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政略婚~身代わりの娘と蛮族の王の御子~  作者: 伊簑木サイ
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エウル、求婚を伝えてもらう

 ……泣かれるかと思った。

 何を怒られているのかわからない、という傷ついた表情を思い出して、胸がズキズキする。

 俺が悪かった。大声を出さなくても、窘められたはずなのに。……彼女が地面を掘り返しているのを他の者に見られたらと、焦ってしまった。


 それでもこうして、ぺったりと抱きついてくれているのが救いだった。顔は見せてくれないが、それは俺だって合わせにくい。離れたくないと思ってくれているのだと思いたい。……嫌われたり、恐れられていないのだと。俺が、こうしてるだけで幸せな気分になってしまうように。……いや、それは望みすぎか。


 俺はとにかく、できうるかぎり馬をゆっくりと――公主は乗り慣れてないから――急がせ、天幕に戻った。

 そうしたら、オーウェルが何かを持って歩いてくるところに遭遇した。


「ちょうどお帰りになりましたか! お目覚めと聞いたので、パタラ様からの差し入れをお持ちしました」

『パタラ?』


 公主が顔を上げた。叔母上ではなく、オーウェルの姿を見つけて、狼狽した様子で俺から手を離し、姿勢を正す。

 ……恥ずかしいことをしているわけでもあるまいし、むしろ見せつけてやるぐらいでちょうどいいものを。

 離れていった肩を抱き戻すと、驚いた顔で俺をちらりと見上げて、すぐに恥ずかしそうに目を伏せた。

 ……こういう表情がかわいい……。彼女のもどかしく感じるところに、胸が疼いてしかたない。困ったことには陥らせたくないのに、こんな顔は見たい。それに気付いて、ひやっとする。俺、ろくでなしなことを考えてないか?

 笑みをたたえて、俺達をじっと見つめているオーウェルに、そんな自分を見透かされている気がして、そっけなく言い放った。


「わかった。受け取ろう。このとおり公主も元気だ。特に困ったことはないと、叔母上に伝えてくれ」


 いや、困ったことならあった。こいつに公主への説明を頼もうと思っていたのだ、と言った後から思い出した。なるべく先延ばしにするべきではない。生真面目な公主は、もやもやと考え続けるに違いないのだから。

 どう切り出そうかと迷ったところに、オーウェルの方が反論しだした。


「エウル様はそう仰るだろうと、パタラ様は仰っていました。ですので、公主にうかがうよう申しつかっております」


 彼は公主に視線を合わせると、帝国の言葉で聞いた。


『公主、少しお話ししたい。いいですか?』


 彼女は、どう答えればいいのか、求めるように俺を見上げた。

 どうせ、オーウェルに頼みたいことがある。ここで頷けば、話は早い。だが、ここでそれをやってしまえば、公主はいつでも、まず俺に判断を仰がなければいけないと考えるようになってしまうだろう。

 そこで俺は、彼女に尋ねた。


『いや? すき?』


 嫌か嫌じゃないか――するかしないか――は、公主自身が決めていい。昨夜、彼女に触れるごとに、ひとつひとつ聞いたのは、彼女の嫌がることだけはしたくなかったからだ。

 ……何一つ我慢できなかったのは、その全部に、嫌じゃないと答えてくれたせいだ。いや、もちろんこらえ性のない俺が一番悪いんだが。

 初めは躊躇いながら恥ずかしそうに、そのうち、余裕なく『すき』と――嫌じゃないと――囁かれるごとに、煽られて歯止めが利かなくなった……。


 その『すき』を、他の者に聞かせたくないと一瞬思った。が、馬鹿なことを考えているんじゃないと、自分を叱咤する。

 ところが、公主は不安そうに瞳を揺らして、かすかに首を傾げた。


「申し訳ございません、エウル様。その用法が間違っておりまして」


 何の話だ。いぶかしくて、奴を見ると、笑いたいのを我慢しているのを、わざとらしく取り繕って咳払いした。――そういうところが腹立たしい。きれいに隠せるくせに、相手に感づかせて、何を笑っているのか聞くか聞かないかはご自由に、とゆだねてくる。からかっているのだ。

