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エウル、公主と出会う

 『狼煙があがった翌日、太陽が中天と東の地平の真ん中当たりになったら』。そろそろ約束の時間だ。


「大将、やっぱり俺たちも着いて行った方が良くない?」


 偵察に行って戻ってきた犬たちを撫で倒していたら、ウォリが心配げに馬を寄せてきた。


「本当に女を連れてきているってさ。罠じゃないみたいだな」


犬たちに確認を取ったばかりのことを教えてやる。


「そんなのわからないじゃん。女は囮かも」

「だったらよけいに誰も連れて行かない。一騎ならあの崖から駆け下りられても、俺たち全員いっぺんにってわけにいかないだろ。どうせおまえたち、相争って、逃げるより矢の的になる方を選ぶに決まってんだから」


俺の盾になろうとして。

冗談じゃない。


「大丈夫。弓を向けられたら崖からすぐに駆け下りるし、あいつらはあの崖を追って来られない。後は馬たちを突っ込ませて蹴散らさせればいいんだから、何にも危険なことなんかないさ。それより、馬たちが不安にならないよう、ちゃんと付いていてやれ」

「ほんとにまったく、大将は、馬馬馬馬! 馬ばっかりだな!」


 ウォリが肩をすくめて、馬の列に戻って行った。


「エニ、マニ、いい子だ、ご苦労だったな」


 腰の物入れから乾燥させた羊肉の切れっ端を取り出し、犬たちにくれてやる。


「今度は、帰り道に敵が居ないか見てきてくれるか?」


 二匹にベロンベロンと情熱的に、兜の頬当ての間から舌を入れられて、鼻と頬を舐められた。


「よしよし、ありがとう、心配ない。じゃあ、頼んだぞ。……さあ、行け!」


 林を指さすと、真っ黒い犬たちは一回踊るように飛び上がって、疾風のように駆けていった。


「さてと」


 立ち上がり、馬の首を撫でる。気が荒くて一番大きく、力の強い馬を連れてきた。何があってもひるむことはないだろう。

 ハミを取って、小石だらけの坂へと向けさせる。


「あそこを登って、あの上に出るんだ。そうしたら、止まれ。相手の出方をうかがう。それで、うまくいったら、女を一人もらって帰ってくる。おまえが頼りだ。頼んだぞ」


 どんと胸を鼻面で押された。


「四の五の言わずに早く乗れって? おまえは頼もしいな!」


 俺は馬に乗り上げた。腰を浮かし、馬が好きに行くのに任せて進む。馬はどんどん速度を上げて、斜面の上に躍り出た。

 坂の下、なだらかになった部分に、輿と女と外交官、それを取り囲んで、百人ほどの兵がいた。兵たちが槍を構える。しかし、弓は司令官らしき男が下ろさせた。

 膝をついていた外交官が立ち上がり、こちらに向かって手を振った。


「エウル様!」


 よし。敵意はなし、と。

 俺は尾根の方を振り返って、皇帝の娘を貰う代わりに返す――利子を付けて贈る――馬たちを呼んだ。


「ヤー! アー! ヤー!」


 来い! こっちだ! 来い!


 傾斜のゆるい尾根の方に待たせていた馬たちが、腹心達の手を離れて動きだし、先頭から徐々に駆け足になる。やがて、雨の後の川みたいな奔流になって、小石だらけの広場へと駆け込んでいった。

 人を踏み潰すな、広場に入って待て、と言い聞かせておいたとおりにふるまってくれている。


 あんなに賢く可愛いっていうのに、村人に税とか何とか言って帝国の兵士が物を略奪していって困っていると聞いて、様子を見にやってきた時は、じゅうぶんな餌をもらえず、とても毛艶が悪かったのだ。

 ちゃんとした餌が食いたいと言うので、草が食べられるところまで連れて行ってやったら、ずいぶん懐かれて、元のところへ帰ろうとせず、そのまま親父様のところまで連れ帰ったのだった。馬がなければ、突撃もして来られないだろうという目算もあった。


 親父様は渋面で深い溜息を吐きはしたが、特に叱りはしなかった。『様子を見てこい』『村人の力になれるようならなってやれ』『ただし事は荒立てるな』の三点は守ったからな。だいたい、荒事は嫌いだという俺に、あんな用事を言いつけるのが悪い。

