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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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シュトロウム3

 一瞬凍りついたヴァレンティーナだったが、すぐに腕を動かして相手の胸を押し返そうとした。それよりも早く手首を掴むとエルドは口づけを深めた。

「んーっ、ん」

 抗議するように唸り声を上げるとエルドはようやく唇を離した。

「ふーん」

「ふーんってなんだ!?」

 顎に手を当てて思考に没入しかけたのは一瞬で、エルドは狼狽するヴァレンティーナに流し目を寄越した。微笑の乗った口元から涼やかな声が発せられる。

「やはり、悪くない」

「はあ?」

 パチン、とエルドが指を鳴らした途端、路地から仕事帰りの中年の男性が出てきた。

「おっと失礼」

「いえ、すみません」

 ヴァレンティーナが顔を上げるとエルドの姿は、やはりなかった。周囲をぐるりと見回しても見当たらないので、仕方なくヴァレンティーナは宿へ向かった。

 道中に家から時折聞こえてくる話し声や、食器の音の生活音にひどく安堵した。




 またもヴァレンティーナを見失ったロッソとマリーは愕然とした。二人の間を歩いていたはずのヴァレンティーナが瞬き一つの間にいなくなってしまったのだ。探したいところだが乱暴な足音と剣を抜き放つ音が迫ってきていた。

「後ろは俺が持つ。宿まで走れ!」

「わかった!」

 二人は夜の街を駆け抜けた。いつの間にか先回りしていた男が二人、右手の方からマリーの前に出てきた。二人とも同じ鎧兜を身につけ、剣の鞘には同じ紋章がぶら下げられている。真ん中に秤、それを囲うように両側に稲穂が描かれている。

「こいつら、シュトロウムの兵士だわ!」

「殺すなよ! 後で問題になる!」

 マリーはまず一人の懐に入り込み、顎を掌底で突き上げた。それからもう一人は剣の柄を鳩尾に突き立てた。よろめく彼らの横を二人は駆け抜ける。

「殺すなって、これじゃ宿で袋叩きに会うんじゃ」

「お嬢様も宿に向かっているかもしれん。とりあえず向かうぞ」

 追ってきているのがシュトロウムの兵士だとわかると、人通りのあるなしは関係ない。兵士が武器を持って走っているのを見ても、街の人たちは真面目に仕事しているなぐらいにしか思わないだろう。

 路地裏を走り追手がいない方を選んでいるうちに、とうとう袋小路に追い詰められた。追いかけてきていた兵士達が続々と二人の前に集まってくる。

「増えている気がするわね」

「街の中にいた奴らも加わったんだろ」

 十数人、ロッソは数えるのも煩わしく思う。相手も相当に息を切らせて汗を滴らせているが、袋のねずみとなった二人を見て愉悦の表情を浮かべている。

「殺さないのは難しくない?」

 剣の鞘を少し抜きながらマリーはロッソに許可を求める上目遣いをした。確かに殺さずに相手の動きを封じるには、相手の気を失わせる力が必要だ。それなりに訓練されたこの人数の兵士を相手に失神させようとするには、単純にマリーの腕力が足りない。ヴァレンティーナを探さなければならないので時間もない。

「まあ、一応マリーも女だからな」

「一応って何よ。正真正銘の淑女よ」

 まあ、死なない程度ならとロッソが言いかけたとき、最前列にいた兵士の肩に弓が当たった。ちょうど鎧と鎧のつなぎ目に命中している。

「よ、お二人さん。無事?」

 片手を上げて軽く声をかけてきたのはローマンだった。屋根の上に立ち弓を携えている。

「ローマン!」

 マリーはロッソが組んだ手の上に乗って飛び上がった。ローマンが屋根の上から手を伸ばしてマリーを屋根の上に引き上げた。

「どうしてここに?」

「いやあ、王の使者が他にもいたみたいで。偽物扱いだよ」

「おい! 手をかせ」

 下にいるローマンはまだ残っている兵士をいなしながら、ローマンに怒鳴りつける。

「ちなみに後から来た兵士は俺を追ってきた奴」

「増えたのはお前のせいか!」

 ロッソの背後をとった兵士が剣を振り上げる。その剣が振り下ろされる前にローマンの矢が腕を貫いた。ロッソが振り向きざまに回し蹴りをくらわせて相手を地面に叩きつける。

「まあまあ。アルナダの狼にはこれぐらい朝飯前だろ」

「ああ?」

「ロッソ、つかまって」

 険悪な視線がぶつかり合うのを嫌って、マリーがロッソに手を差し出した。

「必要ない」

 ロッソはそういうと兵士の肩に飛び乗り踏み台にすると、屋根の上に軽く飛び乗った。

「少しは情報持ってきたんだろうな。何でも屋」

「そっちこそ、ヴァレンティーナちゃんがいないみたいだけど?」

 痛いところを突かれてロッソは黙り込む。ローマンはふ、と息を吐いてからマリーとロッソを促す。

「来いよ。案内してやる」

 琥珀色の瞳を浮かび上がらせて夜の闇に立つ姿がサマになっていた。下で兵士が騒いでいる声が聞こえなくなるほど、ローマンの所作には相手を惹きつけるものがある。

「ヴァレンティーナ様と一緒なの?」

「いや。宿へ行こうとしたら君らが追いかけられているのが見えたから。ヴァレンティーナちゃんの迎えはあいつに任せた」

「「あいつ?」」

 どうやらこの街にはローマンが頼りにする者がいるようだ。ロッソとマリーは顔を見合わせて、ローマンの顔へ視線を戻した。今のところ、ローマンについて行く以外に道はなさそうだ。

 三人は屋根をつたって、兵士の手を逃れた。

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