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政略婚~身代わりの娘と蛮族の王の御子~  作者: 伊簑木サイ


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アニャン、殴られる

『いつまでそこでそうしてるんだい。注目の的だよ。中へお入り』


 パタラに声をかけられて、私達――エウルも――は顔を上げた。私がしゃくりあげると、パタラが眉尻をさげて、私の目元を拭ってくれた。

 その横にいたスレイも一歩近付いてきて、エウルの背を強めに叩く。


『エウル、もう、喧嘩を売るなよ。相手は小さな女の子なんだから』


 それから膝をつき、私に目線を合わせて、微苦笑で頭を下げてきた。


『耀華公主、こんなのですが、愛想を尽かさないで、どうかよろしくお願いいたします』

『こんなのは、よけいだ』

『何言ってんだい。まったくもって、こんなのだよ!』


 エウルがスレイに言い返しながら立ち上がると、パタラが非難しているとわかる口調で言った。エウルを睨んでいる。

 エウルは、私をぎゅっと抱きしめて、自分の背でパタラから隠すようにした。気のせいか、まるでとりあげられまいとしている子供のように見える。……私は、うっかりしがみついたまま抱き上げられてしまっているのに気付いて、ひゅっと涙が引っ込んだ。一触即発の二人を逆撫でせずに、下ろしてくださいと伝える自信がなく、睨みあう二人の間で、いたたまれなくて、小さくなる。


『公主が許したから、今回は許す。でも、次はないよ』

『ああ。二度はない』


 そこでエウルは、にやりと笑った。天幕へと歩きだしながら、なにやら楽しそうに言い放つ。


『公主は帰らないと示したからな! 言質は取った。もう帰すものか!』


 エウルが見下ろしてきて、目が合った。優しく目を細め、首を伸ばして、軽く私のこめかみに口づけてくる。


『!?』


 息が止まって、かーっと顔が熱くなっていった。エウルが満足そうに、くすりと笑う。……それに、少しばかり、むうっとした気分になった。私は、ぷいと目をそらして、うつむいた。


 人前でこんなことを気軽にやるなんて! この人、本当に、女好きの女たらしだ!

 こんなの、この人にとって挨拶程度に違いなのに。真に受けて、どぎまぎして。馬鹿みたい。

 そうだよ、だからパタラだって、いちいち目くじら立てたりしてないのに。私もパタラを見習って、受け流せるようにならないと!

 ……それでもう、あんな失態は繰り返さないようにしないと。


 先ほどの自分の態度を思い出して、ぐわーっと恥ずかしくなってくる。

 ……要は、私、いっぱしに嫉妬したのだ。私なんかが、おこがましいったらない。嫉妬に値するだけの何を持っているっていうんだろう。

 こちらの生活の何もわからない、言葉もわからない、美人でもなければ、力があるわけでもないのに。あるのは、『公主』という身分だけ。それだって、偽物だ。


 それでも。


 そっと、誰にも知られないように、つかんでいる彼の上着を、強く握る。

 ……それでも、パタラのように、この人の支えになれるようになりたい。……あんなふうには、とてもなれなくても。何か小さなことでもいいから、できるようになりたい。


『耀華公主』


 なのに、耳のすぐ傍で甘やかに囁かれて、びくっと体が震えた。また、どうしようもなく、首も顔も体も熱くなってくる。


『そ、こ、ま、で、だよ!』


 ばしん、とパタラがエウルの背中を叩いた。


『あんたって子は! 小さな娘に不埒な真似をするんじゃないよ!』

『べつに何もしてないだろう!?』

『下心が透けて見えて、いやらしいんだよ!』

『妻に下心を持って、何が悪い!』

『まだ妻じゃないだろう!?』

『もう妻も同然だろう!』


 二人とも、わあわあやりとりしながら、ずかずか歩いていく。

 パタラが天幕の入り口を、入りやすいように、ばさっとめくり上げて、エウルが先に入り、椅子に座って――彼は私を膝の上に乗せて、その私に、パタラが馬乳酒を注いで渡してくれた――も、まだわあわあやっている。

 言いあいながら、どちらもチーズをとってくれたり、水をすすめたりしてくれるのだ。どう見ても仲がいいし、どうやら私のことで言い争いをはじめたのに、パタラはそれで私を(うと)んじたりしない。

 この人達にはそれだけの絆があるのだ。

 ……そうか。大丈夫なんだ。私がエウルの傍に居ても、パタラはそれをちゃんと受け入れてくれる。


 私はなんだかすっかり安心して、彼らの言葉に耳を澄ませているうちに眠くなってきた。たぶん、大泣きしたせいだ。

 片付けもあるし、寝る用意もあるし、まだ起きてなきゃ……。

 けれど、眠くて、眠くて、眠くて。この日、私が覚えていられたのは、ここまでだった。




『パタラ。ミミル、ニーナ、きた。ぎゅーふんひろい、いく?』

『はい、はい。行こうかね』


 向こうから歩いてくる二人を見つけた私は、それ用の袋の置いてあるところに行き、瓶の中の乳をかきまわしているパタラに聞いた。


 『ぎゅーふん』とは牛糞だ。炉の脇の燃料入れに入っているのは、ほとんどがそれだ。ここでは草原ばかりで木が生えているところが少ないせいか、あまり薪を見なくて、燃やしているこれはいったい何なのだろうと思っていた。


 祖国では、こんなに乾いた牛糞を見たことがなかった。いつまでもジメジメしているもので、他の物と一緒に溜めて寝かして、畑の肥料に()き入れる。

 ところがここでは、二、三日で固まり、臭いもしなくなる。たぶん、とても乾燥した土地なのだろう。ここに来てから、一度も雨が降ったことがないし、そういえば、初めの頃は、喉や鼻の中が痛かった。屋根で乾かす『チーズ』も、あっという間にかちかちになっていく。草しか食べない牛が出す糞は、よく砕かれた枯れ草の集まりみたいになるのだった。