 だけど、やったことの責任は取れと、和平の証に送られてくる皇帝の娘と結婚することになった。


 あれが、娘なあ……。

 中央で突っ立っている、豪華な着物の女は、頭から赤い布を被っていた。角でも生えているみたいに、頭から突き出た何かが、布の下でツンツン立っている。まるで、赤い頭の化け物のようだった。

 小さくっても女でも、竜血の末ってことか。馬が怯えないといいが……。


 去年、あの外交官に会った時、皇帝の娘とはいえ、普通の女性ですよ、と言われていたが、どうだかわからない。帝国の身分が高い者の妻女は、屋敷の奥深くに住まわせられ、人前に出ることもなく育つ故、か弱いのだという。閻の女性方のたくましさを基準にしないようにと、口を酸っぱくして説明していたが、信じられない、姿が怪しすぎる。


 馬たちが無事に広場に入りきった。これでいつでも、馬たちに帝国の者達を蹴殺すよう、一声で命じられる。


「行こう」


 乗馬に一声掛けて、広場へと下りていく。外交官の前で馬を降りて握手を交わし、連絡事項を伝える。それから女に向き合った。


「お名前は?」


 女はもたもたと大きな赤い頭を揺らし、ぼそぼそと何か言った。外交官に何か言われ、今度は早口でまくしたててくる。どうやら帝国の言葉らしいのはわかったが、どのへんがどう名前だったのかわからない。しかたなく、最初の方から覚えているところまで復唱してみた。


「ヨヨヨウカ、デス、ア、イエ……?」


 女が、びくりと体を揺らし、うつむいた。肩がぶるぶると震えだす。……え? まさか怖がらせてしまったのか? あれだけでか!?

 困惑する。この顔のせいだろうか? だけど、厳めしいと評判の親父様似なのは、どうしようもないぞ……。

 困り果てて、外交官に視線をやった。彼は問題ないというように薄く笑んで言った。


「耀華公主とおっしゃいます。輝く花という意味です」

「輝く花。ふうん。……耀華公主と呼べばいいのか?」

「さようです。公主はこのように控えめな大変おとなしい方でして。屋敷の奥深くで大切に育てられた方ですので、お体もお丈夫ではありません。無理をされると、すぐに体調を崩されてしまいます。どうか、エウル様におかれましても、大切に大切に扱ってくださいますよう、お願いいたします」

「わかった。……耀華公主」


 うつむいていた頭が上がったので、手を差し伸べてみる。

 小さな手が、そろそろとあがってきて、羽のような軽さで重ねられた。人間の手だった。あんまりにも小さくて、そっと握る。その動作で少し引っ張ってしまったら、一歩、二歩と、不安げに、でも、自分から歩み寄ってきた。

 ……こんなに怖がっているのに、それはどれほどの勇気を振り絞ったものなんだろう。

 なんだかたまらない気持ちになった。急に彼女が、ただの人間の女に見えた。

 国のため、生まれ育った場所を離れ、ただの一人も知る者もいない国へ嫁ぐ。それが非力な女にとって、どれだけ心細いものなのか。

 彼女を娶りさえすれば、王族の責務から離れて、好きに家畜を育てるのに専念していいと言われて喜んでいた、己の気楽さが恥ずかしくなった。


 ……この女を守ろう。生涯大切にしよう。俺のできる限りで不自由のないようにしてやろう。


 生まれたばかりの子羊を取り上げるように、抱き上げる。側でよく見ると、布の向こうに輪郭が透けて見えた。

 そういえば、俺の名前を教えてなかった。


「エウル」


 名乗ったら、ガクガクと赤い頭が揺れ、似ているようで異なる響きの言葉が返された。

 なんか違うな。

 もう一度ゆっくり言ってみる。


「エ ウ ル」


 そうしたら、彼女の体のこわばりがとけたのが触れたところから伝わってきて、二呼吸ほど後に、可愛らしい声で呼ばれた。「エウル」と。

 びっくりした。体の芯がカッとするような、甘い甘い声だった。

 ……すごく気に入った。


 足を広げることのできなそうな服だったので、横向きに馬に乗せて、その後ろに跨がった。馬に乗るのが初めてなのか――そうだよな、輿に乗ってきたくらいだ――高いのが怖いようで、しがみついてくる。腕の中にすっぽり収まるぬくもりが、心地良かった。


 彼女は外交官に一つ手を振った後は、もう振り返らなかった。馬が動きだしても、故郷にも同胞にも背を向けて、ただ前だけを見据えていた。

 ……勇敢な娘だ。

 俺はすっかり、彼女に感服したのだった。

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