表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

【コミカライズ】「何でもいい」と仰いますけど

作者: 立草岩央
掲載日:2022/01/03

「王家からの申し出、ですか」

「そうだ。王族の面目を潰す訳にはいかない」

「本当に、それで宜しいのですね?」

何でもいい(・・・・・)だろう。文句を言うな。お前に決定権などない」


投げやりな態度で、侯爵貴族のラモラ・レングルスは言い放つ。

何でもいい。

飽きるほど聞いた言葉だ。

同じ侯爵貴族であるエリア・ファロウは、婚約者である彼の声に思わず視線を逸らした。


貴族同士の婚約など政略が主。

恋愛で結ばれるものなど、そうそうない。

基本的には親同士の言いなりで起こりえるものばかり。

エリア自身も、同じことだった。

貴族令嬢として生まれた以上、嫁ぐことにこそ存在価値がある。

そうでなければ、女に生まれた意味などない。

両親からそう言い聞かされ、彼女はレングルス家と婚約した。


しかし、お相手であるラモラは偏屈な人物だった。

何より自分のペースを乱されることを嫌う。

下手なタイミングに声を掛けると、一気に不機嫌になるのだ。

と言うか、良いタイミングがない。

元々、彼自身も婚約そのものに興味がなかったのかもしれない。

どれだけエリアが着飾っても、何を提案しようとも、何でもいいと言って投げ打ってしまう。

だからこそ、彼女の口数も減っていった。

婚約して時期も経っていないというのに、既に二人の関係は冷めかけていた。


そうしたある日。

ラモラへやって来たのは、王家からの婚約の申し出だった。

お相手は王家出身の王女。

時期が悪すぎたのだろう。

入れ違いにも近く、王家にこちらの婚約事情が知られていなかった事も原因だった。

だが王家からの申し出を断る訳にはいかない。

そう言ってラモラが出した決断は今の婚約者、エリアとの婚約破棄だった。

断ろうと思えば断れる筈。

だがそんな意志など一切見せず、彼は何でもいいと言うだけだった。

自分との婚約は、その程度のものだったのか。

分かっていた事だが、エリアは仄暗い感情を抱かずにはいられなかった。


「ラモラ様はそうやっていつも、何でもいいと仰るばかりでしたね」

「……」

「分かりました。その婚約破棄、受け入れましょう」


そうして彼女は、レングルスの屋敷で破棄の書類にサインした。

別に惜しくもない。

利益を考えた上での行動。

これも政略の一つだ。

寧ろ清々したような気分さえあり、彼女はファロウ家に舞い戻った。

帰ってきた当初、両親には酷くなじられたが、それならば王家に直談判すれば良いと言うと揃って言葉を呑み込んだ。

権威を第一に考える両親が、わざわざ王家に敵対するような発言をする訳がない。

誰も彼も、情けない。


「結局、私の事なんてどうでも良かったのね」


自室に舞い戻ったエリアは、ドレッサーに映る自身の顔を見る。

悲しい様子は何一つない。

まるで人形のように凍り付いた表情だけが、そこにはあった。

それだけ自分は心を擦り減らしていたのだろうか。

元々どんな顔をしていたのかも、彼女は忘れてしまっていた。


そうして数ヶ月後。

元婚約者であるラモラの婚約は、正式に執り行われたという。

正直興味もなく知った事ではなかったが、そんなエリアにも一報が届いた。

母から手紙を受け取った彼女は、怪訝そうな顔を隠せずにいた。


「王家からの紹介?」

「えぇ。何でも先日の婚約破棄について、示しを付けたいとか」

「……」

「勿論、引き受けてくれるわよね。だって、嫁ぐことに意味があるんだから」


母はにっこりと笑う。

打算的な笑みだ。

幼少の頃からいつも、彼女は権力ある人間に嫁ぐことこそが義務であると聞かされていた。

一度は破棄された婚約、それを取り戻すことが出来て心底安堵しているらしい。

エリアは溜息を堪えた。

それは決して、母だけが問題という訳ではない。


相手は公爵貴族、ハイムバッハ家の当主。

若くして家督を継いだとは聞いていたが、気にすべきなのは曰くつきであるという事だ。

人の心が理解できない人形。

氷のマリオネット。

その人物の異名は、エリアの耳にも届く程だった。


分かっている。

こんなものは、ただの厄介払いでしかない。

示しを付けたいという王家の言い分は建前だ。

そして両親にとっても、相手が誰であろうと構わない。

令嬢としての役目さえ果たしてくれれば、何だっていいのだろう。

エリアに拒否権などなかった。


「大丈夫……もう、期待なんてしない……。期待なんか……」


すればするだけ後が辛くなる。

裏切られる。

ラモラとの婚約破棄で彼女は学んでいた。

寧ろ相手がそういう類の人間であると分かっていれば、ある程度の覚悟はできる。

もう、何も考える必要はない。

そうして十数日が経ち、彼女はハイムバッハ家の屋敷に足を踏み入れた。


「エリア様、ようこそお出で下さいました。心より感謝申し上げます」

「いえ。こちらこそ、よろしくお願い致します」


交易の要でもある領土を治めるハイムバッハ家の屋敷は、広大で華美なものだった。

喧騒もなく、静かでゆったりとした時間が流れているようにも感じられた。

そんな中、彼女は張り付けた笑みで答える。

心が動くこともない。

動かさない。

執事に屋敷の中に通されながらも、エリアはあくまで仮面を被り続ける。

すると不意に、執事が口を挟んだ。


「エリア様、まず初めに申し上げます」

「……?」

「当主様に無礼がございましたら、何なりとお申し付けください。私達は、そのような事態が起きた時のために自らを諌めるよう、当主様直々に命じられております」

「ぶ、無礼?」

「左様でございます。どのような些細な事でも構いません。私達は当主様の従者であり、婚約関係となりますエリア様の従者でもあります。どうぞ、お好きなようにお使い下さい。当主様からも、そのように命を受けております」


よく分からない事を言われる。

無礼があれば直ぐに申し出るようになど、普通は忠告されない。

しかも当人である当主が自らそのように命じているのだ。

まるで自分の行動が、他人にどんな思いをさせているのか理解できていないようにすら感じられる。


(改めてそんな事を言われるなんて……それだけ危険、という事……?)


心の分からない化け物とは、一体何者なのか。

どんな仕打ちをされるのか。

自分を煙たがっていたラモラの表情を思い出し、少しだけ身構える。

それでも了承したと頷くと、彼女は応接間へと通された。


「ジェイド様、失礼いたします」

「入ってくれ」


僅かに緊張しつつ、視線を上げる。

そこにいたのは、ゾッとするような美しさを持つ銀髪碧眼の青年だった。

長身で表情は全く動かず、片耳のピアスも相まって逆に造り物のようにすら錯覚させる。

アンティークの椅子に座っているその様子すら、その印象に拍車を掛ける。


(本当に、人形みたい)


