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エウル、密かに願う

「エウル様、娘が無礼をはたらきましたこと、誠に申し訳ございません」


 天幕群から少し離れた、人目のない草原で待っていると、ルツはやってくるなりすぐさま膝をついた。隣でスレイも同じく頭を下げる。


 父王の重臣であり、スレイの父でもある彼は、俺が幼い頃からの目付役だ。こうして俺が独り立ちしたからこそ、臣下としての礼を取ってくれるが、元は厳しい教師である。

 先ほども、放牧集団(アイル)を引き連れてやってきたとたん、他の目付役達と揃ってやってきて、「手勢を連れ歩かないからこんなことになるのです」と、さんざん諫められたばかりだ。

 そんな頭の上がらない相手に、こんなふうにされると、尻のあたりがもぞもぞしてくる。


「謝罪を受け入れよう。立て、ルツ」


 ルツは「ありがとうございます」としおらしく従ったが、立ち上がると一転小難しい顔になって、小言を言いだした。


「エウル様、怒ってしかるべきあなたが、どうしてばつの悪そうな顔をなさっているのですか。私など、娘共々、厳罰を言い渡されて当然なのですよ。それを簡単に許すなど、威厳が足りません。もっと初代王(ロムラン)の末である自覚を持っていただかないと。このまま済ませてはなりません」

「うるさい。黙れ。小娘のしでかしたことに厳罰を言い渡すほど、俺は狭量じゃない」


 ルツは、はたと目をしばたたいた。それから、ふっと苦笑する。それが、幼い頃に彼が俺を叱った後に見せていたのと同じ表情で、ほっとした。「エウル様は、まったくしかたありませんな」とぼやいては、説教はそこまでとなったものだったから。

 予想どおり、ルツはいずまいを改めて言った。


「承知しました」

「うん。それで本題だが。スウリを、けっして耀華公主と俺に近づけるな」

「仰せのままに。川沿いの西に天幕を移したいと思います」


 目付役達は一族の有力者で、放牧集団(アイル)内でも高い地位を持つ。天幕を張る場所も、主たる俺の側に陣取るものだ。それを、奴僕の天幕よりも外に張ると言っているのだ。それだけでじゅうぶんな罰だった。

 それを俺から言わずに、そうせざるをえない状況を言い渡したのは、罰を与えるのではなく、自粛という形で穏便にすませたいからだ。

 ルツの一家には、側に居てもらわなければ困るのだ。


「それから、早急にスウリの嫁ぎ先を探せ。……良い男に嫁ぎ、子でもできれば、俺のことなどどうでもよくなるだろう」

「はい」


 スレイが瞠目したのが見て取れた。俺も自分がそんなことに気をまわすようになるなんて、思ってもみなかった。

 けれど、あれは駄目だ。重臣の娘であり、妹でもある者が、政略で嫁いできた妃を、あんなふうに扱うようでは、そのうち問題を起こすだろう。スウリ一人のことならいいが、ルツやスレイが失脚するのは避けたい。なにより、耀華公主に何かあったら、悔やんでも悔やみきれない。


 ……ふいに、胸が熱くなる。腕の中にあった、公主の感触をまざまざと思い出して。

 スウリを窘めようとして、何かに駆られるままに、「耀華公主は、蒼天が俺に与えてくれた、定めの伴侶だ」と口にしていた。自分で言いながら、目が覚めるような心持ちになった。ああ、そうだったのかと。彼女は蒼天の与えた、定めの伴侶だったのだ、と。

 彼女とは、帝国と閻、別々の地に生まれ、生涯その存在さえ知らないままのはずだった。それが、両国が同盟を結ぶことによって、奇しくも巡り会った。これが蒼天の配剤でなくて、なんだというのだろう。

 そう、本気で信じていた。……他人事だったら、蒼天はそんなにおまえばかりを見てはいないさと、笑い飛ばしただろうに。


 そして同時に、これまで何とも感じていなかったスウリの意図を、初めて理解した。……向けられる思いの特異さ(、、、)を。犬がかまってくれと来るのと同じではなかったのだ。

