彼女とあの子 vol.1
伊東寧々(29)大手コンサル会社勤務
山田結海(20)大学生
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取引先との打ち合わせを終えた寧々は1人、会議室の片付けをしている。
「寧々さん。まだ残ってたんですね。今日プレミアムフライデーですよ。残ってるの僕たちだけ」
プレミアムフライデー。寧々の務めるコンサル会社は都市伝説のようなその単語がまかり通るホワイト企業だ。福利厚生ばっちり。同世代の同僚たちには結婚ラッシュを過ぎ去っていた。
「僕、先に帰りますね」
一期下の佐久間も昨年結婚し、会社の祝金で海外旅行にも行っていた。
残された寧々はまだ7時を指している時計を見てため息をつき、会社を後にした。
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「次は、新宿、新宿」
きちっとしたスーツに似つかわしくないネオン街を歩く。路上で酒を交わし、キスをするカップルを横目に行きつけのバーへ向かった。
「寧々じゃん!久しぶり」
混み合う店内。寧々が入るとすぐに店員のアヤカが迎える。狭い店内にカップルが3組、友人同士で遊びに来ているのだろうか、他にもちらほら。
ただ、1人だけカウンターで甘そうなカクテルを飲んでる女の子がいた。
アヤカに案内されてその子の隣に座った寧々は久々というアヤカとの時間を埋めるように話が弾んでいった。
「最近もう仕事しかして無いな」
「まぁ寧々は仕事するか酒飲むかだもんね〜笑」
「仕事でも酒飲んでる人に言われたく無いわ笑」
「アヤカさん〜私たち帰るね〜」
「うん!グラス置いておいてー!」
韓国っぽい服装をした女の子2人のカップルが元気に店を出て行く。
アヤカは手を伸ばしてグラスをふたつとり、慣れた手つきで洗いはじめた。
「まぁいいんじゃない?寧々はお金もあるし、顔もまぁまぁ綺麗だし、家は広いし。生活に文句はないでしょ」
「うん。無いね笑」
「うわー、なんか腹立つ笑。会った時はまだ大学生だったのに、こんなエリートキャリアウーマンになっちゃって」
「こんなって何よ笑」
「寧々の隣のその子見てたら昔のあんた思い出すわよ」
寧々が隣を見ると1人でポツンと飲んでいたさっきの女の子が突っ伏して寝ている。
「私こんな弱くないよ、お酒」
そう言って寧々がその子を指さす。
「まぁそれはそうだな笑。…大丈夫かなこの子。寝てるよね?」
寧々が横を向いて突っ伏しているそのこの顔を覗いた。
「寝てないよ」
その子は突然目を開けた。驚いたアカネと寧々は目を合わせる。
「お姉さんお水飲む?」
「飲む」
「寧々も最後になんか飲む?」
「じゃあ、ラム」
「ロック?」
「うん」
「ラムってどんなの?」
「なんて言ったらいいかな。ちょっとクセあるんだよね。お姉さんはこっちね。」
アカネはその子の前に水を差し出した。
「私はラム苦手なんだけど、寧々は結構好きだよね」
「うん」
そう言ってアカネは寧々にラムのロックを差し出す。
「気になるんだったらにおい嗅いでみたら?」
寧々がその子の前にコップを差し出すと、鼻を近づけて、渋い顔をした。
「好き嫌い別れるよね」
その子はうんうん、と頷く。
「お姉さん名前は?」
「結海。」
「結海ちゃん」
「いくつ?」
「20」
「若っ」
「今日は何かあったの?」
「別に、こういう所でお酒飲みたかっただけ」
結海が誤魔化すように笑ったのは、アカネにも寧々にもわかった。
「彼女はいるの?」
「いない、居たことない」
「え、モテそうなのに」
「本当に〜?」
大学生らしい笑顔だった。
「作らないの?」
「作らない」
「何で?」
「結婚したいから。女の子とキスもセックスもしたいけど、それ以上に自分が選んだ家族が欲しい」