心のない人形、その異名を思い出す。

暴虐に満ち溢れた人物かと考えたが、線の細さからそんな様子は見えない。

だが逆に、氷のような冷たさを僅かに抱かせた。


「君がエリア・ファロウだな」

「は、はい。よろしくお願いいたします」

「私はジェイド・ハイムバッハ。長旅で疲れただろう。先ずはそこに掛けてくれ」


向かいの椅子を指し示され、エリアは言われるがまま腰かける。

しかし、何を言えばいいのか分からない。

そもそも口を挟むこと自体が余計なのかもしれない。

ラモラの時もそうだった。

彼は何を言っても、厄介そうな目で見るだけだった。

所詮は政略結婚、不機嫌にさせる位ならば黙っていれば良い。

すると僅かな沈黙の後、ジェイドが口を開いた。


「一つ聞かせてほしい」

「え……?」

「君の好きな色を教えてくれないか」


唐突にそんな事を言われる。

意図が分からず、エリアは内心混乱した。

何かの暗喩だろうか。

彼の表情は一切変わらず、色を聞いてどうするのかも全く見えてこない。

流石に黙っている訳にもいかず、彼女は答える。


「そ、そうですね。赤、でしょうか」

「分かった。用意させよう」

「あ、あの……?」

「バトラー、頼む」


彼は執事に指示を出す。

すると時間を置かず、テーブルの上に紅茶が差し出された。

刻んだ苺を用いた、ストロベリーティーである。

僅かな甘い香りが、強張っていたエリアの心を落ち着かせていく。


「苺の紅茶は気持ちを和らげる効果がある」

「あ、ありがとうございます……」

「香りも楽しむと良い。癖を出さないように、甘さは抑えている」


顔色は変わらないが、彼も同じように紅茶を味わう。

人形のような容姿から小さな吐息が零れる。

しかし、何か違う。

始めに聞いていた話と、まるで違う。

彼女が違和感を抱き始めていると、更にジェイドは問い掛ける。


「もう一つ聞きたい」

「えっ」

「君の好きな風景を教えてくれないか」


またである。

意図の見えない質問が、エリアを惑わせる。

そしてやはりジェイドの感情は見えてこない。

一体、何を考えているのか。

分からないままに彼女は、たどたどしく口を開いた。


「み、湖? でしょうか?」

「分かった。用意させよう」

「い、いえ……ですから……」

「バトラー、頼む」


再び時間を置かず、執事が準備のために部屋から立ち去った。

紅茶を飲み終えた後、彼女は応接間から別室へと案内される。

通された先は窓の向こうに美しい湖が見える、そんな一室だった。


「君の部屋だ」

「み、湖が……」

「この屋敷の中で、一番眺めが良い。アレは敷地内のものでな。他の者は基本的に立ち入らない。興味があるなら、また詳しく紹介しよう」


無表情ではあるが、そこに冷酷さは微塵も感じられない。

今まで聞いて来た異名は何だったのか。

エリアは彼との視線を合わせられなかった。

何故だか分からない。

何故だか分からないが、酷くもどかしい。


「部屋の案内は終わったな。それに夕暮れも近い」

「じ、ジェイド様……」

「君の好きな料理は……」

「ジェイド様……!」


思わず声を荒げてしまう。

覚悟していた筈なのに、仮面を被り続けるつもりだったエリアの心が揺れ動く。

するとジェイドは目を丸くして、案じるような視線を向けてきた。


「……何か不快な事があったか? だとしたら、すまない。やはりもう少し、選択の幅を広げるべきだったか」

「いえ、そういう事ではなく……。何故、このような……」


それ以上は言えなかった。

期待させないでほしい。

心遣いも要らない。

どの道、後で裏切られるのだから冷たくしてくれた方が安心できる。

諦められる。

そんな思いをどうにか言い留まった彼女は、言葉を変えて彼に進言する。


「ジェイド様のお手を煩わせる訳には参りません。私も、身の程は弁えております」

「……」

「思うようにして頂いて良いのです。それだけで十分ですから」


これは、政略結婚だ。

相手の立場は明らかに格上であり、自分がどうこう言える話ではない。

いっそ本性を曝け出してくれれば、ただの婚約者として居られる。

