第5話 交渉は弱みに付け込め(3)
酒場の隅で俺は酒を楽しんでいた。いや、酒で酔うことはないので雰囲気を楽しんでいたのだろう。がやがやと騒がしくはあるが、そんな喧噪が心地いい。耳を傾けても益体のない話ばかりだ。誰々夫婦がまた大喧嘩したとか、彼女にいくら貢いだの日々の愚痴を酒臭い息とともに吐き出している。黒い噂話もなく平和そのものだ。十分楽しんだ頃合いに声を掛けられた。
「ねぇ、お兄さん1人?一緒に飲まない?あっ、あたし、マリーよ。」
20歳前後だろう女性だった。タイトなシャツとスカートで体のラインが出ていた。髪もウェーブしていて色っぽい。答えはすでに決まっている。Yes!
「あっ、どうせなら、あたしの部屋で飲み直さない?2人で楽しみましょ。もちろん、サービスしてあげる。」
後半は耳元で囁かれた。ゾクリと一瞬身震いがした。俺はマリーに付いて酒場を後にする。そうか。本当のメインイベントはこれだったのか!
部屋に入るなりマリーは近づいて来て、そっと抱きしめられた。おいおい、いきなりだな。それでは遠慮なく行きますか。背中をなで回し、腰を抱き、尻を揉む。マリーはビクンと跳ね、両手を俺の胸に当て、押しのけて距離を開ける。マリーの頬は恥ずかしさで紅く染まっていた。
「ち、違うの!嫌とかじゃなくて、えっと…そう!お兄さん意外に大胆だなぁと思ってビックリしちゃったのよ!……………?」
マリーは言い繕っている間に取った俺の行動を不思議そうにしていた。俺はドアから1m程の距離で立っていたからだ。そろそろ来るだろう気配があったので、迎撃態勢に入ったのだ。次の瞬間、ドアが勢い良く開かれ大きな音が響く。
「おいおい!俺の女に手を出して、タダで済むと思って…いない、だろ…な…」
入って来た瞬間に腹パンを喰らわせると男は前のめりに倒れた。おお、凄いな!最後まで言い切ったぞ。気絶しないように腹のど真ん中を撃ち抜いたから、かなり痛いはずだがと男の根性に感心していた。そんな俺たちを見てマリーは部屋に隅で口に手を当て、わなわなと震えていた。彼女からは恐怖・困惑・そして安堵と言った複雑な感情を感じた。うーん、安堵?2人まとめて処罰してもいいが、マリーには事情がありそうだから聞いてからにするか。俺はなるべく優しい声音で話し掛けた。
「マリー、この男は君の知り合いかい?」
「…は、はい。」
「そうか。何か事情があるんだろ?話してごらん。」
声を震わせながら返事をしたマリーは俯いて、黙り込んでしまった。口元を見ると、開けては閉じを繰り返していた。しばらく待つと深呼吸する音が静かな部屋に響く。意を決したように顔を上げ、語り始めた。彼とは幼馴染で10歳の時に別々になるが、17歳の時に再会して付き合い始めたこと。2年前から彼が豹変したこと。気に入らないと直ぐに怒鳴るし、ガラの悪い連中と付き合ってるのを注意したら暴力を振るわれたこと。別れ話を切り出した時は特に酷かった。最近では、いつ犯罪の手伝いをされるのかと毎日、気が気でなかったと。
「本当はこんなことしたくないわよ!でも、従うしかないの。怖いの!誰も助けてくれないし、どうしようもないの。知らない男を部屋に入れるのなんて、嫌に決まっているじゃない!でも、あたしのせいで、あなたが傷つくとこを見たくないの!!―――――」
マリーは最初、ぽつりぽつりと話していたが、次第に言葉が堰を切って出て来たようだ。最終的には膝を着き、慟哭していた。俺は話の途中から自然と手を彼女の頭に乗せていた。ボロボロと泣く彼女が落ち着くまで優しくなでた。本当に優しい娘だと思いつつ、脂汗を浮かべながら睨め上げる男を一瞥する。
「他に帰れる場所はあるかい?今日はゆっくり休みなさい。悪いようにはしないから、後は任せるといい。ミュリエラ」
うんうんと何度も頷いて、マリーは出て行った。おっと、彼女の基本ステータスを見てたから、つい本名で呼んでしまった。どうやら、気付かれなかったようだ。見送った後、男と向き合う。まあ、俺が見下ろしているだけだが。彼女の話では、男の仲間との繋がりはなさそうなので、お話すれば分かってくれるだろう。まあ、事後に来なかったのは、こいつの優しさ…優しさ?いや、違うか。違うな。
「さて、お前のことはどうすればいいと思う?言いたいことがあったら言ってごらん。」
「ちっ、初めてさせたが、ついてないぜ!だが、覚えていろよ、後で仲間と徹底的にいたぶってやる。」
「ん?おめでたい奴だな。助かると思っているのかい?」
「はぁあ?俺をこ、殺すって言うのか?出来る訳ねぇだろ!!」
「選択肢をあげよう。棒と玉どっちがいい?」
「…何の話だ?」
「んー、スポーツの話だよ。」
「絶対違うだろ!字がおかしんだよ!!」
ギャーギャーと五月蠅い奴だな。もういいやとばかりに男の玉を潰した。声にならない悲鳴を上げ、床をゴロゴロと転がっている。今夜、1人の男が死んで、新たなナニカが誕生する瞬間だった。何故か、彼の名前が一切出てこなかったのは、こういうことだったのかもしれない。決められた運命なのだ。新しい自分を受け入れて、真っ当な人生を歩んでほしい。
悶絶して静かになったので、ベッドに横になって空間魔法・マップを見る。種明かしをすると最初から分かっていた。酒場に2人一緒にいたことも、男が付いて来ているのも、部屋に入って来るタイミングもマップで確認できた。いい実験が出来た。マップも昔は踏破した場所しか表示できなかったが、管理者になったことで星脈から詳細情報を得られる。ネットに繋がっているようなものだ。最強だろ?。行ったことがない場所や人の動きなどもリアルタイムで確認できる。ただ、根こそぎ情報を取得しているようで重過ぎる。なので、普段は地形だけ表示している。大賢者でもいればなぁ、もしくはシエルさんの捨てた抜け殻でも可…
ん?少し距離はあるが空間が歪むのを感じた。マップでその地点を見ると人の反応がいきなり消えた。やれやれ、夜は始まったばかりらしい。俺は目的地へ空を駆けて行くのだった。