黒騎士と白騎士
その日は、太陽の光も差さぬ曇りの朝だった。
とある戦地に近い貧村、事件はそこで起こった。
兵士たちが村を襲ったのである。
「やめろ、やめてくれ!」
「キャアァーーーッ!」
村人達は殺され、食料は貪り食われ、若い村娘は拐われ。
地獄―― それはまさに阿鼻叫喚の地獄であった。
兵士達は西の国の者達だ。
かの国は軍事国家で、武力を持って大陸を制さんとする強国である。
この北の国にも攻め入り、こうして村々を襲いながら首都へと進軍をしていた。
「どうか、どうかこの子の命だけはお助けを……!」
一人の若い兵士に子を連れた母親が命乞いをする。
兵士はそれに槍を向けるが、その手は少し震えていた。
まだこの兵士は人を殺したことがない新兵なのだ。
「どうした」
新兵の後ろから重々しい声が響く。
彼の後ろには兵士達を率いるクラウスという名の隊長がいた。
他の兵士とは違う、装飾のついた白銀の甲冑に身を包む白い騎士だ。
背にはクレイモアを携え、威武堂々とした立ち姿で新兵を見下ろすかのように見ていた。
その甲冑には返り血は付いていない。兵卒どもに略奪を行わせているのだ。
「た、隊長」
新兵は声を震わせてその声に応えた。
クラウスは西の国の軍勢で上位の実力を持つ一人である。
しかしその性格は惨虐そのもので、例え自軍の兵だろうと気に食わないのなら殺す男であった。
彼の異名である"血染めの白騎士"がそれを物語っている。
「殺せぬか」
再び、重々しい声が響く。
その声には少し苛立ちのようなものが含まれていた。
兵士は怯え、そして槍を持つ手に力を入れると母親の方へと槍を突き刺した。
短い悲鳴を上げ倒れこむ母親。子供の絶叫が辺りに響き渡る。
「それでよい」
それだけを言い残すと、甲冑の音を鳴らしてその場を離れていく。
間も無く、子供の絶叫も聞こえなくなった。
深い、深い森の中。
その者は焚き火の前に座り、鞘に収まったクレイモアを抱え疲れを癒していた。
声無き者の代弁者、踊る死神、影の者、咎裁き。
彼を見た者が彼を表す言葉は幾多もある。
ただ全員共通して事は、上から下まで真っ黒な騎士—— "黒騎士"であると。
彼が異変に気が付いたのは数刻が経った頃である。
鳥が喚き、遠方から人々の悲鳴が聞こえてくる。
風が血の香りを運び、戦火の香りを運んでくる。
「——嘆く声が聞こえる」
森の中にガチャリと甲冑の音が響く。
黒騎士は立ち上がると、村の方向へと歩き始めた。
不思議と鳥は鳴き止み、村からの叫びのみが森の中を木霊していた。
村は火を放たれ、既に廃墟と化していた。
クラウスは略奪した物資を輸送用の馬車へと積み込むように指示をする。
そしてこう命令したのだ。
"生き残りを探し出し、残らず殺せ"と。
この地獄をなんとか生き残った村人達は、全員食料庫の地下室へと逃げ込んでいた。
村で唯一頑丈な石造りであったこの食料庫は、屋根を焼かれただけで内部までは燃やされなかった。
さらに地下室への扉は落とし戸で、運良く見つからなかった為に難を逃れたのだ。
しかし、クラウスの命令で再び兵士達が食料庫へと入ってくる。
鎧が擦れる音と幾多もの足音が頭上から聞こえ、再び村人達はひどく怯え上がった。
音はだんだんと近づいてくる。もはやお終いか、そう思った時である。
何かが断たれる音、剣戟、呻き声。
それらが聞こえ、消えたかと思うと、落とし戸の隙間から血が垂れてくるのが見えた。
一体何事かと見ていると、落とし戸が少し開かれる。
「少し待っていろ」
一言。たった一言、男の声が聞こえてくる。
落とし戸を開けた主の姿は分からなかったが、それは自分たちを助けに来た者だと理解はできた。