きっと彼もそう思っているだろうと、エリアは決めつける。

するとジェイドは僅かに困ったような表情を見せた。

氷のマリオネットと呼ばれた顔色が変わる。


「君は、私との婚約を了承した女性だ。その女性を知りたいと思うのは、当然のことではないのか?」

何でもいい(・・・・・)、訳ではないのですか?」

「君は君だ。他に代わりなどいない」


見上げると、ジェイドと視線が合う。

氷のような青い瞳が、何故か温かく感じられた。

何故、そんな事を言うのだろう。

策略か何かなのか。

こちらを油断させるための、話術なのだろうか。

もどかしい。

エリアの胸中には、ひたすらもどかしい感覚が沸き上がっていた。







その日の夜、エリアは広大な浴室で一人身体を温めていた。

息を吐きながら今までの事を思い返す。

結局あの後、彼女は好きな食事のメニューを選ばされ、その通りの夕食となった。

そしてジェイドは常にこちらの出方を窺い、気に掛けてきたのだ。

此方を不快にさせないように、細心の注意を払っているかのようだった。


「変な人……私は嫁いだだけなのに……」


嫁ぐ者にとって優先すべきなのは、夫となる者の顔を立てること。

恋愛などという感情は必要ない。

良き婚約者である事に努め、子を生して家名の存続に尽力する。

幼少の頃から言われ続けてきた事だ。

今更、疑問を持つ意味もない。

それなのにジェイドは、エリアをただの道具として見なさなかった。

ラモラと違い、真剣に此方と向き合おうとしてくる。

それが彼女には理解できなかった。


「期待しちゃダメ。すればするだけ、後から辛くなるんだから。大丈夫……今までと同じ、我慢すれば良いの……我慢すれば……」


傷つきたくない。

失望したくもない。

自分は単なる道具なのだ。

だから絶対に、心は動かさない。

動かしてはならない。

エリアは再度、当初の思いを胸に刻み込む。

しかしそうして何日か経っても、彼が異名通りの行動を起こすことはなかった。

それどころか――。


「一緒にダンスをしないか」


ある日、執務を終えたジェイドは不意にエリアをダンスに誘った。

屋敷の中にある小規模なダンスホールに案内される。

ダンスなど社交界以来だ。

以前の婚約時など、そんな話が出た記憶もない。

彼女はその手を取りながらも戸惑うしかなかった。


「どうして、ダンスを……」

「私達は婚約者同士。互いに手を取り合うものだろう」

「そ、そういうものでしょうか?」

「何もダンスは、社交界だけのゲストではない」


そう言って、彼はエリアの動きに合わせていく。


「中にはダンスを、品のない手段と呼ぶ者もいる。気安く相手に触れ合い、振り回すためだけの口実だと」

「……」

「だがダンスの本質は相手を敬うこと。歩調を合わせ、息を合わせ、手を取り合う。それが理解できない者は、ただ踊っているだけだ。踊りと、ダンスは違う」

「見えているものは同じでも……違う……?」

「君は私を卑俗に思っただろうか」

「い、いえ! そのような事は……!」


慌てて否定する。

確かにダンスは、社交界で他の男性と打ち解けるための手段として学ばされてきた。

前者のような言い分はあるだろうが、その規律を卑俗などとは思わない。

まして婚約者となる彼に対して、無礼などと思う訳もない。

視線を上げると、自然とジェイドと目が合った。


「これで二度目だな」

「え……?」

「君が私を、真っすぐに見てくれたのは」


蒼い瞳がエリアを見ていた。

氷のように透き通った美しい容姿に、仄かな温かさが感じられる。

感情を理解できない人形。

そう言われていた筈の彼は、微笑を浮かべていた。

エリアはそこで、自分が彼の視線を避けている事に気付いた。


「さぁ、続きをしよう」


彼はそのまま手を取り続けた。

当然だがエリアも動きに合わせていく。

だが視線を合わせると、どうしても考えてしまう。

心が動きそうになる。

彼女は必死にそれを隠し続けた。

絆されてはいけない。

顔に出さないまま懸命に踏み止まるが、全く穏やかにはなれなかった。


(モヤモヤする……。私は何を考えているの……?)