 スウリの触れてくる手が、上目遣いに見つめてくるまなざしが、媚びを含んだ声が、煩わしかった。一昨日までどうでもよかったそれらが、我慢できないものになっていた。


 何を言っても、スウリは聞き入れることなどできないだろう。……俺自身がそうであるように。

 男が女を、女が男を、他の誰とも違う唯一の人と求める思いに、理屈など通じない。ならば、物理的に遠ざけるしかないと判断した。


「ただし、ルツ、相談役は引き続き務めてもらうからな。スレイの婚約者(ニーナ)も、公主の侍女として仕えさせる。レイナにも、叔母上の良き相談役として励むように伝えて……、伝えよ」


 つい、幼い頃に甘やかしてもらったスレイの母親(レイナ)に対して、伝言を「頼み」そうになったのを察し、ルツが目を眇めた。

 上に立つ者としての心構えがなってないという説教が始まると長い。俺はボロが出る前に話を切り上げることにした。


「それぞれの役目はこれまでと変わらずに仕えるように。以上だ。……スレイ、来い」


 腹心(スレイ)だけを伴って、俺はさっさと立ち去った。


「おーい、大将、話は終わったかーっ?」


 天幕の横で、ウォリが大声で呼んでいた。目を引こうと、手を大きく振っている。


「ああ! なんだっ?」


 公主に何かあったのだろうか。

 ただでさえ体調が良くないのに、さっきのこともある。まさか俺達が離れている間に、またスウリが何かしたとは思いたくなかったが、俺とスレイは顔を見合わせて、お互い同じ危惧を抱いてるのを確認した。……スウリは子供じみて我儘なところがある。

 俺達は走りだした。


「羊の子とらせがうまくいかないらしくて! 大将に頼めないかってー!」


 なんだ、そんなことか。

 先にスレイがふきだし、俺も笑って足をゆるめた。そんな俺たちを見て、ウォリの方が足踏みをはじめた。気が急いてしかたないのだろう。早く早くと喚いている。

 のんびり歩いていると、南の方から、キョロキョロとして誰かを探しているらしき奴僕が、天幕に近付いて来るのが見えた。ウォリを見つけて、何かを一所懸命訴えている。

 ウォリは聞き終わると、ぴょんぴょん跳びはねながら、今度は両手を挙げて振りだした。


「シュシとロウェナが、夫婦喧嘩してるってーっ! とにかく! 急いでくれよーっ!」


「そりゃあ、たいへんだ」


 天を仰いでぼやいた。次から次にどういうことだ。

 俺は、丸一日居なかっただけで山積みになったらしい問題事を、解決しに向かった。




 駆けずりまわって天幕に戻ると、耀華公主はよく寝ているところだった。叔母上が馬乳酒を注いでくれながら、一度も起きなかったよと、小声で様子を話してくれた。


「寝つく時にね、泣いていたよ。ずっと我慢していたんだろうね。こんなに幼いのに、知る者もいない、来たこともないようなところへ、一人で寄こされたんだものね。心細いにきまってるよ」


 身分ある娘はたいへんだね。叔母上はそうこぼして、溜息を吐いた。

 俺はベッドの傍らに座って、公主の顔色を見た。寝息は静かだ。あまりに静かすぎる。このまま目を覚まさずに気付いたら息をしてないんじゃないか。そんな考えに取り憑かれて怖くなり、そっと首に触れた。少し早い脈動と、いまだ高い体温を感じられる。


「……彼女は体が弱いんだろうか。叔母上はどう思う?」

「この子は細すぎるんだよ。だから体力がなくて、すぐに疲れちまうんだろう。

 帝国の皇帝が住む都とかいうところは、ここからはずいぶん遠いんだろ? そこから連れてこられたんなら、子供には大変な旅だっただろうよ。

 それに加えて、攫うようにして連れてきちまったようだしね。おっそろしい面の大男どもに囲まれて、そりゃあ不安でたまらなかっただろうよ。こんなちっちゃい子なら、熱だって出るに決まってるよ」

