アニャン、誤解を悟る
エウルは、にっこりすると、手を差し伸べてきた。いつものとおりに、そこへ手をのせる。抱き上げられるのかなと思っていたのに、歩み寄ってきた彼は、重ね合わせた手はそのまま、後ろから腕をまわして私の腰を抱いた。
ひゃ、と変な声をあげそうになって、呑み込んだ。腰に当てられた大きな手が熱い。なんだか、抱き上げられるより猛烈に恥ずかしい。しかも、彼は私から目を離さず優しく見つめたままで、手を引き、腰を押して歩きだしているのに、行く先を見てない。
心臓がばくばくしてきて、どんどんいたたまれなくなってくる。うつむかずにいられなかった。
交互に動く自分と彼の足先を眺めること、少し。彼の足が止まった。
『耀華公主』
『は、はい』
あわてて顔を上げると、古ぼけた天幕の前にパタラが立っていた。立てかけてある棒を取って、私をさえぎるように地面に投げ倒す。でも、表情は穏やかで、かすかに頷きかけられた。エウルを見上げてみても、やはり頷かれ、そっと背を押される。どうやらこの棒をまたいで行けと言われているらしい。
集落の入り口で火を突きつけられたのと同じ、儀式の手順の一つなのだろう。私は棒に近付き、エウルに止められないのを確認してから、棒をまたいだ。そうして天幕の中に入っていった。
奥の椅子に王が座っていた。
エウルが立ち止まったのに従い、私も炉の前で止まる。
……そうだった。私は「耀華公主」なのだった。堂々としていないと。うつむいたり、オロオロしてちゃ駄目だ。しゃんと背を伸ばして、顔もまっすぐ上げてないと。
パタラも中に入ってきた。エウルにうながされて、その場で共に膝をつく。彼の手が離れていった。
パタラは炉から燃えさしの小枝を拾って、その枝で私のまわりを叩いては何かを払うように何度も振った。
それが終わると、王も椅子から下りてきて、私達の前に膝をついた。この方の前で失態は犯せない。思わず緊張して身構えたところに、するりと横から手を握られた。
反射的に、びくっと震えて、エウルの方を見れば、彼は悪戯に笑んで、さらに指をからめてくる。しっかり握りあわされ、前へと――王へと――差し出される。
王は綺麗な布で私たちの手を包んで、縛つけた。王が両手で、包んだ上からぎゅっと握る。離れぬようにと願う気持ちが伝わってくるような気がして、思わず王へと顔を向けた。
あ、エウルに似ている。厳めしい顔つきなのも、なのにまなざしがあたたかなのも。言葉はなくても、私を心から受け入れてくれるのがわかって、わきあがった安堵とありがたさに胸がいっぱいになり、自然と深く頭を垂れた。
それから私たちは、そのまま外へと連れて行かれた。
次に入った天幕は、真新しかった。家財も何もかもが新品で、木の匂いがする。……きっとここが私用の天幕なのだ。
まだ火の入ってない炉の前に、また二人で跪くと、王は縛りつけていた布をはずし、天窓から垂れている縄に結びつけた。
パタラから燃えさしを渡される。
『火をつけておくれ』
『はい』
私はパタラに教えてもらったとおりに手早く燃料を組み上げ、燃えさしを差し込んだ。何度か息を吹きかければ、くすぶる煙が天窓へと吸い込まれていき、すぐにゆらめく炎にかわる。