そうしてダンスが終わった後も、結局ジェイドの態度は変わらなかった。

此方の油断を誘っているのでは、とそんな事も考えた。

だがまるで変化はない。

彼はあくまでエリアを自身の婚約者として尊重し続けた。

エリアが好みだと言った湖にも連れ出し、ゆっくりと歩きながら互いの身の上話をする事にもなった。

何の面白みもない、貴族としての責務を果たすために生きてきただけの話を、彼は真剣に聞いてくれた。

だからこそ、余計に分からなくなる。


「だって政略結婚よ? 王家から勝手に破棄されて、勝手に決められただけ。だから我慢するって、諦めるって決めたのに……どうして……」


夕食を終え、自室でエリアは呟く。

これは決して個人の感情で成立させたものではない。

王家を介した家同士の契約。

互いの思いなど関係ない、ただの政略結婚。

ジェイドも分かっている筈だ。

それなのにどうして。

どうしてこんなに、痛いのだろう。

胸を押さえたくなる気持ちを押し殺して部屋を出ると、彼女の様子が変だと気付いたのか。

屋敷の侍女が問い掛けてくる。


「エリア様、何かお悩みでしょうか。ジェイド様に無礼がございましたら、何なりと」

「いえ、そういう訳ではないけれど……貴方はここに勤めて長いの?」

「はい。10年になります」


侍女はエリアより一回り年上の女性だった。

10年ともなればベテランだ。

彼の事情もある程度は知っているに違いない。

真意を知るために、この胸の内を解きほぐすために、彼女は侍女に話を聞くことにした。


「ジェイド様の事を教えてほしいの。彼の手腕は以前から聞いていたわ。だからこそ、不思議なのよ。貴方達の言う無礼とは、何?」

「……ジェイド様のご活躍を耳にされているという事は、あの異名もご存知かと思います」

「人の心が、分からない……?」

「左様でございます」


侍女はゆっくりと頷いた。


「ジェイド様は幼い頃に遭った事故によって、人との共感を失われたのです。それによって周囲の貴族さまだけでなく実のご両親ですら、この場を去っていきました」

「……」

「ですからあの方は、私共に命じたのです。心を知る側として、無礼があるようなら忠告してほしいと」

「本当に、人の心が分からないの? 私が、何を考えているのかも……?」

「恐らくは」

「だったら、どうして……!」

「それでもジェイド様は、知ろうとなされているのです」


思わずエリアは声を荒げそうになる。

それでも侍女は冷静かつ真剣な表情で告げた。


「エリア様のお気持ちも当然でしょう。ですがあの方は、婚約関係となる貴方と共に歩むため、その心を知ろうとなされています。今までの事は、全てそのためなのです」

「……」

「やはり、無礼に思われましたか?」

「そんな事は……」

「エリア様に強いるおつもりは、ジェイド様にも、そして私共にもございません。ですがもし、ほんの僅かでもあの方を見て頂けるのなら、一歩だけでも寄り添って頂きたいのです」


