3.一日遅れのクリスマスデート
「ど、どうしてその名前を?」
一哉の名前は社内でも仲の良い同僚にしか言ってない。
ましてや先輩の男性社員に言うはずがない。
それなのに、どうしてこの人は一哉のことを知っているのだろう?
まさか昨夜、酔った勢いでいろいろとしゃべってしまったのだろうか。
もしかして一哉と間違えて接してしまっていたのかも。
ピシッと固まる真央に、佐々木は慌てて手を振った。
「いやいや、馬渡さんが想像してるようなことはなかったから安心して」
「え?」
「大方、僕をかずやって人と重ね合わせてしまったって思ってるんでしょ? 大丈夫、昨夜は君、店を出た後、すぐに寝ちゃったから」
思い切り抱き着いてきたけれど、という言葉は飲み込んだ。
「寝言で言ってたんだ。かずやの馬鹿って」
「……ああ、そうだったんですか」
佐々木は嘘をついたことにちょっと罪悪感を抱いた。
「一哉は……三年前からつきあっている彼氏です。ずっと仲良くやってきたし、そろそろプロポーズされるかなって期待してたのに。一昨日のイブデートで、他の女に子どもができたから別れてくれって……」
「そりゃ、酷いな! ああ、馬渡さん、泣かないで」
真央はお茶碗を持ったまま、ぽろぽろと泣き出していた。
佐々木は慌てて、真央に傍らの箱ティッシュからティッシュを取り出し、真央に差し出す。
「私……これからどうしたらいいんでしょう……」
真央は手渡されたティッシュで涙を拭いながら、呟いた。
一哉が好き。
でも、子供が出来ている女に堕ろせとは言えない。
じゃあ、やっぱり別れるしかないの……。
「デートしよう、馬渡さん」
「え?」
「今日は土曜で休みだし、外で美味しい物食べたり、買い物したりしよう。そうだ、一日遅いけど、馬渡さんにクリスマスプレゼント買ってあげるよ。冬のボーナスも出たしさ」
「そ、そんな……! 悪いです。それにどうして……佐々木さんは。私にこんなに良くして下さるんですか?」
その真央の問いに、佐々木はまっすぐ真央の瞳を見つめて言った。
「君が好きだからだよ。馬渡さん」
ドクンとまた真央の心臓が跳ね上がった。
「半年前の受付での僕のクライアントのトラブル覚えてる? あの時は本当に助かったよ。冷静に礼儀正しく、明るい笑顔で対応してくれて。それから間もなく僕もつきあってた彼女と別れてね。それ以来、受付で君の笑顔を見るのが密かな楽しみになったんだ」
突然の告白に真央の頭の中は真っ白になった。
(好き? 誰が? 佐々木さんが? 誰に対して? 私に対して?)
予想もしていなかった言葉に混乱していると、佐々木は真央の手をギュッと握り締めてきた。
思わず「ひゃっ」と声をあげる真央。
「急にこんなこと言ってごめん。でも、僕は本気だよ。本気で君が好きなんだ」
「こ、困ります……そんな……。私、おとといフラれたばかりなのに……」
「だからだよ。今がチャンスと思ったんだ。フラれたことを喜ぶ最低な男だけど、馬渡さんに対する気持ちに嘘はつけない」
「佐々木さん……」
「付き合ってくれないか? 結婚を前提に」
結婚の二文字が脳裏をかすめる。
期待していた言葉は、一哉からではなく佐々木から贈られるとは。
「……少し、考えさせてください」
うつむく真央に、佐々木は笑顔でうなずいた。
「もちろん待つよ。すぐに答えてくれなんて言わないから」
「すいません……」
「謝らなくていいって。それはそうと、今日のデートの返事はどう? 付き合う付き合わないは別として、単純に二人で遊びに行こうよ」
断る理由もないし、昨夜は泊めてもらった恩もあるので、真央はうつむきながらコクンとうなずいた。
◇◆◇
「いらっしゃいませ。……て、あら。涼輔じゃないの?」
煌びやかな店内に足を踏み入れた途端、女性の店員がそう声をかけてきた。
クリスマスプレゼントを買ってあげたいからついてきてくれる?という佐々木の言葉に従って佐々木に連れられてきたのは、スタイリッシュな宝飾店だった。
「あんたも隅に置けないわねえ。こんな可愛らしい彼女さんといつの間につきあってたの?」
