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エウル、アイルの主としての役目を果たす

 少し考えてみたが、耀華公主に良い馬乳酒やチーズを食べさせてやるには、良い乳が必要であり、良い乳を出させるには、家畜に良い草を食べさせる必要がある。そこで、人をやって良い餌場を探させ、家畜を連れて行かせることにした。

 いつもなら俺自身が馬に乗って行くところだが、公主を残して天幕から遠く離れるわけにはいかない。というか、そういう気になれなかった。それで、放牧拠点(アイル)に残って、馬の種付けや、家畜の仔の様子を見てまわっていた。


「おや、また戻ったのかい。さっき少し起きたけど、公主はまた寝てしまったよ」


 炉でチーズを作っている叔母上に、こちらを見もしないで、からかうでもなく言われる。俺は口に含んだ馬乳酒を、吹き出しそうになった。


「べつに、小腹が空いたから戻っただけで……」

「ああ、そうかい。太陽が中天にも行かないのに、もう五度帰ってきてるよ」


 俺は今度こそ黙った。うまい言い訳が浮かんでこなかった。

 叔母上が、くるりとこちらを向いた。


「あんた、女にもけっこうマメな男だったんだねえ」

「な、何言って……」

「遠くから嫁いでくるっていうのに、馬より気にしてもらえなかったら、可哀想だと思ってたんだよ。なんなら、私の養女にして、別のいい男でも娶せようかと思ってたんだ。よかったよ。あの子があんたの定めの伴侶で」


 ぎょっとした。冗談を言っている顔ではない。叔母上はやると言ったら、本当にやる。軽口でも、馬の方が大事だと言わないようにしないとと、心に刻んだ。


「来たんなら、ちょうどいい、馬乳酒を突いていっておくれ」


 俺は入り口の右側に吊してある革袋の所へ行った。搾った馬の乳はここに溜めて、一日千回ほど棒で撹拌する。突けば突くほど良い馬乳酒ができる。けっこうな力仕事だ。

 考えるともなく、だぷだぷとやっているうちに、叔母上がどれくらい公主に親身になろうとしてくれているのかに気付いた。


 皇帝は、閻王の子に公主をやろうと言ったのだ。俺でなければ、まだ正妃を持たない弟のハシェルが順当だが、叔母上は、王妹の自分が養い親になることによって、それさえうやむやにして、公主の好いた男に嫁がせるつもりなのだろう。

 それが、何重もの意味で火種にしかならないのは、叔母上ならよくわかっているはず。帝国からも一族内からも非難を浴びるに違いない。それを、叔母上が全部被ると言っているのだ。

 いかにも、いつでも親身になって女性の力になろうとする、叔母上らしかった。


 親父様が、叔母上がそうすることを考えないわけがない。俺達の母(正妃)を亡くして以来、叔母上がその役割を埋めてきたのだから。

 なのに、王の代理人に任命して、俺に同行させている。ということは、この婚姻は、俺の意向よりも公主の方が優先されるのかもしれなかった。


 ……え。怯えさせた失態を、挽回する機会くらい与えてくれるよな!?

 嫌なところまで考えが至って、俺は振り返って叔母上を見た。


「なんだい? ああ、馬乳酒は、とりあえずそんなもんでいいよ。外の仕事へ行ってくれていいよ」


 そうじゃなかったが、公主が寝ていては、天幕の中でこれ以上俺がすることはない。俺はすごすごと外へ出た。




「エウル様! 放牧集団(アイル)(あるじ)が、また馬の乳など搾って! あんな閑散とした政務用天幕(オルト)なぞ、見たことありませんよ!」


 ちょっと無心になりたくて乳搾りをしていたら、俺を探しに来たルツが、オルトを指さして小言を言った。

 たまたま、ホラムに用事があって来ていた、ホラムの父ネインが、のんびりと笑った。


「エウル様ほど馬の乳搾りの上手いお人は、おらんぞ、ルツ」

「ネイン! 確かにそうだが、のべつまくなし褒めればいいというもんではない。エウル様には、他にしなければならないことがあるのだからな」

「わかっているさ。このアイルでは、エウル様の居る場所がオルトだ。それでいいではないか」


 ルツの眉間の皺が深くなる。お互い相手を嫌っているどころか一目置いているくせに、俺のことになると反目し合う。

 ルツが小うるさいのは、心配性で、俺に対して甘いからだ。いつまでも面倒を見てくれようとしている。ネインの方が厳しいのだ。俺が主に相応しくないと見定めたら、何も言わずに去って行くだろう。