侍女の言葉にエリアは何も言えなくなる。

ジェイドの言葉や笑顔は本物ではない。

全ては真に迫ろうとした偽物であり、彼が本当に抱いた気持ちではないのかもしれない。

故に氷のマリオネット。

他人の心が理解できない化け物。

皆からそう呼ばれていたのだろう。

しかしそれでも理解しようとしているのだ。

何でもいいと打ち捨てられた自分の事など放っておけば良いのに、ラモラと同じように邪魔者のように扱えば良いのに。

手を差し伸べようとする。

耳を傾けようとしてくれる。

それは他でもないジェイド自身の意志だ。

それだけは、決して偽りではない。


侍女と別れたエリアは、少しだけ物思いに耽る。

気付くと時間も立ち、夜も徐々に更けているのが分かった。

部屋に戻ろうとバルコニーを横切ると、そこに見慣れてしまった姿を見つける。

ジェイドだ。

彼は物憂げな表情で月夜の湖を見つめていた。

何を考えているのかは分からない。

若しくは、何も考えていないのか。

何にせよ掛ける言葉が見つからず、距離感も掴めない。

エリアは自分の中にある感情を理解できないまま、視線を外して立ち去ろうとした。

だがその直後、彼の頬に何かが伝っているように見えた。

月の光が反射しただけだったのかもしれない。

見間違いだったのかもしれない。

それでも彼女は、思わず立ち止まり声を掛けた。


「ジェイド様」

「……みっともない姿を見られてしまったな」


月夜を背に、ジェイドは振り向く。

表情に取り繕った様子はなかった。

伝っているように見えたのは、ただの錯覚だったようだ。

エリアは自分を恥じつつも、今更後には引けずにバルコニー内へ歩き出す。

隣に並ぶと、彼は続けた。


「月夜の湖畔には風情があるようだ。こういった景色は、そこにあるだけで人の心に訴えかけるのかもしれない。君はこの光景を、どう思う」

「とても、美しいと思います」

「そうか。それはきっと、君が関心を抱いたからだろうな」

「ジェイド様は、違うのですか?」

「……私には、少し寂しく見える」


視線を上げると、ジェイドは真っすぐに湖畔を眺めていた。

表情は変わっていない。

氷のように固く、解けることを知らない。

しかし本当に見ていないのは誰なのか。

理解しようとしていなかったのは誰なのか。

エリアは自然と理解し、胸の内を吐き出した。


「……ジェイド様、私の話を聞いて下さいますか」


彼はエリアを見た。

以前にも少し触れる程度の話はしたが、今回はもっと別。

自分の心を縛り付ける過去について語った。

その時、自分が何を感じたのか。

何を諦めてしまったのか。

押し殺していた胸の内を、彼女はようやく吐き出した。


「私は以前から、何でもいいと突き放されるばかりでした。私が何をしようとも、何を見せようとも、両親ですら関心を向ける事などありませんでした」

「そうだったのか……」

「だから期待せずに何も言わず、ただ我慢すれば良いと思っていたのです。そうすれば、自分は絶対に傷つかないと。でも……」

「それでも辛い、か」

「……はい」

「私にも、分かるような気がする」

「そうなのですか……?」

「君も知っているだろう。私が、人の心が分からない化け物だと」


驚いて彼を見ると、蒼い瞳が月の光に照らされていた。


「私は人の思いを推し量ることができない。何を考え、何を思っているのか。紙に並べられた文字や言葉を読み取ることは出来ても、そこにある思いを読み取れない。以前は他のご令嬢に、お前に人を愛する事は出来ないと言われた事もある」

「そんな事が……」

「今の君の表情を見ても、私には君の心が分からない。だが……」

「知ろうと思われたのですね?」

「!」

「屋敷の侍女から聞きました。貴方の事を」


そこまで聞いて、エリアは先程の話を告げた。

今更、隠しても意味などない。

一番無礼な態度を取っていたのは、他ならぬ自分自身だったのだから。

彼女は今までの事を振り返り、ジェイドに向けて謝罪した。


「申し訳ございません」

「……?」

「私は気付いていませんでした。自分が傷つくことばかり恐れて、貴方が歩み寄ろうとしている事すら見えていなかった。いえ、見ようとしていませんでした」

「君は、悲しんでいるのか?」

「それもあります。ですがそれよりも、もっと大きな思いがあるのです」


ジェイドは自分なりの解釈でエリアに寄り添おうとする。

それに対し彼女は決心した。

恐れるのは止めよう。

自分の事ばかり考えて相手を傷つけてしまうなんて、結局それはラモラと何も変わらない。

変わらなければならないのは、自分だ。

踏み出して、そこから何が出来るのか。

考えた上でエリアは一つだけ提案した。


「一緒に歩んでみませんか?」


ジェイドは意外そうな目を見せる。

彼がダンスを誘った時と同じように、今度はエリアが手を差し伸べる。


「私も同じなのです。自分の気持ちを押し殺して、人形のように生きてきました。だからこそ今度は人形ではなく、自分の思いを言葉で伝えましょう。そうすれば、何かが分かるかもしれません」


