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政略婚~身代わりの娘と蛮族の王の御子~  作者: 伊簑木サイ
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エウル、帰還する

 緑に覆われた小高い丘の連なりの奥に、頭だけ見えているひときわ高い岩山は、ロムランが蒼天に還った聖地だ。今も蒼天への(きざはし)が立てられ、葬送の地となっている。

 冬の寒風をさえぎるあの聖山に(いだ)かれ、渇水の時期でもけっして枯れない川を擁する、豊かな草原。 

 ロムラン以降、王は代々、この地に巨大な政務用天幕( オルト )を構えてきた。遊牧せずとも家畜を養えるため、王はこの地を動かない。そこで、ここは「王の居留地」と呼ばれる。


 兄の一団に守られ、放牧集団(アイル)の人員を引き連れた俺達は、王の居留地の手前で止まった。公主に、清めの儀式「火の迎え」を受けさせなければならないのだ。

 大きな焚火の向こう側には、鎧を纏った男たちが十人ほど控えていた。公主を馬から抱き下ろすと、彼らの間に緊張がはしる。

 俺も初めて彼女を見た時はそうだったなあと、あちら側で視線を鋭くしている男達に苦笑した。

 彼女は見るからに小柄で、普通に考えれば、非力そのものなのだ。なのに、いかんせん、頭からすっぽり赤い布をかぶった異様な格好のせいで、怪しくしか見えない。おかげで、その血筋にまつわる逸話が本当に思えてしまうのだ。


 親父様の腹心自らが、聖なる焚火から松明を取り出し、手にして近付いてくる。最後までこの婚姻に反対していた、タルノーだ。

 火は悪しきものをあぶりだし、さらに突きつければ、追い払うことができるという。

 竜の血は悪しきものに決まっているだろうと言い張っていたから、この儀式で「正体」を暴くつもりで、役目を買って出たのだろう。ずいぶん怖い顔をしている。

 他所から嫁入りする娘は、誰でもこの儀式を受けなければならないが、せいぜいが松明を頭上にかざされるだけだ。だが、タルノーは、今にも松明で殴りかかりそうな表情をしていた。


 俺は公主の肩を抱いた。左手は剣の留め具をはずしていつでも抜けるようにしてから、柄を逆手に握る。何かあっても、彼を斬るつもりはない。が、火を素手で受けるのは遠慮したい。

 タルノーが眉をピクピクと揺らし、「竜血の娘をかばうなど、ロムランの末の自覚がないにもほどがございますぞ!」とかなんとか、今にも怒りだしそうにしている。

 俺は、「いいからさっさとすませろ」と、小さく顎をしゃくった。普通に考えたら、か弱い女性を脅すような真似をしているんだぞ。

 彼はさらに険しい顔になって、勢いよく公主へと松明をつきつけた。


 鼻先に迫った松明に、彼女の体が強ばって震えた。早く浅い息を繰り返しているのが、触れているところから伝わってくる。それでも一歩でも引き下がったりはしない。……こんな時に、彼女は妙なところで肝が据わっているなと、感心して笑いだしたくなる。

 初めて出会った時もそうだった。俺が差し出した手に、震えながらも手を重ね、自ら歩み寄ってきた。なんと勇敢な娘だろうと、感嘆したのだ。

 スレイの一家に罰を与えていた時だって、そうだ。あの異様な雰囲気の中、駆け寄ってきて、俺を止めようと、しがみついた。俺が大声を出す度にびくびくと震えていたにもかかわらず、譲ろうとしなかった。見て見ぬ振りだってできたはずなのに、彼女はそうしなかったのだ。


 体が大きいわけでも、力が強いわけでもない。自分で身を守る術を持っているわけでもない。そんな者が、逆らうことのできないものに立ち向かうのは、どれほどの勇気を要するのだろう。

 単なる無謀と言えば、それまでだ。けれど俺は、そんな彼女だからこそ、惹かれてならない。守ってやりたくなる。助けてやりたくなる。ふわりと花開くように笑うのが、見たくなるのだ。


 松明は俺へもつきつけられた。じっとタルノーと睨みあう。

 何も起こるはずなどないのだ。彼女の影が怪しく揺らぐことも、竜の姿となって飛び去ることも。

 俺と彼女を囲むように何度も激しく松明を振った末に、彼は不承不承、松明を下げた。それでも警戒を怠らない目つきのまま、口を開く。


「ようこそ、竜血の王の娘よ。俺は王の腹心タルノ-。我が王の許までご案内しよう」


 踵を返して、先に立って歩きだした。俺は公主を抱き上げ、後をついていった。

 公主が俺の腕の中で、ほっと緊張をといたのがわかった。背中にあてた手で、ぽんと叩いてねぎらう。顔を上げて俺を見て、布の向こうで鮮やかに彩られた唇が、弧を描くのが透けて見えた。


 多くの天幕に囲まれた広場をつっきっていく。遠巻きに、政務用天幕(オルト)に入れなかった人々がたくさん顔を出して見ていた。

 つきあたりのひときわ大きい天幕――普通の天幕が十ほども入ってしまいそうなもの――が王のオルトだ。護衛が並び立ち、大きさに見合った広い入り口が左右に開かれているそこに、腹心だけを連れて入った。