「そうなんだ」
「そうなったら相手のことを傷つけちゃうでしょ」
「なるほどね」
結海もまた、空気の読める子なんだろうなと寧々は思った。
結海は大きく伸びをした。
「帰りたくないな〜」
「やめてよ〜、もうお店閉めるんだから笑」
「え〜」
結海はチラッと寧々のグラスを見て、手に取り口をつけた。
また渋い顔をした。
「苦手なら飲まないでよー」
結海のケラケラした笑い声が狭い店内に響く。
「お手洗い行ってくる」
そう言って結海は席を立った。
しばらくすると、水道の流れる音がした。
10秒、20秒、、
流れ続けている。
「ねぇ、結海ちゃんトイレでくたばってない?水流れっぱなしなんだけど」
「え〜。」
「やだ、水道代高くなっちゃう。寧々見てきてよ」
寧々がトイレの近くまで来ると、結海の姿が見えた。
「この子寝てるよ〜」
寧々は流れていた水道を止め座って、壁に寄りかかって寝ている結海を見る。
「ヤダ、さっきみたいに寝たフリじゃないよね?」
「結海ちゃん、結海ちゃーん」
寧々が揺すっても起きる気配がない。
「えー、寧々持ち帰ってよ。」
「ちょっと、本当に?」
「いいじゃん寧々の家大きいんだし、1人くらい。タクシー呼んであげるから」
寧々は困った顔で結海を見つめる。
ふと、結海が「帰りたくない」とつぶやいていたことを思い出した。
―――――
タクシーの車内。寧々はすやすやと隣で眠る結海の事を見ている。
「お客さん、つきましたよ」
「あ、カードって使えますか?」
「はい」
大きなマンションの前にタクシーが停まる。
寧々は結海の事をゆすった。
「結海ちゃん。着いたよ」
結海と寧々を下したタクシーは再び走り出した。
「行くよ、結海ちゃん」
目をつむって立ち止まったまま一歩も動かない結海。
「結海ちゃーん」
一歩、結海が足を前に出した。
「え~。もう朝になっちゃうって」
―――――
結局結海をおぶって7階の自分の部屋まで連れてきた。
寧々は寝室に結海を下しリビングに出る。
東京の夜景がベランダの窓一面に映る。
「風呂入るか」
そういって勢いよくカーテンを閉めた。
―――――
お風呂から上がった寧々は洗面所から出てくると、
リビングのソファに座っている結海に驚く。
「…大丈夫?」
「うん」
「…シャワー使う?」
「いいの?」
「どうせ朝までここいるんだったら」
「いいの!?」
「今から帰るつもりだったの?」
「割と」
「タクシー代かかるだろうし、私は別にいてもらってもいいけど」
寧々は「どうせ帰りたくないなら」の一言を付け加えようとだけ、してみた。
「泊まる」
「はい。じゃあお風呂あっちだから」
「いってきます」
「適当に部屋着置いておくから」
「はーい」
わかりやすく嬉々としてお風呂場に向かう結海だった。
――――――
「ドライヤー借りていい?」
メイクを落とした結海は、一気にあどけなさが増している。
寧々はトマトを切ってリビングに運び、晩酌用の赤ワインを開けた。
「ワイン飲むの?」
「一杯だけ、飲む?」
「ほかのがいい」
「ここはバーじゃないんだよ」
寧々は冷蔵庫を覗く。
「とか言いつつ探してくれるじゃん」
「あったわ、一つだけ」
二人でソファに座り、寧々はワインを、結海は缶チューハイを手にする。
「本当に大丈夫なの?」
「ちょっと寝たから大丈夫」
「若いなー」
「お姉さんいくつなの?」
「29。寧々ね、名前」
「寧々さん。」
「お店での事覚えてるの?」
「ほとんど覚えてる。里香さんとお店の人と話してて…。お店の人と仲いいの?」
「けっこう前から通ってるからね」
「へぇ~。でトイレいってそのあとから覚えてない」
「結構ギリギリまで覚えてるんだ。お酒飲むといつもこうなの?」
「こうって?」
「途中で電池切れて人の家に上がり込む」