相手の気持ちが分からない。

理解できないのなら、言葉で表して思いを伝えれば良い。

貴族の立場上、全てを曝け出すのははしたないと思われがちだ。

察してくれるだろう、言わなくても分かるだろうという考えで本来の言葉を呑み込むことは多々ある。

エリアもそうだった。

嫁ぐ者として余計な言葉は発するな、とそう言われて育って来た。

だが、今だけはその心配はない。

お互いに歩み寄ろうと、知ろうという思いがあるのなら、手を取り合える筈だ。

ジェイドはその話を聞いて、何かを感じ取ったらしい。

納得するようにゆっくりと頷く。


「一つ分かった気がする。君は、とても心根の優しい女性なのだな」

「!」

「ならば私は此処に来て良かったと思えるよう、君を支えてみせよう」


その言葉は紛れもなくジェイドの意志だ。

今まで胸の中で膨れ上がっていたモヤモヤとした気持ちが、彼女の中で取れたような気がした。







それからエリアは本当の意味で、ジェイドと接するようになった。

自分の気持ちを押し留める真似は止めた。

体裁を重んじる貴族の婚約者という立場からは、少々不格好だったかもしれない。

それでも彼女は、誠実であろうとした。

過去を引き摺り続け、ジェイドに対して勝手な想像を膨らませる事こそ無礼極まりない。

何を考えているのか、感じているのか。

何が美味しくて、何が美しいのか。

簡単な話だ。

だが、言葉にしなければ伝わらないものもある。

同じように歩み始めた彼と、エリアは心を共有する。


「また一緒に、ダンスをしないか」


時折、ジェイドはダンスに誘う。

それが彼にとって心を学ぶための手段の一つだったのだろう。

エリアはその手を取った。

シャンデリアに照らされたダンスホールで動きを合わせ、呼吸を合わせる。

何のことはない。

ただ、意味もなく合わせていた頃とは違う。

それから彼は問い掛けてきた。


「エリアは今、何を考えているんだ?」

「そうですね……では、当ててみて下さい」

「私が?」

「はい。頑張って、考えてみましょう」

「そうだな……。楽しいと思ってくれていると、私も嬉しいが……」

「ふふっ、合っていますよ。正解です」


少し自信なさそうな様子に、エリアは笑みを零した。

間違える事に恐縮しているようだ。

普段ジェイドは何をするにしても涼し気な態度だが、こういった場面に関しては内面の部分が伺える。

何処となく、そんな所に親近感を覚える。

すると彼は何かに気付いたようだった。


「あぁ、そうか」

「?」

「君は、そうやって笑うんだな」


不意を突かれる。

自然と現れた感情がジェイドに伝わる。

そこでエリアは自分が初めて、自然と笑った事に気付いた。

ダンスの動きに合わせるように、彼は微笑する。


「あの時は自分を人形のようだと言っていたが、そんな事はない。その笑顔はエリアの心だ。一人の女性としての、確かな感情の筈だ。もう押し留める必要はない」

「ジェイド様……」

「何故、顔を赤くする? その感情はどういう……?」

「だ、大丈夫です! 今はダンスに集中しましょう……!」


顔が熱い。

笑顔だと言われただけで、何故ここまで動揺するのだろう。

エリアには分からなかった。

分からないフリをした。

そして今だけは、抱いている感情を呑み込んだ。


彼女は今まで言われるがままの人生を歩んできた。

何でもいい、どうでもいい。

そういうものだと割り切っていたし、貴族として果たすべき役目は個人の感情よりも優先される。

道具であると理解した上で生きてきた。

だが今は違う。

もどかしい感情も、いつの間にか消えていた。

代わりに沸き上がったのは締め付けられるような感覚。

ジェイドを前にすればするほど痛みすら発する。

今までこんな事はなかった。

言葉でも表現できない、別の戸惑いが彼女の中で生まれる。

そしてそれはダンスだけに限った話ではない。


「どちらが似合うと思います?」

「私が決めて良いのか?」

「勿論です」

「そうだな……では、このドレスにしよう」


ある日、二人は舞踏会に行くための衣装を選んだ。

エリアは用意されていたドレスから自分が決めても良かったのだが、ジェイドに意見を聞いた。

深い理由はない。

一緒に決めたい、それだけの理由だ。

すると彼は、彼女が選んだものから淡い桃色のドレスを選び取った。

氷のマリオネットと呼ばれる彼の傍にいるには、少々派手なものだった。


「今更ですけど、少し可愛すぎる気も……」

「それ位の温かい色が丁度良い」

「!」

「どうかしたか?」

「い、いえ、何でも……。って、何でもよくはないですね……」


またエリアは不意を突かれた。

彼はよくそんな事を言う。

心を暴くような、動揺するような言葉を平気で口にする。

それはジェイドなりの思いやりだという事は分かっていた。

だからこそ彼女自身も口に出来てしまうのだろう。

何でも、ではない心情を吐露する。


「私、今とても恥ずかしいです」

「そうだったのか」

「なので、ジェイド様の服も選びましょう。勿論、格好良すぎるものを」

「……」

「どうかしましたか?」

「君は時々、無邪気に笑ってくれるな」

「子供っぽいという意味ですか?」

「さっきと同じだ。その位の温かさが、君には丁度良い」


ジェイドは笑う。

氷を解かすような温かさだ。

そして何故こんなにも自分の心が動かされているのか、エリアはようやく理解する。

美しさといった表面的な話ではない。

何よりも彼が、自分の内面を見ようとしてくれている。

今までになかったからこそ、それが堪らなく嬉しかったのだ。

その夜、彼女は涙を流した。


「エリア、何故泣いているんだ?」

「……怖いのです」

「私は何か、無礼を働いてしまったのか? 従者からは何も聞いていないが……」

「いいえ、そのような事は決してありません!」


彼女は寄り添うジェイドに首を振る。

嬉しい筈なのだ。

自分の感情を挟む余地など、望みなどないと思ってきた。

表情を凍らせ、心を凍らせ、全てを受け入れてきた。

そんな冷たさが、彼に手によって解かされていく。

氷が水に、水が涙に。

自然と頬を伝っていく。


「でも、だからこそ……この幸せが逃げてしまいそうで、怖い……」


エリアは恐れていた。

いつかこの感情が、再び凍り付いてしまうのではないかと。

もしラモラの時と同じ事が起こってしまえば、きっともう戻れない。

今度こそ、自分は絶望してしまう。

そんな取り留めもない不安が、彼女の心を揺り動かしていた。

情けない話だ。

不安定な心情に惑わされ、涙を流すなど婚約者失格だ。

軽蔑されるかもしれない。

そう思うと余計に不安になっていく。

涙が止まらない。

しかし彼は、震えるエリアの手を握った。


「きっとそれは、エリアの形なのだろう」

「形……?」

「君のお蔭で少しずつ分かって来た。私は諦めていたんだ。父や母から恐れられ、周囲へと噂が広まり、氷のように心を凍らせてしまった。もしかすると今回も……そう思うこともあった。だが君が一歩踏み出すことを、私に教えてくれた」