「そうだろうか」

「そうだよ」


 叔母上は、俺の情けない――自覚がある――顔が気に入らないんだろう、ふんと鼻を鳴らした。


「あんたが信じてやらないでどうするんだい。はじめっから諦めてちゃ、成るものも成らないよ。

 まあ、とにかくこの子を太らせなきゃならないのは確かだね。

 あ、今、あんた、いっぱい食べさせてやろうって思っただろ。駄目だよ、急に多く食べさせようったって。体が受け付けやしないんだから。

 いったい今までどんな食事をしてたんだか、この子はちょっと馬乳酒を飲んだだけで、すぐお腹いっぱいになってしまうようだからね。少しずつ気長に食べる量を増やしていくしかないだろう。そのへんは私が面倒みるから、あんたはしっかり働いて、良い物をこの子に食べさせておやり」

「そのつもりだ」

「おや。あんたも地に足の着いた男の顔をするようになったじゃないか」


 叔母上は機嫌良く、バシンと俺の背中を叩いた。痛い。叔母上にはもう少し、手加減というものを覚えてほしい。……言えやしないのだが。


「良かったよ。正直、あんたはいつか、風のようにどこかに行ってしまうんじゃないかと心配していたんだ。だけど今のあんたは、小さな花の咲く場所に留まろうとするんだろう」


 叔母上ににやりと笑いかけられて、何か憎まれ口を叩きたくなった。が、要らない話でうるさくして、公主を起こしてしまうといけない。俺は肩をすくめるだけにした。

 それに、叔母上が何を危惧していたか、知っている。心配をかけていた自覚の分だけ、結局何も言えないのだった。……自分でも、どうなるのかわからず、どうしようもできないことだったから。

 この身に宿る、ロムランの力の一部のことは。


 初代王ロムラン。彼は、蒼天や精霊の声を聞いたという。それに従って道を切り拓き、閻王国を打ち立てたのだと。

 その力は、未だにその血を引く者に、時折現れる。それで王族の血は尊ばれるのだ。けれど、ロムランは唯一無二の存在で、彼と同じだけの力を持つことに耐えられる者は、現れなかった。

 その力がロムランに近ければ近いほど、人の世に留まることができず、良く言えば精霊のような、悪く言えば幽鬼のような、生を歩むことになる。

 叔母上は、俺が人の世に留まれないのではないかと心配していたのだ。


 俺の耳は、たいした力があるわけじゃない。蒼天や精霊の声が聞こえた事なんて、一度もない。多少、家畜の言いたいことがわかる程度だ。

 ……ただ、声は、ロムランに近いものを受け継いだ。

 彼の声は、たとえ乱戦のさなかでもどこまでも響き渡り、軍を意のままに動かしたという。敵兵さえ逆らうことはできなかったとも。


 ……たぶん、俺も同じようにできるだろう。

 誰が教えてくれなくても、それを知っている。おいそれと人に使ってはいけないのも、知っている。誰かに諭された覚えはない。おそらく、蒼天が力と一緒に俺の中に刻んだのだ。


 なのに、ルツなどは、これのせいで、俺が王になるべきだと言うのだ。蒼天がかつてロムランを遣わしたように、今また俺に力を与えたのだ、などと。

 蒼天の声も聞けぬ者が、人の浅知恵で天の力をふるうなど、間違いの元だ。

 俺こそは、けっして王位に就いてはいけない。……誰も逆らうことのできない声で、人々を争いに駆り立ててはならない。

 そんな恐ろしいことは、絶対にしたくなかった。でも、この血がいつか、俺にそれを恐ろしいと思わなくさせるかもしれない。それが一番恐ろしい。


「耀華公主」


 俺を呼んでくれ。甘く痺れるようなあの声で。

 そうしたら俺は、あなたの側に、人の世に留まれる気がする。


 俺は自分の寝台から枕と布団を持ってきて、彼女の寝台の傍らで横になった。子供の頃は、こうして兄弟や従弟と敷物の上で雑魚寝したものだ。だいたい、野宿で満天の星を眺めながら寝るのが好きなくらいだ。寝台で眠らなくても、まったく苦にならない。それより、彼女の傍を離れる方が不安だった。

 俺は彼女の気配を気にしながら、浅い睡眠をとった。

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