結海は口をムッとして話を続ける
「人聞き悪いなー。いつもなわけないじゃん。お店でつぶれたのも初めてだし」
「にしては馴れ馴れしいんだよな」
「肝が据わっていると言って欲しいね」
一口、 結海が寧々の切ったトマトを食べる。
「うん!おいしい」
寧々はじっと結海の方を見た。
「何だろう…、変わってるって言われるでしょ」
「言われる」
そういうと、寧々も一つトマトを食べる。
「ちょっとは警戒した方がいいと思うけどね(笑)」
結海の顔からふわっとした雰囲気が薄くなった。
「私が抱いてほしいって言ったらどうする?」
少しだけ残ったふわっとした雰囲気と、その言葉のギャップが、寧々は少し怖かった。
「何それ、冗談?」
「冗談でも本気でも。言われたらどうする?」
寧々はワイングラスを回して口をつけた。
「…ちょっと考える」
「私が若いから?」
年の差は9こ。十分言い訳になる。
「私は、…別にいいけど。…だって自分がなんて言ってたか覚えてる?結婚したいんでしょ。男の人も好きになる時はなるんでしょ」
「里香さんこそ私が言ったこと忘れてる」
「え?」
「女の子とキスだってセックスだってしたい」
結海が、突然里香に迫ってきた。明らかになれない人のそれだと寧々は感じた。
結海の心の在りかがわからなかった。
「本気?」
この子の目は本気だ。結海は再び寧々に迫り、触れるだけのキスをした。
寧々が結海を優しく離す。
「わかったから」
寧々が結海を一度座らせる。
テーブルの上にはまだ少し残っているワイングラス。
寧々は残ったワインを飲み干した。
結海に軽くキスをする寧々。
少しだけ舌を押し込んだ時、結海の肩が一瞬あがった。
「ここじゃないな」
ほんの一時間ほど前、結海が一人で寝ていた寝室
ベッドに結海の頭を支えて押し倒す寧々。
一言だけ、寧々が耳元で結海にささやく。
驚いて目を見開き寧々を見る結海。
まっすぐ結海をみる寧々。
「本当にいいんだよね」
右手で結海の口元を触る寧々。そして、誘うように舌を出した。
「ん」
結海がそれを真似をして舌を出す。
寧々が結海に深くキスをした。
―――――
窓から朝日が差し込んでいる
布団をかぶってスマホをいじっている寧々。
結海は隣で目をつむっている。
結海がぐっと体を寧々に寄せた。
寧々はスマホを見たまま。一瞬だけ自分の方を見る結海に目をやった。
この子の、この表情をほかに誰が知っているのだろう。と寧々は思った。
「気持ちよかった」
「それはよかった」
少しだけ、結海の声が震えているように感じた。
「だめだ…。私寧々さんの事好きになっちゃう」
「やめときな」
結海が目を開けて寧々の方を見る。
一瞬、目があった。
寧々は起き上がり、髪の毛を掻きあげる。
ぐっと、結海が布団を頭の上までかぶる。
すすり泣く音がした。
「泣いてんの?」
布団の中で首を横に振る結海。
「なんで泣いてんの?」
再び首を横に振った。
「そっか、言えないんだ」
なんだか、ようやく結海の心の在りかがわかった気がした寧々だった。
そして、結海の事を抱きしめた。
泣いている結海の肩が大きく揺れた。
「人に甘える方法をさ、知らないうちにどっかに置いてきちゃったんだよね」
また、結海が寧々に体を寄せ、寧々がぎゅっと抱きしめる。
寧々と結海は、それから何度も心と体を重ねた。
「この子は、いつか自分の家族を見つける」
これは予想なんていうぬるいモノじゃない。
そうでなくちゃいけない。もっと冷たい、決定事項だ。
バーで聞いた結海のこの言葉の意思は確かに強かった。
ただ、甘え方を忘れ、誰かに愛されるために自分の事をあの町に放り出したのだ。
気持ちを入れ過ぎてはいけないと結海に会うたびに誓い、
なるべく簡単に彼女が自分の事を傷つけられるにはどうしたらいいか考えながら
彼女を迎え入れる。