「詮索は余計だよ。それより姉さん、彼女が気に入るような品、何か見繕ってくれないか」
「姉さん?!」
その女性は佐々木の姉だった。
「まず紹介してよ、涼輔」
「ああ、同じ会社の受付嬢の馬渡真央さん」
「涼輔の姉で結婚して藤堂美夕と申します。涼輔がお世話になっております」
「こ、こちらこそ……」
艶やかに笑う美夕は年の頃は佐々木よりやや年上のアラサーくらい。綺麗にブラウンに染めた艶のあるロングヘアを後ろで一つに括っている。漆黒の大きな瞳、上品な紅い唇、ほっそりとした肢体……佐々木の姉というだけあって、文句の付けようのない美女っぷりだ。
「馬渡さん、好きなの選んで。姉さんも何かいいの出してよ」
「そうねえ。真央さん、こちらのペアリングなんて如何かしら?」
「ぺ、ペアリング?!」
簡単に佐々木姉弟はそう言うが、真央が普段買っているアクセとは値段が数倍違う。
告白されたとはいえ、まだ正式につきあっているというわけではない。……と思う。
それなのに、いきなりこんな高級なしかも『ペアリング』はいくらなんでもハードルが高過ぎる。
「リ、リングは…ちょっと……」
「そう。じゃあ、こちらのネックレスは如何? このスペシャルボックス仕様のテディベアはストラップとしても使えますよ」
美夕が勧めてきたのは、小さなテディベアの首にかけられたプラチナのオープンハートネックレスだった。
そのネックレスもお洒落だが、テディベアのぬいぐるみが真央の目を引いた。
それは茶色のシンプルなテディベアだが、つぶらな瞳に口元が殊に愛らしい。
「可愛い……!」
実はぬいぐるみが大好きな真央は思わず手に取ってそのベアを見ていた。
「気に入ったみたいだね、馬渡さん」
にっこりと笑う佐々木に真央はハッと我に返る。
「で、でも……こんな高いネックレスを買って頂くわけには……」
「でも、気に入ったんでしょう?」
「はい……」
「じゃあ、決まりだ」
そうして真央はテディベア付きのオープンハートネックレスを佐々木から贈られた。
◇◆◇
それからは真央の緊張もだいぶほぐれ、二人で食事をしたり映画を見たりと、フラれたことも忘れ大いに休日デートを楽しんだ。
佐々木は多少強引なところもあるけれど、どこまでも紳士的で優しかった。
穏やかな顔をした彼に「ここに行こう」「あそこに行こう」と誘われると、どうしても「嫌」と言えないのだ。
そして行って見ると楽しくて、結果的に誘われて正解だった。
営業一課のエリートというのもうなずける。
「はい、話題のミルクラテ」
そう言って手渡してきたのは、最近オープンしたばかりのカフェの人気メニューだった。
クリーミーな泡と甘いミルクが口の中でまろやかにマッチすると評判で、テレビでも取り上げられたほどだ。
佐々木はわざわざ真央のために買ってきててくれたのだった。
「ありがとうございます」
真央は遠慮せずに受け取ると、話題のミルクラテを口に含んだ。
「おいしい! すごくおいしいです!」
「そう? よかった」
佐々木は自分のことのように喜んだ。
「佐々木さんも飲んでみます?」
「いや、僕は甘いのは……。いや、そうだな。飲んでみようか」
そう言って手渡されたミルクラテを一口飲む佐々木の姿を見て、真央は気づいた。
(あ、間接キス……)
「んー! 甘くておいしいね!」
「で、ですよね!」
「もう一口もらってもいい?」
「え、ええ。佐々木さんが買ったものですから」
意外と子どもっぽいのかな? と思いながら、おいしそうにカップに口をつける佐々木を眺めていた。
すると、聞きなれた声が耳に飛び込んできた。
「ねえ、一哉。私、ここのミルクラテ飲みたい」
一哉、という言葉にハッと真央は反応した。
「ここのミルクラテ、今、すごく話題なんだってえ。この前、朝のテレビで観たの。買ってきて、一哉」
「そうだな。俺も飲んでみたい。さゆりちゃん、席取っててくれよ」
まさか……。
まさか……。
でも。この声は。
恐る恐る、真央はその声がする方向を振り返った。
そこには。
恋人の一哉に腕を絡めているさゆりがこちらの方に歩いてくるところだったのだ。