 俺は側に居た奴僕に目配せして作業を代わらせると、立ち上がってふんぞり返ってみた。偉そうにしていれば、だいたいルツは黙るのだ。


「何か用事があって来たんだろ? なんだ?」


 ルツは不服げに溜息を吐いたが、本題を口にした。


「西方の商人が面会を求めています。ハスクート様のご紹介だと言っています」


 そういえば、ルツは川沿いの西に居を構えていたか。

 放牧を生業とする者も旅の者も、水場に添って移動するのが常だから、最も川近くに居るルツが、一番に出会ったのだろう。


 なるほど。それでオルトの閑古鳥っぷりが気になったわけだ。力あるアイルかどうかは、オルトを見ればわかるし、旅の者は、見聞きした情報を売るのも仕事だ。駄目主の弱小アイルなどと評判が立ったら、いろいろまずい。

 ろくな商いができそうもないとなれば、商人は訪ねてこなくなるし、部族同士の争いなどとなったら、手始めの標的にされる。

 もうしばらくすれば、俺が皇帝の娘を娶ったことも広まるしな。簡単に奪えそうだと思われてしまえば困る。

 頼むから、主としての面目を保ってくれというわけだ。


「わかった。オルトを埋める面子を揃えてこい。面会しよう」

「ネインではありませんが、エウル様が居てくださるなら、いつだってオルトは人で埋まっておりましょうに……」


 嘆かわしげにさっきより深い溜息を吐き、ルツは己の従者達に指示を出しはじめた。




「ハスクートは元気か」


 オルトの中央に座り、かき集めてきた腹心や目付役――半数は放牧だの狩りに行っているから、ふてぶてしい面構えの男なら誰でも――をまわりに侍らせ、商人に馬乳酒をすすめた。

 親父殿のアイルに居るだろう彼の名を持ち出すと、亜麻色の髪の商人は笑んで頷いた。


 ハスクートは叔父上の所に婚約逗留している、南の支族の王族で、二つほど年上だ。妙に気の合う奴で、親しくしている。『おまえが居るから、嫁にもらうより、こっちに婿入りしようかな』などと言っているくらいで、そうなったら大歓迎だった。


「元気でいらしゃいます。こちらは、ハスクート様から、エウル様にお見せするようにと承った品でございます」


 商人が差し出した物を受け取った。頑丈そうな木の箱を開けると、中に羊の毛が詰められて、そこに小さな滴型の石が二つ埋め込まれていた。耳飾りだ。


「どうぞ出して、日に透かしてみてください。ハスクート様は、エウル様の目の色と同じだと仰っていました。迎えられるお妃様への贈り物になさるが良いと」


 黒っぽい石は、よく見ると深い青だった。暮れきる前の空の色に似ている。

 自分の目の色などはっきりとはわからない。俺は両側にいたウォリとスレイに、一つずつ渡した。


「ああ、ほんとだ。な、スレイ」

「ああ。そっくりだ」


 そう言って、他の者へも渡している。石はオルトの中を一周して戻ってきた。俺は箱に収めて石を眺めた。

 ……自分の色を彼女に纏わせる。冷静さの欠片もなく、そうしたいと思う自分がいた。


「わかった。もらおう。おまえの持つ物は良い品のようだ。明日、他の品も見せてもらうとしよう。今日はもう旅支度をといて、ゆっくりするがいい。我が天幕に招こう。……名は?」

「ジャンニと申します」

「ジャンニ、おまえを歓迎する。……宴の準備をせよ!」


 ここしばらく、多数の余分な馬を養って移動していたから、宴を催す時間もなかった。久しぶりの宴に、場が沸き立つ。


 あ、今夜は帰れないかもしれない。

「まったく、男なんてものは……」と言う、叔母上の冷たいまなざしと幻聴が脳裏ではじけて、俺は自分の笑みが引きつるのを感じた。

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