そしてこの落とし戸は再び閉じられ、村人達が再び開けるまで開かれることはなかった。
「ほ、報告! 何者かが我が隊に対し攻撃を……ひっ、き、来た!」
報告に来た兵士が怯えながらクラウスに駆け寄る。
が、クラウスはその兵士の首に目掛けてクレイモアを振るった。
「かはっ……なん、で」
ぴしゃっ、と首から血飛沫を上げ力無く倒れる兵士。
返り血がクラウスの白銀の鎧に跳ね、赤く染まった。
「敵前逃亡する臆病者は我が隊には要らぬ」
そう言い捨てると、兵士が逃げてきた方向へと目をやった。
辺りは不気味なほど静かになり、ガシャガシャと歩いてくる甲冑の音のみが響いている。
血濡れたクレイモアを携えた黒騎士が、目の前にゆっくりと、確実に迫ってきている。
「死神が迎えに来たか」
その声は少しばかり愉快そうであった。
迫る黒騎士に立ち向かうしか無い兵士達は、剣と盾を構えて黒騎士を取り囲もうとする。
だが、するりするりとまるで揺らめく影のように動き包囲できない黒騎士に翻弄され、陣形が乱された。
一人、首が飛んだ。また一人、腹を裂かれた。
一人、また一人と確実に減っていく。
恐怖に支配された兵士達は、もはや烏合の衆だった。
恐怖のあまりに逃げ出そうとした兵士がクラウスに斬られ、首が飛んだ。
「お前らでは話にならん」
そう言うと、自身のクレイモアを構えて黒騎士と対峙する。
血染めの白騎士が黒き死神に挑んだのだ。
刹那、黒騎士のクレイモアが唸り白騎士の首を落とさんとする。
白騎士、それを弾いて胴を断たんとする。
黒騎士、それを弾いて手を落とさんとする。
鳴り響く剣戟。鍔迫り合い。
その間に入ろうとする者は既に居なかった。
入ろうとした者はすべからく二人のどちらかに撫で斬られたからだ。
クラウスはこの戦闘を楽しんでいた。
これほどの使い手と戦えるのはいつ振りだろう。
この名も素性も知れぬ達人との殺し合いを、白騎士は心の底から楽しんでいた。
白と黒の攻防は何度も繰り広げられ、永遠に続くものかと思われた。
だが一瞬。ほんの一瞬だけクラウスは油断した。
それはこの戦いを一秒でも長くしたいと言う思いか、それとも自分は負けないと言う驕りがあったか。
しかしそれは白騎士にとって致命的な一瞬であった。
剣を弾かれた刹那、斬り込んだ黒騎士によって手を斬られクレイモアを地面に落とす。
「見事」
そしてそのまま首を断たれ、白騎士の首が宙を舞った。
「ああそんな! 隊長が!」
「クラウス隊長が殺された!」
「血染めの白騎士が殺された!」
残った兵士達は絶望の声をあげた。
もはや勝ち目はないと蜘蛛の子を散らすように逃げ出す敗残兵。
黒騎士はそれを追うこともなく、ただ白騎士の亡骸を見下ろしていた。
「何が見事か」
そう言い捨てると、彼は残党の行方を追った。
この村を襲った代償は償ってもらわねばならぬ。
ガシャリ、ガシャリと動く甲冑の音のみが、この場を制していた。
村人が再び落とし戸を開けた時、鳥のさえずりが辺りに響いていた。
先ほどの人物の姿は無く、既に村は死んだ村人や兵士達の血で溢れていた。
一体彼は何者だったのか予想することも出来ない。
「ああ、神よ」
一人の村人が祈る。
彼は神が遣わした者だったのではないだろうか、そう思ったからだ。
その祈りは伝播し、いつのまにか全員が祈りを捧げていた。
曇りは晴れ始め、日差しが雲の隙間から差し込んできていた。
その後、この村の近辺で惨殺された兵士の死体がいくつも見つかることになる。
それら全て、苦悶の表情で死んでいた。
まるで死神が目の前に現れ、魂を刈られたかのように——。