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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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シュトロウム4

 シュトロウムの街の中心にはザクセン侯爵の屋敷が建てられている。シュトロウムの街の入り口である正門から大きな道が街の中心部まで続いていて、途中の噴水広場を抜けてしばらく歩くと屋敷に突き当たる。宿はその道の正門から噴水広場へ行く道中にあった。

 ローマンに連れられて着いた場所は、ザクセン侯爵家ほどではないが立派な屋敷だ。ザクセン侯爵家の屋敷から北東に位置していたので移動するのに少し時間がかかった。夜もふける頃、三人は追手を完全に巻いてその屋敷に辿り着くことができた。

 闇に紛れて三人が屋敷を囲む塀を乗り越えて中に入ると、可愛らしい白い花と紫の花が出迎えてくれた。家庭菜園をしているようで、畑にはハーブや苺の苗が見られた。

「お前の母親でも住んでるのか?」

 若い女性というよりも年配の女性が好みそうな趣の庭園だったので、ロッソはそう聞いた。

「……確かに母親みたいな人だったかもな」

 答えるローマンは節目がちに笑みを浮かべてから、庭から続く屋敷のテラスへ上がり、白木で縁取られたガラス戸を遠慮なく開けた。

 そこには席についてパンにかじりつくヴァレンティーナの姿があった。もぐもぐと一生懸命パンを飲み込んで水を飲み干し、何事もなかったかのように手をあげた。

「三人とも無事でよかった」

 その姿にロッソとマリーは脱力してその場に蹲み込んだ。

「お、お嬢様」

「無事でよかったー」

 ヴァレンティーナは立ち上がり、二人の元へ行って肩に手を置く。

「すまない。心配かけてばかりだな」

「無事にあいつと会えたみたいだね」

 そう言いながらローマンが部屋に入り、側にあった長椅子に腰掛けた。ヴァレンティーナはロッソにテラスの窓を閉めさせる。

「ああ、彼のおかげで助かった。ロッソ、マリー、こちらがこの屋敷の主人、ティール・プルグ伯爵」

 部屋の隅に控えていた背の高い青年が近づいてきた。小麦の穂のような色をした短髪で精悍な顔つきをしている。年はロッソと同じぐらいに見える。

「正面から出迎えてやれなくて申し訳ない。事情はヴァレンティーナ嬢とローマンから概ね聞いているよ」

 伯爵という身分にも関わらず、ティールは二人に対して気遣う言葉をかけてくれた。

「兵士が宿を取り囲んでいて、私が立ち往生していた時にいらしてくれたんだ。伯爵がいなければ捕まっていた」

「いいえ。今回のことは本当に申し訳なく思っております。まさか国王からの使者を、それもアルナダ伯爵のご令嬢を追いかけ回すなど身内として恥ずかしい」

「身内?」

 この人の名前はプルグ伯爵であるが、ザクセン侯爵家と何かつながりがあるのかとマリーはティールの顔をじっとみる。その無遠慮な視線にティールは、くすりと微笑んだ。マリーは気づいて顔を伏せて謝る。

「あ、失礼いたしました。不躾に」

「いや、大丈夫だよ。とても正直な方だね」

「はい。彼女はとても正直で可愛い子です。なので、今回の件についてここで全員に説明して頂いてもよろしいでしょうか」

「あれ、怒ってんの?」

 ローマンがヴァレンティーナの言葉尻に少し険があるのを聞き逃さなかった。そばに立っていたロッソにこっそり聞くと、ロッソは無言で頷いた。

 ヴァレンティーナは目的を達成するために最短の方法を探そうとする。人間関係によって目的達成に遅れが生じることを嫌うところがあった。あまり感情的にならないという長所でもあるが、人間の機微を知らない短所とも言えた。

「もちろんです。私の前の名はティール・ザクセン。ザクセン侯爵家の跡取りとして育てられました」

「どっかで聞いた名だと思った」

 ロッソが呟いた。ザクセン家には子供が三人いてティールが長兄であり後二人は妹だったと記憶していた。噂では控えめで真面目な青年であり、ザクセン家の後継ぎとして好意的に見られていたはずだ。

「つい数週間前に母が亡くなり、プルグ家の一人娘であった母に代わって私がこのプルグ家を継ぐことになりました」

「亡くなった? では、ハンナ様は……」

 確かハンナはザクセン侯爵の正妻であったはずだ。土の精霊王からの加護も得ている。

「私の母の名はアニカ・プルグ。父オリバーの妾です。しかし、正妻のハンナ様よりも先に私を生み、その後も彼女は男児を産めなかったことから、私はザクセン家の跡取りとして育てられました」

 それがこの冬の終わり頃から急に雲行きがあやしくなってきたという。冬の終わり頃といえば王から四大公爵家に精霊の代替わりの通達があった頃だろう。ザクセン家に頻繁に王家の紋章入りの馬車が出入りするようになったという。

「突然、父から家督を妹の婿に継がせると言われました。そして私は母のプルグ伯爵家を継ぐように、と。すでに養子縁組まで行われていて、私はザクセン家を追い出されました」

「なるほど。精霊の代替わりが行われるならば、ザクセン家の血を引く娘に契約をさせればいいと思ったのだな」

 ヴァレンティーナはテオドールの話を思い出す。契約を結んだ精霊王の言葉によって、加護は現在まで続いてきた。現在の精霊王がいなくなるのなら、代替わりした新たな精霊王と新しい契約を結んでしまえば問題はない。

「もしくは、精霊との契約など必要ないと吹き込まれたか」

 ローマンの言葉にティールは唇をひき結んで視線を地面に向けた。

「そうかもしれません。精霊王の加護を受けていたのはハンナ様ではなく、私の母アニカの方でした。母が亡くなったときに精霊の加護は引き継がれず、ブレスは力を失いました。正妻であるのに加護を受けられなかったハンナ様は、この精霊の加護を疎ましく思っていたのは間違い無いでしょう」

 ヴァレンティーナ達は呆れ果てた。ブリュック城での報告にはハンナのブレスが力を失ったとあった。しかもアニカが亡くなった後に力を失ったブレスのことをすぐに報告せず、放っておいたのだろう。しかしあの地割れが頻発するようになり、ようやく王に報告を寄越したのだ。

「私は屋敷に出入りする王家の使者を、ブリュック城で見ました。王の弟、カリグラ公爵の息子であるマクシミリアン殿下であったと……」

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