青白い瞳がエリアを真っすぐに見つめる。


「人の心……いや、エリアの心は今までの事で直ぐに溢れてしまうのかもしれない。だが今は、一人ではない。二人でなら、きっと受け止められる」


彼は人形などではない。

手の温かさも、その温かな瞳も、確かなものだ。

そしてそこには婚約者という形以上の繋がりがある気がした。

自分はもう、一人ではない。

エリアは涙を拭い、彼の手をゆっくりと握り返した。







それからエリアは更に変わった。

自分の考えを口にするだけではなく、より積極的に行動するようになった。

心が解けた影響だろうか。

ジェイドの婚約者として恥ずかしくないよう努め、時には彼の執務の補佐も行った。

領地の民たちにも朗らかな笑顔で挨拶に回り、彼らの意見にも耳を傾けた。

ハイムバッハ家に来た今までのご令嬢は辛辣な人ばかりだったようで、エリアのように親身になる人は初めてだったらしい。

そのお蔭もあって直ぐに領民と打ち解けられた。

人形としてではない彼女の思いが、皆に伝わったのだ。

そしてそんな頑張りをジェイドは支えた。

氷のマリオネット、人の心を理解しない化け物という異名など気にせず、理解し支えるためにはどうすべきかを思案した。

屋敷の従者だけでなく、領民も気付いたようだった。

彼が少しずつ変わり始めていると。

貴族としての側面しか見えず、冷たく凍らせていた領主の心が、次第に解け始めている。

雪の降る季節が多いハイムバッハ家の領土だが、彼らはそこに新たな春の到来を予期するのだった。


そうして更に数ヶ月が経った頃。

エリア達は王宮で開かれる舞踏会へ招待された。

殆どの貴族に声が掛かる大々的なものだ。

そして前々から決まっていた事でもある。

かつては苦手意識すらあったが、今のエリアにそれ程の感覚はない。

以前二人で決めた衣装を纏い、彼女は皆の前に臨む。


「パーティーなんて、久しぶりです」

「私も今まで遠ざけていたが、良い機会だ。さぁ、行こう」


エリア達は王宮の中へと進んだ。

当然だが既に他の貴族達も集まっていた。

皆、様々な話に花を咲かせている。

巷の噂は格好の的だ。

周囲の貴族達がジェイド達の素性を知らない訳もない。

二人が歩み寄っていくと、自然と視線が集まっていく。


「あの方は、ハイムバッハ家の……?」

「聞き及んでいた通り、本当に人形のような美しさですね」

「隣の方は……確かファロウ家の御令嬢では?」

「婚約破棄後の婚約と聞いていましたが、噂のような雰囲気は感じられませんわね」


すると彼女達は意外そうな顔を見せる。

皆の認識は一切変わっていない。

氷のように冷たく、心を感じさせない人形。

それこそがジェイドの印象であり、そこへ嫁いだエリアに対して一種の憐憫すらあったらしい。

だが現れた二人にその様子は感じられない。

華やかさだけでなく、朗らかな雰囲気すらあった。

何かが違うと気付いたのだろう。

そんな中でエリア達は皆に挨拶をしつつ、その場に溶け込んでいった。


「皆、君に驚いているようだな」

「驚かれているのは、ジェイド様も同じですよ?」

「そうなのか。とは言え、視線を集めるというのは落ち着かないものだ。不安はないか?」

「はい。今は私達二人で分け合えますから」

「ふ……そうだな」


他の貴族達と会話をしつつもジェイドは気遣ってきたが、彼女は問題ないと頷く。

今更、臆したりはしない。

もう一人ではないのだ。

彼の前で不安な表情など出来ない。

ジェイドの笑みに背中を押され、自然とエリアは柔らかい物腰を崩さなかった。


すると暫くして、見覚えのある人物が目に映った。

もしかしてと思ったが、その姿は見間違えようがない。

以前の婚約者、ラモラ・レングルスだ。

彼はエリアの姿を見て、信じられないものを見るかのような目をしていた。

加えて心なしか、表情はやつれているようにも見える。


「まさか、エリアなのか?」

「ラモラ様、お久しぶりです」

「……随分とその、変わったな」

「貴方こそ、お変わりないようで安心いたしました」

「いや、そうかもしれないが……」


ラモラは視線を彷徨わせる。

彼はエリアの雰囲気が変わっていると直ぐに気付いたようだ。

それもそうだろう。

かつての彼女は全てを諦めていた。

政略結婚という名目で結ばれただけという考えに縛られていた。

ラモラ自身も、それを盾に投げやりな態度を見せていた。

だが今は違う。

明るい雰囲気に加えて、愛嬌すら窺わせる。

あの時以上に美しさに磨きが掛かっているようにすら見える。

それは以前に婚約破棄した者とは思えない変わり様だった。

愕然とするラモラは、思わず彼女に一歩踏み出そうとする。

するとその間に、ジェイドが割って入った。


「私の婚約者に、何か用か?」

「ジェイド殿……!」

「ラモラ殿、昔話に花を咲かせるのも良いが、ここは華やかなパーティーの場だ。過去の事は水に流し、今は互いの人と向き合うべきだろう」


過去の話は口にしない。

既に関係は切れている筈だ。

暗に示す言葉を受け、ラモラは少しだけ臆した表情を見せた。

そうしていると、彼女達の元に別の女性が現れる。

