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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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シュトロウム5

 ローマンが窓を破って逃げ、それを追う兵士達が遠ざかる頃、静かになった部屋に残ったザクセン夫妻のもとへ現れた少年がいた。

「ご協力感謝いたします。ザクセン侯爵」

「とんでもございません、マクシミリアン殿下。まったく、国王の使者を名乗るなど不敬の極み。ティールの友人などとでたらめにも程がある。あやつを捕らえてこの窓の修理費用を請求せねば」

 角ばった厳つい顔を歪ませザクセン侯爵は破れた窓を見ながら悪態をつく。息子に確認もせずにマクシミリアンの言うことを鵜呑みにする侯爵は、しきたりや権力を盲目的に信じている男のようだ。

 馬鹿な男だ、とマクシミリアンは思う。妾の女が精霊王の加護を受けているという事実を隠したのは、外聞が悪いから。そんなことをしなければ父であるカリグラ公爵に目をつけられることもなかっただろう。ザクセン侯爵はカリグラ公爵に弱みを握られているのだ。

「して、次の土の精霊王はいつ我らの前に現れるのでしょう?」

「娘と早く契約していただきたいわ」

 ハンナは歳も歳だというのに身をくねらせて、たいした容姿でもないマクシミリアンに色目を送ってきた。堅物の色恋も知らないザクセン侯爵は、この女の下心ありありの蛇踊りに絡めとられてしまったということだ。長男のティールを見たことがあるが、あちらの母親の方が正妻に相応しかっただろうというのが容易に想像できた。

「慌てられるな。今、国王陛下と皇太子殿下が策を講じている」

 その策であるアルナダの伯爵令嬢を侯爵は自ら追い返したのだ。本当に馬鹿な男だ、とマクシミリアンは内心せせら笑う。

「私も先ほどの賊の後を追います。兵を借りますがよろしいでしょうか」

「問題ありません。我らの兵はきっとお役に立ちましょう」

 礼をして退出し、庭を抜ける途中でマクシミリアンは庭の隅の方に盛り土のようになっている場所を見つけた。妾の女がしていたブレスが埋まっているのだろう。土に埋めるように命じたのは父である。おかげでザクセン領内は地震と地割れに見舞われている。

 誰が書いたのか分からないノルニルの文献を父は持っている。文献は同じものが二冊存在し、一冊はカリグラ公爵が秘密裏に保持し、もう一冊が城の書庫に保管されていた。その本の重要な箇所にインクをかけて読めなくしたのはマクシミリアンだった。父であるカリグラ公爵に命じられて精霊王の代替わりについてや弔いの仕方など、全て読めなくした。

 カリグラ公爵が持っている文献に、土の精霊王の加護を受けた証をどうすべきか書いてあった。やってはならないこともしたためてあり、それが土に埋めることであった。土に埋めれば負の気が眷属である土の精霊達に伝わり、崩壊を起こすだろうということだ。

 そろそろ民が怒りだし、ザクセン侯爵の屋敷に押し寄せるだろう。何の策も見出せない侯爵は四大侯爵家から引きずり下ろし、王弟一派の中の貴族を新たにザクセンの領主として立てる。それから正しい方法で精霊王を弔えば、この災害もなくなり民も新しい領主を認めるだろう。そうやって四つの領地を掌握し、最後には国王を蹴落としてしまおうという算段だった。

「そのためには、あの女を始末しなくては」

 精霊が見えるというアルナダの令嬢は見過ごせない。新しい精霊王を見つけられて先に契約されては困るのだ。

 マクシミリアンは用意された馬に乗ると、屋敷の前に集まっていた兵たちと共にシュトロウムの街を行進した。




 ティールは鳩の足に手紙を括り付けて屋上から飛ばした。方角はブリュック城のある北西だ。

「ありがとうございます。プルグ伯爵」

「ティールで構いません。ヴァレンティーナ様」

 この手紙を見て、テオドールがこちらに来れるかどうか分からない。来るのを悠長に待っている時間もないような気がした。

 夜風が通り抜け、ヴァレンティーナの美しい黒髪を夜空に散らばした。ティールはしばしそれに見惚れたが、我に返ると少し早口で話し始めた。

「母のブレスは父とハンナ様が持っていってしまいました。おそらく、この地震の原因は間違った方法でブレスを処分したのでしょう。母は亡くなる直前に、私にブレスをどうするべきか教えてくれました」

 屋上から部屋へ戻る道すがらティールはヴァレンティーナにその方法を教えた。

「土の気を鎮めるには対極の風の精霊の力がいるそうです。埋めるのではなく、常に風の当たる場所に置いておくことが必要だと」

 新しい土の精霊王の手がかりが見つからない今、さしあたってこの地震を止めることが先決だ。ザクセン領内の村や町、農地にはすでに甚大な被害が出ているだろう。しかし、あのヴァレンティーナ達を門前払いにしたザクセン侯爵が話を聞いてくれるとは思えなかった。

 それをティールに相談しようとすると、ちょうどローマンが湯あみを終えて部屋に戻るところに出くわした。

「うまいこと飛んでったか?」

「ああ。あの鳩は王太子殿下の所にいたからな。古巣へ向かってまっすぐ飛んで行ったよ」

「そうなのですか?」

「ええ。妹達の付き添いで王城へ行った際に私個人が殿下から貰い受けたのです。何かあれば使ってくれと」

 テオドールの根回しのよさに驚いた。ザクセン侯爵ではなく、このティールが味方につくと確信がなければできない判断だろう。

 ローマンも交え、先ほどティールに相談しようとしたことを話した。

「それは問題ない。あの門前払いした執事、あれはティールの腹心の部下だ。ティールはあいつから連絡をもらって、追われている俺と合流できたんだ。あいつに頼めば埋められた場所も分かるだろう」

「あの人が?」

「彼は私が赤ん坊の頃から側にいてくれる人でして。何があっても私の味方でいてくれます。君達を門前払いしたのは、屋敷内に囚われるのを防ぐためでしょう」

 ヴァレンティーナ達は明日の夜、ザクセン侯爵家の屋敷へ侵入することを決めた。

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