 オーウェルは、人の悪さでは、一族内で一二を争う男だ。俺は、謀られた、と直観した。


「わざとではございません。別れ際にこそこそと、帝国語の『いや』の反対はなんだと急かして聞かれましたので、とっさに単純に『好き』をお教えしただけで。まさか、嫌か嫌でないかを聞くときに使うとは思わず」


 嘘だ。面白い事態になる方を選んだに違いない。

 聞きたくないが、聞いておかないとたいへんなことになるのがわかって、渋々尋ねた。


「……それはこちらの言葉だと、どんな意味になるんだ」

「好き、ですね。二つ合わせると、嫌いか、好きか、そういう意味になります」


 好き? ……好き!?

 ぐわん、と目眩がした。

 なんだ、それは、俺はもしかして、昨夜、いちいち、嫌いか好きか、キスするのにも、どこかに触れるにも、契りを結ぶにも、聞いてたってことか!?

 それに答えた彼女の声の一つ一つが耳によみがえってきて、ぐらぐらと体が熱くなった。


『エウルが、すきです』


 そう言われた。何度も。

 何度も!

 舞い上がりそうにふわふわとした目眩が止まらない。俺は彼女を、ぎゅううと抱きしめた。


「お邪魔してもよろしゅうございますか?」


 本音では、今すぐ帰ってほしい! 二人きりになりたい! だがしかし、彼女の真意を確かめるには、こいつがいなければ言葉じゃない方法で聞くことになる。

 自分が何をやらかすか、疑いようもなく思い浮かんだ。


「公主へ頼め……」


 俺は苦渋の決断で答えたのだった。




『こちら、羊肉のスープです。パタラ様が飲むようにと言いました。元気が出ます。今、飲むがいいでしょう』

『はい。ありがとうございますとパタラに……、パタラ様にお伝えください』

『公主はパタラ様に敬称をつけなくてもよいです。身分は公主の方が高いです。……用意を手伝います。運びます』


 天幕に入ると、調理台に向かった公主へと歩み寄り、オーウェルは手に持った器の中身を見せて、さかんに帝国語で話しかけた。それからさっと棚の椀を取り、持ってくる。ちゃっかり三つだ。ぽん、ぽん、ぽん、と置くと、また取って返した。


『馬乳酒入れはこれですね。エウル様に入れてもらいます』


 すぐに戻ってきたオーウェルに、水差しを押しつけられた。


「馬乳酒をおねがいします」


 どうすればいいのかよくわからなくて立ち尽くしていた俺は、ああ、と了承して革袋に向かった。

 そうしている間にもヤカンを取り出してきて、今度は水を入れてこいと、馬乳酒で満たした水差しを取り上げられつつ、渡される。

 そういえば、腹心達が集う天幕では、あいつらもいつもそうしているなと、思い出した。


「男の甲斐性ですよ。一緒に居るときは、重い物は妻に持たせない。夫婦円満の秘訣です。

 お二人には侍女もつきますが、あまり邪魔をされたくないなら、ご自分でやることです。

 王も若い頃はそうしていらっしゃいましたよ」


 そうだった気がする。親父様が次期王に決まるまでは、かしずく者は少なかった。

 親父様と母は、いつだって肩を寄せ合って座っていた。その間に入りたかったけれど、そうはさせてもらえなくて、俺達は争って、どちらかの膝にまとわりついたものだった……。


