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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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再会

『土の精霊王さまはいなくなってしまいました』

『次の精霊王さまは怒っておられます』

『弔いを済ませなくては』

『急いで』




 ヴァレンティーナは飛び起きた。起き抜けに頭に響いてきた声は夢にしてははっきりと耳に残っている。とても重要な内容だったはずだ。

「助かったのか?」

 草の匂いと風に揺れる木々の音に安堵感を覚える。ヴァレンティーナが横たわっていた場所は草の生える木の根本で、そう深くはない森の中であった。ブナの葉の隙間から日差しが所々落ちている。まだ日が暮れていないようだ。

 それから、ヴァレンティーナは意識を失う前に一緒にいた男の姿を探した。地上に自分がいるのは間違いなく彼のおかげである。しかし森は静かで、時折鳥の声がする以外に何の気配もなかった。

「ここはどこの森だ?」

 ヴァレンティーナはゆっくりと立ち上がり、どこか野宿できる場所を探すために歩き出した。日差しが少し陰ってきたのを感じたので、おそらく日暮れが迫ってきている。土地勘のない場所で歩き回るのは危険であるが、人も通らなさそうな森だ。地下で出会った男はどうも近くにいなさそうなので、一人で森で過ごす必要があるだろうとヴァレンティーナは判断した。

「精霊でもいれば道を聞けるんだけどな」

 ブリュック城で精霊の姿と声がわかるようになったが、テオドールの鷲の姿をした精霊リーを見て以来、とんと精霊の姿を見ていない。もっとあちらこちらにでもいるのかと思っていたが、実際はそうでもないらしい。なぜあの王の間にはあんなに精霊が集まっていたのだろう、とヴァレンティーナは不思議に思った。

「うん?」

 気配を感じてヴァレンティーナは立ち止まり、周辺をぐるりと見回した。かすかに馬の嗎と、車輪の音がした。

「誰かいる!」

 ヴァレンティーナは耳を凝らして音の聞こる方角へ向かって走り出した。すこし開けた場所まで出ると右側から二頭の馬が走ってくるのが見えた。

「おーい! 止まってください!!」

 両手を広げて静止するが一向にスピードが緩まないので、ヴァレンティーナは横に飛び退いた。御者席にいる人物が叫んだ。

「ヴァレンティーナ様!」

「なに!?」

 馬車の扉につかまって剣を抜いていた男が振り返った。ロッソだった。

「お嬢様! マリー、早くとめろ!」

「とまんないー!!」

 あまりマリーは馬車の扱いが得意ではない。というか騎馬しか習ったことがなかったはずだ。ここまで馬車を無事に操ってこれたことはなかなかの奇跡であった。

「かせ!」

 ロッソが御者席に飛んでくると手綱を引いて軽々と馬をとめた。

「お嬢様!」

「ヴァレンティーナ様!」

「ロッソ、マリー!」

 三人は抱き合って再会を喜んだ。マリーはヴァレンティーナの手を握り締めてしゃくり上げた。

「よかった! もう本当にっ、ヴァ、ヴァレンティーナ様が土と一緒に落ちていってしまって……! よかった、生きてるぅ」

「お嬢様、一体どうやって助かったんですか?」

 ヴァレンティーナは胸元から首飾りを取り出してロッソに見せた。

「これのおかげかな。地下の空洞に砂と一緒に流れ出たんだ」

「そこからは?」

 マリーが涙を拭きながら尋ねる。

「そこからは……」

 先に続く言葉は出なかった。考えあぐねる様子のヴァレンティーナにロッソは無理に聞き出すことはしなかった。

「お嬢様、助かったのは本当によかった。なんですが、ちょっと見過ごせない相手に馬車を盗られるところでして」

 ロッソはもう一つ腰にさしていた短剣を次の瞬間に手から放った。それはそっと逃げ出そうとしていたローマンの鼻先をかすめて、高い音を立てて木の幹に突き刺さった。

「どこへ行く。まだ勝負の途中だろう」

「感動の再会を邪魔しちゃ悪いだろ。俺なりに気を使ったんだが」

 印象的な琥珀色の瞳を見て、ヴァレンティーナはすぐに彼がブリュック城で自分を襲った人物だと気付いた。ヴァレンティーナはローマンに近づいていく。

「ヴァレンティーナ様? ちょっと」

 戸惑いながらマリーも後を追いかける。何かあれば自分が盾になるつもりでそばを離れない。

 ローマンは特に構えるわけでもなくその場に立ち、ヴァレンティーナが目の前に立つのを黙って待った。

「頭の怪我は平気ですか?」

「あ?……ああ! 皿を頭にぶつけたことですか。平気ですよ。少し痛みますがこのぐらいなんてことありません」

 ヴァレンティーナはにっこりと微笑んだ。美少女の部類に入るヴァレンティーナに目の前で微笑まれ、ローマンも気を緩ませて笑う。

「では、遠慮なく」

 殺気もなく流れるようにローマンの首筋に短刀を押し付けたヴァレンティーナの周囲は、温度がぐっと下がったようだ。護身用の短刀だが、動脈の場所さえ知っていればそれで十分であった。マリーやロッソもヴァレンティーナの静かな所作に冷や汗が流れる。

「なんの目的で私を襲ったのですか?」

「俺は依頼を受けただけですよ。それに依頼からは手を引きましてね。俺の手には負えないので」

「なぜここにいるのです?」

「依頼主から追われている途中に、この馬を見つけまして。まあ、拝借するのは失敗しましたが」

 ローマンはロッソの方に視線をやる。

「俺たちは地震で逃げた馬を追って来たんです。そしたらこいつが馬車ごと持って行こうとしたんで。一戦交えてたところにお嬢様が現れたんです」

 ふん、とロッソは鼻を鳴らして機嫌悪くローマンを睨み返した。

「ということは、あなたにはもう私を狙う理由がないということでしょうか」

「まあ、そうですね。なんならあなたが俺を雇いますか? 俺を雇った奴らから俺がお守りしましょうか?」

「はあ? そんな必要ねえよ! 大体、お前を信用なんかできるか!」

「お前に聞いてない」

 ローマンは首筋に刃を当てられたまま、ヴァレンティーナの手をとった。

「いかがですか? 俺は役に立ちますよ」

「わかりました」

「は!?」

「ヴァレンティーナ様?」

 驚愕と呆れが混じった声を上げた二人に対し、ヴァレンティーナはまた先ほどのように笑みを浮かべた。

「大丈夫。次はないから」

 首筋の刃がローマンの首に食い込んだ。皮膚が切れる寸前の絶妙な力加減である。

「分かった! 分かりました! 二度と襲いませんからどうぞ刃をお収めください!!」

 悲鳴のような声を上げるローマンに対して、ロッソもマリーも同情の念は全く抱かなかった。

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