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紫眼のヴァレンティーナ  作者: 吉田 春
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始まり

 領地の境目にある山を越えて、馬車は王都ブリュックを目指していた。雪の季節は終わったけれど、まだまだ春の雪が降る季節だ。残雪が所々残る荒れた山道をようやく下りおえ、あとはこの森を抜ければ宿のある街が見えてくる。

「ヴァレンティーナ様、私もうダメです」

「もう少しの辛抱だ、マリー。森には野生動物と盗賊が潜んでいる。休むなら街まで行かなくては」

 マリーは目に涙を溜めながら横に座るヴァレンティーナの肩に頭をもたれかけている。ヴァレンティーナはそっとマリーの頭に手をやり、その栗色の髪を撫でた。潤んだ瞳でマリーが見上げたその先には、アメジストのように輝く紫の瞳があった。漆黒の髪が光を反射してきらめいている。

「ああ、ヴァレンティーナさまっ! もう止めて止めて! 無理よ無理!」

 まだ動いている馬車の扉を開けて飛び降り、マリーは茂みの中で恥じらいもなく口から黄金色のブツを吐き出した。

「おうえーっ」

「大丈夫か? マリー」

「近づかないで! ヴァレンティーナ様! 私、すごい匂いですし、お召し物が汚れてしまいます」

 そんなマリーの制止など意に介さず、ヴァレンティーナはマリーの隣に座り、背中をさする。

「すまない。無理をさせた。休みなく走り続けたせいだな」

 マリーの体が嬉しさと恥ずかしさで熱くなる。顔を赤らめているマリーにヴァレンティーナは動物の皮でできた水筒を差し出す。

「ありがとうございます」

「少し休むか?」

 キラキラと目を輝かせているマリーに、馬車の御者が呆れた様子で口を挟んだ。

「ったく、お嬢さまに世話かけんなよ! マリー!」

「わかってるわよ! ロッソ!」

 マリーは立ち上がって下葉を踏み荒らしながら御者であるロッソに近づいていく。

「だいたい、あんたの下手くそな手綱捌きのせいで気持ち悪くなったのよ! 謝りなさいよ」

「はあ? なんで俺が。つーか、アルナダの侍女が馬車酔いなんかしてんじゃねえよ。お嬢様のお手を煩わせて。恥ずかしくないのか」

 アルナダの、という言葉にマリーはぐっと言葉をつまらせた。

 国境の地、アルナダ。隣国との国境にある領地は戦の前線の地。たとえ女や子供であっても有事の際には戦わざるを得ない環境下にあった。

「馬車酔いの訓練は受けていないわ」

「気が抜けてんだよ。気を張っていたら酔ってなんかいられない」

「二人とも、そろそろ行こう」

 ヴァレンティーナが周囲を見渡しながら二人の背後から声をかけた。

「お嬢様、申し訳ありません」

「ヴァレンティーナ様、私のせいで……」

 二人が頭を下げるのはアルナダを治める伯爵の娘、ヴァレンティーナ・アルナダであった。漆黒の髪を耳の後ろで一つに束ね、白いシャツと黒色のズボンを履き、上に灰色がかった緑の外套を羽織る姿はおよそ貴族の娘とは思えなかった。

「馬でよいと言ったのに、父上が馬車にしろと言うのが悪いのだ。馬ならばマリーも酔わなかっただろう」

「いや、お嬢様。さすがに伯爵家のお嬢様が馬で王都入りするのは悪目立ちします」

 ヴァレンティーナ達は領地であるアルナダを離れ、王都ブリュックを目指していた。これからヴァレンティーナは王都にある貴族の学校、アリア・ブリュック校へ入学しなければならない。ほとんどの身分の高い貴族は王都に別邸を持っていてそこから通うのだが、アルナダ伯爵は別邸を王都に持っていなかった。三年間、ヴァレンティーナは寮で暮らすことになる。

「アルナダ出身というだけで馬鹿にされると伝え聞いた。今さら馬で城に乗り付けたところで落ちる評判はない」

「誰も城に乗り付けるとは言ってませんよ。お嬢様ならやりかねないところが恐い」

 それぞれの領地にも学校はある。ヴァレンティーナもアルナダ領地の学校に通うつもりでいた。今回は王命が下ったため、気乗りしないではあるがブリュック校へ入学することになったのだ。

「……誰かいる」

 ヴァレンティーナは低く呟くとマリーとロッソに目配せをした。二人は軽く頷いてヴァレンティーナを囲いながら、数メートル先の草むらへと近づいていった。ロッソが腰に下げている剣の柄を握る。

「誰だ? 出てこい!」

 茂みに声をかけるとガサリと音がして緑の葉の中から人間の手が伸びてきた。反射的に剣を抜きかけたロッソの柄をヴァレンティーナは慣れた様子で押さえた。

「待て、ロッソ。御老人のようだ」

 力なくその手は葉の上に落ち、動く様子はない。ロッソとマリーは茂みを分けてその手の主を引っ張り出した。老人は男で、目を閉じたまま力なく地面に倒れた。

「これを」

 木の幹に老人を座らせるとヴァレンティーナは老人の口元に水をやって飲ませた。ゴクリ、と喉がなり老人は水を何口か飲んだ。

「喋ることはできますか?」

「……ごほっ、ありがとう。ここはどこだい?」

 意外にもしっかりと話す老人にヴァレンティーナはほっとした。

「ここはフィヒデル山地への入り口、スダンの森ですよ」

 陸路でアルナダ領から他の領地へ向かうには、このフィヒデル山地を超えてザクセン領へ入るしか方法がない。海路もあるが時間も金もかかるので陸路が一般的であった。ヴァレンティーナ達も朝日と共にアルナダからフィヒデル山地に入り、日が沈む前にこのスダンの森を抜けるつもりであった。

「じいさん、あんた一人? こんなとこで何してんだ? もう日が暮れるぜ」

「ヴァレンティーナ様、私が言うのもなんですが、そろそろ行かないと」

 ロッソとマリーの言葉を受けてヴァレンティーナは老人に提案をした。

「よければ私達と一緒に街へ行かれませんか? こんなところでお一人だと危ない」

「あぁ、すまないねぇ。頼んでもよろしいか? 親切な方々に会えてよかった」

 ロッソが手を貸して老人を馬車に連れて行く。マリーはそっとヴァレンティーナに耳打ちする。

「もしもの時は……」

 馬車を血で汚すかもしれないということを仄めかすマリーに、ヴァレンティーナは老人の背中を見つめながら頷く。

「あのご老人、悪い人ではないと思うが、変装の可能性もなくはない。気は抜かないようにしよう」

「はい」

「お嬢様! マリー! 早く乗ってください‼︎」

 森の中は日差しが届きにくい。すでに薄暗くなり始めた森の中を冷たい風が通り抜けていく。馬車は速度を上げて森の闇を振り払いながら街への道を急いだ。

 

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