 公主がチーズを持ってきて、俺達は席に着いた。オーウェルも当然の顔で座る。


『さあ、公主、どうぞ食べます。疲れがとれます。体に不調はないですか?』

『ないです。ありがとうございます』


 新婚一日目の朝だっていうのに、彼女の世話を焼くのがオーウェルって、どういうことだ。

 たいへん不満だったが、公主はオーウェルの帝国語に、はにかんだ顔を見せている。俺には何を話しているかもわからない。さえぎることはできなかった。

 俺はさっさと用事を済ませて、オーウェルを追い出すことにした。


「オーウェル、公主に土を掘り返してはいけない理由を説明してやってくれないか」

「どうしたので?」


 聞き返されて、う、と詰まったが、話さないと引き受けてもらえそうになかった。それで、さっきあったことをかいつまんで説明した。……毒を含んだものだといけないので、中身は早い段階で、こっそり、形を似せたチーズと馬乳酒に変えてあったことも。


「本来の中身は何だったのでしょうね。瓢箪の方は飲み物として、袋の方は食べ物だったのですか?」

「たぶん。そう見えた」

「でも、土に埋めようとした、と。……帝国の方ですしね」


 俺は頷いた。もしかしてあれは、種だったのだろうか。だが、こちらでは、あちらの植物を埋めても芽は出てこない。それどころか、掘り返したところからどんどん不毛の地が広がって、しまいには砂漠になってしまうのだ。

 侵略してきた彼らに、どれほどの地が砂漠に変えられてしまったか。豊かな大地を使い物にならなくする彼らを、だから俺達は、同胞を殺されたと恨む以上に、憎み、蔑むのだ。

 そんな行為を公主がしているのを誰かに見られれば、悪評としてあっというまに広がり、公主を受け入れようという者はいなくなるだろう。どうしてもそれだけは避けたかった。

 相手の男も余計な物を持たせてくれたものだと、苦々しく思う。


 オーウェルは公主と話しだし、彼女は驚いた顔をして、それから神妙に頷いた。少し泣きそうになっている。そこまで自分を責めることはないのだが、俺が大声を出して止めたせいもあるのだろう。俺は公主の肩を抱いて、腕をさすった。


『エウル様は怒ったわけではありません。あわてただけです。あなたに怖がられて嫌われたんじゃないかと、気にしています』

『まさか! そんなこと、ありません!』

『エウル様が好きなのですね』


 ……? 俺の名前の後に、『すき』と聞こえた気がする。

 彼女は、びくっと肩を揺らして、それからだんだん顔を赤くし、肩をすくませて小さくなった。ちろりと俺を見、さっと目を伏せる。そのまま、消え入りそうな声で答えた。


『はい』

「よかったですね、エウル様。あなたのことをお好きと仰ってますよ」

「あ、ああ」


 俺は気の抜けた返事をした。そんなに簡単に言われても、なんだか現実感が伴わない。

 オーウェルが、何か公主に説明している。もっと赤くなって、いたたまれなさそうにうつむいていくのは、どういうことだ。


「エウル様に、公主がお好きだと言っているのをお教えしたと、伝えました」


 ニンマリと言われたが、奴の目が笑ってなかった。何かを催促している。何かって、何だ。俺はとっくに公主に好きだと伝えて、……あ、伝わってないんだった!

 公主は、本当に消え入ってしまいたいという様子だった。……それはもしかして、彼女だけが一方的に俺を好きだと思っていると誤解しているからなのか?


「公主、あなたが好きだ、俺の妻になってくれ」


 急いで向き直って、手をつかんで、もう一度伝える。


「はい、エウル。あなたがすきだ、おれのつまになってくれ」


 彼女はそっと目を上げると、教えたとおりに繰り返した。ちゃんと覚えていてくれた。なら、俺の方が好きになったのは先だったとわかってくれるだろう。


「オーウェル、今のを訳して伝えてくれ」


 説明を聞いた公主が目を見開き、うるませていった。俺を見る。彼女の唇が震え、すんと鼻をすすったかと思うと、ぽろぽろと涙をこぼした。

 嬉し泣きなんだって、わかる。

 ……ああ、こんな顔がもっと見たい。

 俺は彼女を抱きしめて、胸に顔を埋めて泣く彼女の髪に、唇を寄せた。

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