カツンと靴音を鳴らし、皆の視線が音の方向へと集まる。


「ラモラ! 探しましたわよ!」

「て、テレサ……」

「全く! 折角のパーティーなんですから、もっとしっかりして下さいまし!」


強く窘めるような声にラモラは畏縮する。

彼女はラモラの現婚約者、第三王女のテレサ。

そして少々の事情を持つお方だ。

テレサはエリア達に気付いて、活気ある笑顔を見せた。


「あら! ジェイド様にエリア様! ごきげんよう!」

「ごきげんよう、テレサ様。本日は招待いただき、ありがとうございます」

「とんでもないわ! 私だって貴方達には感謝しているのよ! 婚約なんて縛られるだけだと思っていたけれど、こんなに自由だなんて思わなかったもの!」

「……? それはどういう……?」


よく分からずエリアが首を傾げるが、テレサは挨拶もそこそこに、ラモラの手を無理矢理引いて会場の奥へと行ってしまう。

手を引かれた彼は何も言わない。

いや、言えないのか。

彼女とは正反対に、これから待ち受ける事態に顔を青白くしている。


「さぁ! 今日は一晩、踊り明かしますわよ! 勿論、付き合ってくれますわよね!?」

「あ、あぁ……。勿論だよ……はは……」


ラモラは乾いた笑いを浮かべるだけだったが、内心かなり苦労しているようだった。

お相手は王家の人間。

何でもいい、どうでもいいなどと言える訳もない。

結果として、何でもよくない状況にあるようだ。

彼も少しは我が身を振り返ったのだろう。

エリアを庇っていたジェイドが、集団の向こうに消えて行った二人を見つめる。


「テレサ王女は所謂、お転婆で非常に有名な方。息の合う人もなかなか見つけられなかったようだ。だからこそ私は少し前に、王家にコッソリと伝えておいた。ラモラ殿は何でもいい(・・・・・)と言って、全てを受け入れてくれる心優しい男だと」

「それは、まさか……」

「これは私なりの感謝の気持ちだ。彼に伝わっていると良いが」


思わず顔を上げると、ジェイドは本気でそう言っていた。

皮肉や悪気があるようには見えない。

もしかするとラモラの顔色が悪かった点すら気付いていないのかもしれない。

成程、まだまだ勉強不足という事か。

色々な意味で、エリアは安堵した。


「そういう所、ですね」

「……何か余計な事をしただろうか?」

「まさか。私も同じでしたから」


彼女は首を振る。

結果としてラモラに見せつける形になったが、その気がなかった訳でもない。

彼が舞踏会に来ると知っていた上で、エリアは美しくも堂々とした振る舞いを心掛けた。

ほんのわずかな意趣返し。

それは今、この場で叶えられた。


「あの人に、今の私達を見せつけたかった。ささやかな私の、復讐です」

「成程。確かにエリアにはその権利があった。だが、これ以上の義理立てはいらないだろう。彼らには彼らの繋がりがある」


彼はエリアの考えを受け入れた。

そう言って視線を外して彼女を、自らの婚約者を見る。


「今は、私だけを見てほしい」


間違いなく、それは彼の本心だった。

見守るような温かな視線に、エリアの心は解きほぐされる。

一人では歩めなかった道も、今なら進んでいける。

ラモラだけではない。

貴族として個人の感情など不要だと教えた両親に対しても同じだ。

ようやく今までの過去から、彼女は逃れられたような気がした。


同時に舞踏会が始まる。

楽器による音楽が奏でられ、皆がそれぞれのパートナーと共に手を合わせていく。

踊りとダンスは違う。

エリア達も手を取り合い、互いの動きに身を任せていく。

形だけのものではなく、確かな繋がりの証として。

こっそりとエリアはジェイドに聞いてみる。


「ジェイド様。私が何を考えているか、分かりますか?」

「……中々、難しいな」

「そうなのですか?」

「あぁ。言葉で表すという事が、ここまで気恥ずかしいものとは思わなかった」


ダンスの最中、彼は恥ずかしそうにはにかむ。

そんな様子を見て本当にズルい人だと、エリアは思った。

あれだけ真っ直ぐな言葉で揺さぶっておいて、肝心な所でそう言われると、こちらまで恥ずかしくなってしまう。

彼の温かさに当てられ、頬に熱が帯びる。


「周りの目もある。舞踏会が終わった後、改めて言おう。それまで待っていてほしい」

「分かりました。それでしたら、私も今の思いを温めておきますね」


エリアは微笑み返す。

お互いに何を言おうとしているのかは、改めて言わなくても分かっている。

だが口にする事に、言葉にする事にこそ意味がある。

気付けるものがある。

何でもいい訳も、どうでもいい訳もない。

政略結婚などではない、本当の意味で結ばれたと確かめ合うために手を繋ぐのだ。


舞踏会は続く。

ジェイドを氷のマリオネットと呼ぶ者も、エリアを哀れだと思う者もいない。

始めは嘲笑おうとしていた者もいただろう。

しかしそんな人々は、全員口を噤んだ。

出来る筈がなかった。


何故ならダンスをする二人の表情は、とても幸せそうに映っていたのだから。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