荷箱の上に座らせた。油断していたとはいえ、老人の思いがけない強い力にヴァレンティーナは驚いた。視界に眩しく光る線が映ったと認識した時には、もう首に何かが巻きついてた。

「お礼だよ。幸運を」

 振り向いた先には、もう誰の姿もなかった。老人は忽然と姿を消していた。

「なん……」

 首元に手をやると小ぶりの銀の首飾りが付けられている事がわかった。六角形の白く輝く宝石が鎖から下がっている。嫌な感じはしないけれど見知らぬ老人からもらった物を首につけているのは、どうにも居心地が悪い。

「ん?」

 ヴァレンティーナは鎖を外そうと留め金を指で辿って探すが、見つからない。

「ヴァレンティーナ様! お待たせいたしました」

「マリー、これ外してくれるか?」

「え? あれ、どうしたんですか? こんなのつけていませんでしたよね?」

 そう言いながらマリーはヴァレンティーナの後ろへ回って首飾りに手をかける。

「ん? んん〜? なんですかこれ。留め金ないですよ。どうやってつけたんですか?」

「仕方ない。ロッソが戻ってきたら切ってもらうか」

 やはり留め金がないのだ。しかし老人はどうやってヴァレンティーナの首にこの首飾りを付けたのか。老人は精霊の類いだったのかもしれない、とヴァレンティーナが思い至ったとき、ロッソがこちらに向かってくるのが見えた。

「お嬢様! 宿が取れましたよ。行きましょう」

 ロッソとマリーに、宿へ行く道すがらに老人から首飾りをつけられた時のことを話した。ロッソは腕組みをして眉間にシワを寄せている。

「申し訳ありません。お嬢様から目を離すべきじゃなかった。もし宿が空いていなかったら、お嬢様をはしごさせてしまうんじゃないかと思って」

「申し訳ありません! 水筒なんかもうどうでもよかったのに! なんでヴァレンティーナ様から離れたりしたの、私!」

「いや、きっと二人がいたとしてもあの人にはこれをつけるぐらい、簡単にできたと思う」

 本当に一瞬の出来事だった。そして老人の姿が消えるのも一瞬のうちだった。

「人間じゃなかったってことですか? お嬢様」

「おそらく。ザクセン領は土の王が治める地。精霊が姿を変えて現れたとしても不思議ではない」

 ここはノルニル国、ザクセン領内のアウエの街だ。ザクセン領主であるザクセン伯爵家は土の精霊王から加護を受けている。

「私、聞いたことあります! 同じノルニル国内なのに、精霊王の属性によって領地の雰囲気が全然違うって!」

 ノルニル国は、王都ブリュックを中心として五つの領地に分けられている。大陸には他に国がいくつもあるが、精霊が人間に加護を与えて成り立っているのはノルニル国だけであった。

「精霊のおかげで平和ボケしてんのは、どの領地の人間も一緒だろ」

 アルナダには精霊王の加護は与えられていない。しかも国境地帯である。他国の侵略から領地を守るため、アルナダの人間は食糧作りと体の鍛錬に余念がない。ヴァレンティーナもマリーも今年十六歳になる。二人とも乗馬や剣術、体術の訓練が優先で、礼儀作法やダンスの練習には力を入れずにきてしまった。

「ノルニルが平和であり続けるのは間違いなく、王族に加護を与え続ける精霊帝と、四大侯爵家に加護を与える精霊王のお陰だ。他国では侵略や戦争が行われていることを、私たちはよく知っているだろう」

 宿についてからロッソはヴァレンティーナの首飾りを検分した。ロッソは二十歳の青年で、マリーと同じく子爵家の人間でアルナダ伯爵家に仕えていた。身軽な青年で腕も立つのでヴァレンティーナの護衛として同行することになった。

「これを切るにはお嬢様まで傷つけそうですよ」

「それは構わないが、精霊からの贈り物ならこのままにしておく方がいいのかもな」

 六角形の石の輝きは悪いものを跳ね返してくれる、神聖な透明さがあった。

「あのおじいさん、悪い人じゃなさそうでしたもんね」

「マリーはともかくとして、お嬢様もそう思いましたか?」

 ロッソはじっとヴァレンティーナの紫色の瞳を見る。それに応えるように瞬きを一つして横でロッソに文句を言っているマリーの肩に手を置いた。

「様子をみよう。大体、私が個人的に精霊に狙われるような理由も思い当たらない」

「いえ、お嬢様。案外、精霊に懸想された可能性もありますよ」

「それはあり得る話です! ヴァレンティーナ様!」

 光を反射する張りのある黒髪に、日差しの下にいても焼けないほど白い肌を持つヴァレンティーナの見目は、精霊に目をつけられてもおかしくないほど美しい。そして、紫の瞳を持つ人間をロッソもマリーも、ヴァレンティーナ以外に見たことがなかった。

「まさか。二人とも欲目があるぞ」

 全く意に介さないヴァレンティーナに、ロッソは頭を掻いてため息をついた。

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