王が立ち上がり、私たちの後ろへと――まくり上げられている垂れ幕の向こうへと――、大きな声をあげた。
『始祖ロムランが招いた火の精霊は、この婚姻を祝福した! 煙はまっすぐ天窓に吸い上げられ、蒼天の神もお喜びであることを示した!』
外から、わあっと歓声があがって、口笛が吹き鳴らされた。
王にうながされて立ち上がり、一緒に外へと連れ出される。外にはたくさんの人達がいて、笑顔で私達を待っていた。
王やパタラに杯が渡され、私達も同じ物を受け取る。王がそれを掲げた。見れば人々も手に手に杯を持っている。
『新しき天幕を持つ二人に、羊が増えるがごとき繁栄と、駿馬を得んがごとき幸運の、数多くあらんことを、共に蒼天へ願ってはくれまいか!』
『羊が増えるがごとき繁栄と、駿馬を得んがごとき幸運の、数多くあらんことを、我らも共に、蒼天へ願おう!』
人々が唱和し、幾人かの男性が、不思議な器具で白い液体――家畜の乳だろうか――を、天へ地へと何度もまき散らしていた。
『蒼天よ、幾久しくこの二人を寿ぎたまえ!』
王の先導に、繰り返し同じ言葉が唱えられ、いっきに中身が飲み干されて、空の杯が、次々天へ向かって突き上げられた。
その後は、広場での披露宴だった。ふかふかの座席にエウルと並んで座らされ、エウルの向こうに王が、私の隣にパタラが座った。ミミルやエウルの友人達も、私達の後ろに席が設けられて、控えている。
王が何か言うごとに、料理が取り分けられたり、乾杯したり。そのうち、たくさんの人が、私達の前に並びはじめた。
まず、かなり立派な壮年の男性が、妻を連れて挨拶を述べた。遠くに住んでいる血族だという。
その夫婦を皮切りに、次から次へと挨拶が始まった。それを、さっきも通訳してくれたオーウェルという人が、帝国の言葉に直して教えてくれる。
だけど、どんどん紹介される耳慣れない名前は、聞いた先から頭からこぼれ落ちていってしまい、どれ一つとして覚えられなかった。
笑顔を貼り付けて――化粧をしていると、薄布があっても透けて見えてしまうから――、わかったふりを続けた。
「パタラの息子のジュテと、妻サンリ。おめでとうございます、会えてうれしい、よろしく、と言っている」
耳を滑っていった言葉に、何かおかしい気がして、たどたどしい訳を思い返してみる。
「……パタラの息子?」
私は驚いて、振り返った。オーウェルに確認する。
「彼はパタラの息子、なのですか!?」
息子という人は、エウルと同じか年上に見えた。風貌が良く似ていて、まるで兄弟でもおかしくないほど。
「そう。エウルの従兄弟」
「従兄弟」
呆然と鸚鵡返しに呟いた。その意味するところを、数呼吸してからようやく飲み込めて、急いて重ねて尋ねる。
「……え!? パタラはエウルの叔母様なんですか!?」
「そう。エウルの母親は、エウルが幼い時に死んだ。叔母のパタラが、母親代わりであった」
……パタラは第一夫人じゃなかったの!? それどころか、母親代わりだったなんて!
言われて良く見てみれば、パタラは王に似ていて、エウルともどこか似ている。
どうしてこれに気付かなかったんだろう!? 私は赤い布の下で、密かに顔を赤らめた。
……じゃあ、他の夫人は? 彼女達も、もしかして妻じゃないとか……?