 牛糞拾いは、女子どもの大切な仕事だ。これがないと、煮炊きができない。小さな子供もよく拾っているのを見かける。日に一度、一日の仕事がだいたい終わり、夕食の準備をする前に、探して歩くのが日課だった。


『おや。いやだよ! 水が漏れているじゃないか!』


 先に天幕から出かかったパタラが大声をあげた。入り口の脇に置いてある革袋の下が、水浸しになっている。パタラはしゃがんで、水の漏れている箇所を探した。


『ここに小さな穴があいているよ。まいったねぇ。縫い閉じないと。これだけじゃあ、明日の朝まで保たないよ。水は誰か男衆に汲んできてもらうとしようかね』


 パタラは外に出て、少し先で馬の世話をしていたナタルを呼んだ。


『革袋に穴があいて、水が漏れてしまったんだよ。悪いけど、川から水を汲んできてもらえないかい』

『どのくらい汲んできましょうか』

『いくらか残っているから、桶に一杯ほどあればいいよ』

『その前に、残りの水を別の器に移しましょう』

『ああ、そうしてくれると助かるよ』


 そうこうしているうちに、ミミルとニーナもやってきた。


『悪いねえ、私は革袋を修理、……縫うから、あなたたちだけで牛糞拾いに行っておくれ』


 私も、ミミルやニーナと同じに、『はい』と答えた。『しゅうり』はわからなかったけれど、『ぬう』はわかる。『ぎゅーふんひろい』も。パタラは縫って直すけれど、私には行けと言ったのだろう。


『くれぐれも、公主を一人にしないようにね』


 横に来ていたニーナが、私の手首をつかんだ。


『おまかせください。けっして公主を一人にはいたしません。……公主、一緒に参りましょう』


 華やかに笑いかけられる。いつもならば、そんなことしないのに。私はその笑顔に空々しいものを感じたのだけれど、パタラは安心したように頷いた。


『ああ、頼むよ』


 ニーナに手を引かれ、数日前に牛が連れ歩かれたあたりに向かった。その間にもぽつぽつと落ちており、見つけしだい拾っていく。牛糞は一カ所でたくさん見つかるというものではない。とにかく歩きまわって、根気よく探すのがコツなのだ。


『公主はこのへんで。私はあっちを探すから、ミミルは反対側でいい?』

『ええ、わかったわ』


 ミミルはあたりをよくよく見まわして、ニーナに同意した。


『公主は、あちらへ向かってください』


 ニーナに指さされて、私はその方向へと牛糞を探しはじめた。

 拾い残しがないように、右へ左へと歩きながら目をこらす。最近は、見ただけで乾き具合もわかるようになった。よく乾いたものだけを拾わないと、手がたいへんなことになる。


 目の前が深く落ち窪んでいるところで、私は立ち止まって屈んでいた腰を伸ばした。夢中になっていたようで、少し腰が痛い。腰をそらしてさすると、小さな崖を下りて少し行ったところに、川が見えた。

 袋はまだあまり膨らんでいなかった。

 牛は水を飲みにこの下にも行ったんじゃないだろうかと、下りられるところを探してのぞくと、ちょうど真下に、小ぶりの馬を連れた女性がいた。……スウリ、とかいう人。

 私がここに初めて来た時に、エウルに会いに来た人だ。私に向けた刺々しい視線と、その後の狂乱ぶりを思い出し、私は、一歩、二歩とあとずさった。


『耀華公主』


 可愛らしく、にこっと笑いかけてくる。あの時の態度が嘘みたいに、楽しげだ。


『牛糞拾いしてるんだね? こっちにたくさんあるよ』


 彼女は人懐こく袋を掲げて見せて、おいでおいでと手招きした。次いで、あっちと指をさす。

 悪意は見当たらなかった。なんとなく得体の知れない感じはするけれど、ほとんど初対面の相手だ、当たり前のことだと思い返す。


『ここに長く留まってないから、あんまり牛糞が見つからないんでしょう? 私のもあげるよ』


 彼女が袋から牛糞を取り出して、こちらに差し出してきた。お近付きの印みたいなものらしかった。

 あんまり無碍にするのも気が引けて、私は後ろを振り返ってみた。それほど遠くないところで、ニーナとミミルが拾っている。何かあっても、彼女達を大声で呼べば、大丈夫そうだった。


 崖にそろそろと近付いた。飛び下りるには少し高すぎ、けれど、まわりこんで行くには、ずいぶん大まわりしなければならない。


『大丈夫、そこを下りておいでよ』


 にこにこと、おいでおいでとまたやられて、私はしゃがんで崖の縁に手をついて、後ろ向きに足を下ろした。少しずつ這い下りていく。

 あともう少し。

 足の爪先を伸ばした時だった。ガッとすごい音がして、頭に衝撃が走った。顔が前の崖に叩きつけられる。

 痛いっ。

 わけがわからないまま、ずるずると滑り落ちた。あまりに後ろ頭が痛くて、吐き気がした。額もすりむいたみたいで痛い。自分のじゃないみたいなうめき声が出て、助けを呼ばなきゃと思うのに、苦しくてそれ以外の声なんか出なかった。


『耀華公主? まだ起きてるの?』


 スウリの声がして、彼女を見ようと、必死に頭を上げた。何が起こっているのかわからなかった。彼女が可愛らしい笑顔で、棒を振り上げていた。それが、風を切って振り下ろされる。

 ガツンッ、と頭の横に叩きつけられる。痛みで意識が遠のいていく。

 私はそれきり、何もわからなくなってしまった。

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