エウル、狩りに出る
狩りの朝、公主と叔母上で仕立ててくれたばかりの上着に袖を通した。蒼天を示す青地に、綺麗な刺繍が全面にしてある。王族らしい豪華な服だ。
今回は特に、結婚して初めての巻狩りへの参加だ。独り者の時の、親父様の傍でおまけとして行動していたのとは違う。結婚して独立してこそ男も女も一人前と見なされるから、今まで以上に血族としての自覚と貢献を求められ、注目されるのだ。
そして、そんな夫のまとう服の仕立てで、妻も品定めされる。
……などという余計なことは、公主には言ってない。
それでも公主は俺のまわりをちょろちょろとして、細々たしかめてまわっている。仕立て上がった時に一度試着してあるのに、どうしてもできあがりが気になるらしい。心許なげに尋ねてくる。
「……どうだい?」
「ああ。とてもあたたかいし、動きやすい」
また後ろにまわりこもうとした公主を捕獲し、抱き寄せた。
「ありがとう、耀華公主」
「どういたしまして。でも、半分以上、パタラのおかげ」
「うん。叔母上には、また後で礼を言っておく。でも今は、公主に言いたい。素晴らしいものをありがとう」
照れくさそうに笑む公主の額に口づけた。そこから、こめかみを辿って、耳にも口づけつつ囁く。
「仕上げを頼む」
彼女は「ん」と肩をすくめて頬を染め、身をよじって腕の中から逃げだしていった。けれど、口づけた方の耳の後ろで髪を留めていたリボンを解き、それを持ってすぐに近付いてくる。
彼女に左腕を差し出すと、リボンを二の腕に巻いて縛りつけてくれた。そうして、両手で俺の腕をつかみ、リボンに額をあてる。
「どうかエウルが無事に帰ってきますように」
……ああ、結婚してよかった。
と、こんな時、本当によく思う。愛しい人が、我がことのように俺を心配し、帰りを待っていてくれる。それが、どのくらい幸せなことか。
やがて彼女が顔を上げると、俺は引き寄せて彼女の帯に手をかけた。
「でっ、でかけるんだろう!?」
拒みはしないが、あわてたように聞いて、出入り口を気にしている。外が騒がしくなってきていて、いつ誰が呼びに来てもおかしくない。こんな場面を見られたらと思っているのだろう。
大丈夫だ。何のために俺が出入り口に背を向けていると思う。他の奴にこんな可愛い表情を見せるなんて、もったいないからだ。
それに、残念ながら、脱がすために帯をといているのではなかった。
「公主には、これを」
俺はいつも着ている平服の帯を取って、彼女の細い腰に巻き付けた。二周するには長さが足りないが、ただ巻き入れるには端が長すぎる。それで、縛って左の脇に垂れさせた。
膝をついて、その縛り目ごと彼女の腰を抱きしめて、どさくさにまぎれて胸の間にも――服の上からだが――口づける。
「公主が無事でいますように」
公主は、ちょっと泣きそうな顔で、俺の頭に抱きついてきた。ああ、甘いいい匂いがする。
しっかり胸元に抱え込まれ、いくらかふっくらしてきた胸のやわらかさに顔が埋まって、ますます離れがたくなった。
いや、日暮れまでには帰ってくるし、長旅に出かけるわけでもなんでもないのだが。それでも、別れがたくて、たまらなくなる。
彼女もそう思ってくれているのが、嬉しくて、愛しくて、「エウル、そろそろ出てきてくれないか!?」と催促されるまで、長い口づけでひとときの別れを惜しんだのだった。
空は雲一つなく晴れていて、空気はキンと冷えていた。一番最後の出立になり、少々急いで狩り場へと馬を駆る。
王の居留地を抜ける時、スレイの天幕が見えた。いくつも所有していたはずの奴僕用の天幕はなく、肉を保存しておく小さなものを一つ従えているだけだ。外に積み上げてある燃料の山も小さい。
……ちゃんと越冬の準備はできたのだろうか。
巫覡の元で治療を受けていたスレイの一家は――最早、彼と母のレイナだけだが――、スレイの症状が落ち着いたところで、王の居留地の隅に移ってしまったのだった。レイナが、追放された身でこれ以上世話になるわけにはいかないと言い張って。
症状が落ち着いたとはいっても、傷がふさがっただけで、スレイは未だ一言も喋らず、レイナに世話されて、どうにか生活している状態だと聞いている。……体が動かないのではなく、自ら動かす意思がないのだと。
彼らには、王の許しを得て公主の身代わりとして一家で囮となり、襲撃を未然に防いだ功がある。だから、親父様は何くれとなく手を差し伸べているのに、それもレイナは断りがちだというのだ。
心配だった。だが、追放した手前、俺からは何もできない。ままならなさに、奥歯を噛みしめる。
誰も、おまえたちの死など、望んでいないんだぞ、スレイ。
そう言って、あいつの胸ぐらをつかんで、揺さぶってやりたかった。
だけど、今の俺には、「俺のために生きて死ね」とは言ってやれない。その権利は、手放してしまった。
あいつを生かしたいと思った、どうしても。殺してやった方が楽だろうなんてのは、最初からわかっていた。だが、今、どれほどの絶望にスレイが陥っているのか、想像すら追いつかない事態になっている。
だとしても、俺の決断が間違っていたとは、考えない。二度と、そんな愚にも付かない考えには捕らわれない。
スレイは最高の忠誠を俺に示した。ならば俺も、それにふさわしい主であると示すだけだ。
王の銅鑼が響き渡った。戦でも攻撃の合図に使われるものだ。
俺は右翼を任されている。手をあげ、配下が注目したのを肌で感じ、前へと振り下ろす。『全速力で敵を追い込め』。それが王の指示だ。
鬨の声をあげ、馬の速度をあげる。獲物を逃がさぬよう横一直線に整然と並び、追い立てる。カモシカの群れが逃げだした。奴らは足が速い上に、持久力もある。馬では追いつけない。弓を構えた者達の前に誘導するのが俺達の役目だ。
追いながら弓で狙って狩れないわけではない。だが今回は、帝国の皇帝の娘を妻に娶った俺の様子を、各支族の重鎮が、王の巻狩に参加するという名目で見に来ている。少し前からずっと逗留していて、俺が竜血の傀儡に成り果ててないか探っているのだ。
おかげでこのところ宴に次ぐ宴で、酒にもジジイどもの顔を見るのにも、飽き飽きだった。
それより可愛くて優しい妻と親密に過ごしていたい、などと言ったら、面倒なことになるだけなので、絶対に顔にも態度にも出せはしないのだが。
……ああ、でも、カモシカの角はいい薬になる。近いうちに、個人的に狩りに出よう。
そう遠くないうちに王の居留地から旅立てるようになるだろう。その時に備えて、公主のためにも、配下のためにも、手に入れておきたい。
楽しい未来を思い描いて、唇が勝手に笑みを描くのを感じる。
さてと。ここを頑張らなくちゃな。
雑念は追い払い、忠実で有能な王の手足であることを示しつつ、彼らに花を持たせる、そんな俺の今日の本当の仕事に専念した。