頭を動かさないようにしつつも、ミミルへと目が行ってしまう。そういう目で見てみると、ミミルはホラムとくっつくようにして座っていて、時折顔を見合わせ、目で問いかける表情が、エウルに対している時と、ぜんぜん違う。……どこからどう見ても、夫婦にしか見えない。
そういえば、ミミルの天幕で話した時、たしか「ホラム」と聞こえたのだ。でも、エウルの妻だと思い込んでいたから、てっきり、よく似た音の違う言葉だと思ってしまった……。
……ああ、じゃあ、ニーナの天幕について聞いた時、「スレイ」と聞こえたのも、聞き間違いじゃなかったんだ。スレイがただならぬ様子でニーナを抱きしめていたのを思い出す。二人はやっぱり夫婦だったんだ。
今頃、二人はどうしているだろう……。
『オーウェル。耀華公主はなんと?』
エウルがどうも、私の言ったことを聞いたみたいだった。うわあっ、と思ったが、止められるわけがない。
『パタラ様がエウル様の叔母であると知らなかったようですね』
『そうだったのか。そんなことも伝えられてなかったのか。オーウェル、頼む、今後は何かと耀華公主の力になってやってほしい』
『おまかせを、と言いたいところですが、我が王が、だから口を酸っぱくして帝国の言葉を覚えよと言っただろう、という目で見ていますので、私からはなんとも』
『人聞きの悪いことを言うな。罪のない子供に、苦労を強いるようなことはせん。勉強よりさぼることにばかりに一所懸命だった、馬鹿息子は別だがな』
王が渋い顔でエウルを見る。エウルの視線が泳いだ。
『あー、その、反省しています。……そうだ。そういえば、公主はいくつなんだろう。オーウェル、聞いてみてくれないか』
『ちょっと、エウル、こんなところで』
『なぜ。べつにかまわないだろう?』
口を挿んだパタラに、エウルが不思議そうに聞き返し、王も頷いた。
『俺も、公主があまりに小さいので、気になっていた。彼女がいくつなのか、聞き出せ。場合によっては、エウルが無体をはたらかないよう、取り計らわなければならない』
『そのくらいの分別は、俺にだってある!』
『昼間はな。……からかって言ってるわけではない。男とはそういうものだ。まして、相手が「定めの伴侶」となれば、な』
今度はエウルが渋い顔になった。王とエウルを交互に見ていたオーウェルが、私に視線を合わせた。どんなことを聞かれるのかと、緊張する。
「公主の年齢はいくつ?」
意外なことを聞かれて、一瞬、呆けた。なぜ突然そんなことを、と疑問に思ったが、パタラに黙っているように言われていたことを思いだして、彼女を見る。こちらでは、何か意味のある大切なことなのかもしれない。
パタラは苦笑して、頷き返してきた。
「……私は十六歳です」
『十六歳とおっしゃってます』
王が意外そうに何度か瞬きをし、エウルも目を見開いた後、すぐに笑顔になった。……不愉快にはならなかったみたいだ。ほっと胸を撫で下ろす。
そうか。そうだよね。エウルだもの。とてもやさしい人だもの。そんなことで怒ったりするわけがなかったのだ。……嫌われるのが怖くて、勝手に見損なっていた、自分の小ささが恥ずかしい。
『ほら、みろ、叔母上! 彼女は子供じゃなかった!』
エウルはどこか得意げに言い放った。
『はい、はい、そうだね。だけどね、体の発育具合は、人によって違うものだからね。公主の体は、まだ母になる準備がすんでいるようには見えないよ』
『俺はそんなことはないと思うが』
『オーウェル、公主の親族に、彼女と似た背の者がいるか、聞いてみろ』
「耀華公主、親兄弟祖父母に背の小さい者はいるか?」
「はい。母方の祖母が」
つい正直に、自分のおばあちゃんのことを話してしまってから、ひやっとする。ここは、お嬢様のご家族のことを語らなければいけなかったのではないか。
私があんまりみすぼらしいから、疑われて、探りを入れられているのかもしれない。そう思ったら、息が乱れて、手が震えてきてしまい、袖の中にひっこめて、膝の上で強く握りしめた。
『祖母君がそうだったと言っています』
『母君の兄弟は何人だったか聞け』
「耀華公主の母の兄弟はいくついる?」
どうしよう。奥様の兄弟が何人いるかなんて知らない。……ここで適当な嘘をつけば、きっと後で辻褄を合わせられなくなる。嘘を言うのは苦手だ。家族にはすぐにばれたものだった。それくらいなら、知っていることを正直に話しておいた方がいい。それに、それなら少なくとも、私にとっては嘘じゃない。
覚悟を決めて、王を見返す。
「母の兄弟は八人です」
王は唇をゆるめて、エウルの背を、一つぽんと叩いた。
『……オーウェル、今、公主は何と言った?』
『教えなくていい。私ですら聞き取れた。……エウル、勉強して、自分で聞けるようになれ』
『……承知しました』
エウルが溜息と共に不承不承返事をし、周囲はまた笑いに包まれたのだった。