 壁際にはたくさんの臣下が立って、用心深くこちらをうかがっていた。女とはいえ、敵国に一人で送り込まれてくる者の竜の力は、どれほどだろうと思われているのだろう。

 かわいそうに、そんな視線にさらされ、また公主の体は強ばった。


 俺はまっすぐ、玉座に着く親父様と目を合わせた。……いつもどおりの親父様だ。駄目だったら、このまま公主を担いで逃げだそうと思っていた。とりあえず大丈夫そうだ。

 もっとも、何かあるなら、ロムランの声を使ってでも、脱出する。


 俺は他にはわからないように、間際に一度、強く抱きしめてから、彼女を下ろした。一歩下がって、膝をつく。腹心たちも、そろってならった。


 彼女は袖の端を握って、優雅な動きで顔の前で交差させて隠すと、右足を後ろに引き、すっと一度腰を落とした。一呼吸置いて背を正し、袖を下ろして右足を引き寄せる。おそらくあれが、帝国の高貴な女性の正式な挨拶なのだろう。

 頭をけっして下げない仕草は、一歩間違うと高慢でしかない。けれど彼女のそれは美しくて、豪奢な格好と相まって、まさしく高貴な血筋を体現していた。


「エウルよ、よく戻った」

「ご命令に従い、我が()()()()を帝国の皇帝より貰い受けて来ました。耀華公主とおっしゃいます」

「ほう?」


 親父様が面白がって片眉を上げた。

 「運命の娘」と呼んだのは、周囲に対する牽制だ。許嫁の別名で、蒼天が遣わした「定めの伴侶」を指す言葉でもある。

 彼女を狙う一派に、彼女を害する者は、蒼天の意に逆らうことになるのだと示しておきたかった。……この程度でやめるなら、初めから実行などするわけがないとわかっていても。それでも、「その瞬間」に一瞬でも躊躇いを生み出せるなら、それが勝機へ繋がるかもしれない。


「皇帝の親書を預かっています」


 俺の言上に、ホラムが親書を取り出して捧げ持つと、タルノーが書簡を受け取って持っていった。それを、帝国語に堪能なオーウェルに渡す。オーウェルは親父様に開いて見せて、小声で訳して伝えはじめた。


「……皇帝の血筋に連なる娘、名は耀華、身分は公主……」


 彼女の素性に続き、持参金として彼女が身に着けている物の品書きが連ねられていた。やがて聞き終わると、親父様にしてはやわらかい声音で呼びかけた。


「耀華公主」

『……っ、は、はいっ』


 それでも恐ろしかったのだろう。彼女は、大きく肩を震わせ、蚊の鳴くような声で返事をした。それもしかたない。親父様の声は、落雷が天を引き裂いているような響きがあるのだ。

 なのに、とたんに、まわりを囲む男達から失笑がわいた。

 俺は声のする方すべてに、軽蔑をもって目をくれた。

 まったく、面汚しはどちらだ。俺の妻を貶めることは許さないし、何より、か弱い女性を大の男が取り囲んでおいて、取る態度ではない。閻の恥さらしもいいところだ。


 ……そんなことをしていたから、気付くのが遅れてしまった。彼女の、袖からのぞく指が震えていた。とっさに、その小さな手を包み持った。

 彼女の体が硬直し、ほんの少し揺れる。次いで、俺の指をぎゅっと握り込んできた。……すがるように。

 今すぐ抱き寄せてやりたい。立ち上がろうかと迷った俺の気持ちを見抜いたのだろう。親父様がそれより先に言葉を投げかけてきた。


「よく来られた。あなたを歓迎しよう」

『あなたを歓迎する、と我が王は言っている』


 親父様の言葉をオーウェルが訳して伝えると、公主は緩慢にオーウェルへと顔を向けた。


「公主よ、あなたの存在が、両国の良き絆とならんことを望む」

『公主が両国の良い絆となることを、我が王は望んでいる』


 公主が急に、俺の手を離した。胸の上に右手を置き、先ほどよりも浅く、ふわりと一度腰を落とす。


「この絆は、必ずや(いく)(ひさ)しい和平をもたらしましょう。それが我が父の望みでもあれば」


 しん、とあたりが静まりかえった。綺麗に発音された閻の言葉だった。

 可憐な仕草と、鈴の鳴るような声で、凜と紡がれたそれは、閻の言葉でありながら、まさに帝国の粋と威容を伝えていた。

 嘲る雰囲気のなくなった中、親父様が重々しく告げた。


「耀華公主を、我が子エウルの妻とし、一族に迎え入れる」


 オーウェルが同じ内容を帝国の言葉で伝え終えた後、親父様は玉座からおもむろに立ち上がった。片腕を振り開き、ひときわ大きな声で宣言する。


「婚姻の儀の用意を!」


 天幕に集う者たちが、わっと歓声をあげ、賑やかに動きだした。

 最後の言葉は、うるささにまぎれて聞こえなかったのだろう。公主は棒立ちになったままだ。そんな彼女を抱き上げ、自分より高く持ち上げる。


「エ、エウル?」


 戸惑った問いかけに、布越しに彼女の目を下から覗き込んだ。瞳は見えない。けれど、俺を見て困った顔をしているのが、手に取るようにわかった。


「もう何も怖がることはない。あなたは俺の横に居ればいいだけだ」


 思わず笑いかけると、この頃見せるようになった、赤面してしどろもどろになる可愛い表情をしてくれた、気がした。

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