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決着(※2017017改稿)

残酷な描写を含みます。ご注意願います。

 11ポンドの重さに痺れる指で、引き金をひく瞬間、ウルフの背骨を冒涜的な快感がつきぬけ、枯れ木のような老人が車椅子の上で跳ねる。

 ウルフより先に発砲した老人の弾丸はウルフの足元の石畳を抉り、ウルフの弾丸は老人の左肩と車椅子の背凭れを撃ち抜いた。老人は、血が噴き出す銃創を右手でおさえ、苦痛と、それを凌駕する憎悪に歪んだ険相でウルフを睥睨する。面影など欠片もないのに、憎悪に満ちた凄まじい形相は、幼い頃のウルフを睨み付けた、初恋の人に酷似していた。


 ウルフは硝煙を振り切り彼我の距離を詰める。往生際の悪い老人の手からカトレアの花束を払い落した。花弁が舞い散る、手向けの花は、血飛沫のように。花絨毯の上に、密造モーゼルが冷たい死体のように転がった。


 ウルフは項垂れる老人の乾ききった項を見下ろした。靴裏で車椅子の肘掛を蹴りつけ、転倒させる。どうと倒れこむ老人の体は枯れ葉が詰まっているかのように軽い。傲慢な老人が、ウルフの足元で、芋虫のようにのたうっている。ウルフの心に萌した背徳の興奮はその心にしっかりと根をはり、抗う良心を吸い上げてしまった。これで良いのだと、ウルフはひとりごちる。


(良心なんざ、後生大事にとっておくもんじゃねぇ。化け物に情けは無用だ)


 ウルフは容赦なく老人を蹴り飛ばし、苦悶する老人を見下ろす。嘲笑していた。


「情けねぇ悲鳴だぜ。それで同情をひけると思うのか? 貴様の汚ねぇケツを蹴る俺の靴の方が余程、可哀想だ」


 靴裏を老人の肩になすりつけて低く言うと、老人が嗚咽のような声を出した。哀れっぽい声色を聞いても、憐憫の情は湧かない。虫唾がはしる。


 この老人はウルフの大切な家族を滅茶苦茶に破壊した悪魔なのだ。無尽蔵の憎悪は復讐の愉悦すら掻き消す。

 ウルフは老人の左肩を深く抉る銃創を踵でにじり、すげなく言い放った。


「会いたかったぜ、クソ野郎。貴様の始末は電気椅子に任せるつもりだったが、汚ねぇ面に腹が立った。俺が納得して見れる面に整形してやる。なに、不愉快面の撲滅って言う、社会に対する奉仕活動だ。遠慮はいらん」


 俺としても、確実に息の根を止めておきたいからな。そう呟いて、ウルフはグロッグ17をトンファー式警棒に持ち替えた。一端、胸に引きつける。墓の前を黒猫が横切り甦った屍のように、飛びかかってくる老人の横面を薙ぎ払った。健康的な白い歯と血痰が飛び散る。たった一撃で、老人の顔半分は潰れたトマトのようになった。

 背筋を流れた氷塊は、己の嗜虐性を恐怖したからなのかもしれない。しかし、恐怖はより鮮烈な怒りに塗り潰されて、目の前は真っ赤に染まる。


(ウィルの痛みを倍にして返してやる。父さんの屈辱を倍にして返してやる。苦しめ、苦しんで、苦しんで、苦しみ抜いて、死ね!)


 ウルフは地を這いずる老人の背に跨り、滅茶苦茶に打ち据えた。頭を庇おうとした指が折れ、腕が拉げ力なく垂れ下がろうとも、高く通った鼻筋が折れて平になろうとも、骨相が歪もうとも、ウルフは止めなかった。


「クネクネ躍りやがって、カマ野郎が! なんだ、そのへっぴり腰は。ジジイのファックの方がまだ気合いが入ってるぜ!」


 ウルフは嘲弄し、老人を見下ろした。それは既に、おぞましい化物だった。すじりもじる痩躯を乱打しながら、ウルフは恍惚としていた。一撃一撃が、老人の化けの皮を剥がすと同時に、ウルフを縛める罪の意識を剥がしてゆくようだった。


 この復讐は、断罪であり、贖罪でもあるのだ。


 警棒を取る手が震えるのは、至上の喜びの為だ。恐れてはいない、とウルフは己に言い聞かせる。


 ウルフの暴力は常軌を逸していたが、殺さない程度の加減は忘れない冷静さは辛うじて残していた。ウルフは過度の興奮に息を切らしながら、虫の息の老人を睨みつけた。

 この老人を始末する前に、訊いておかなければならないことがある。


「俺の質問に答えろ。真面目に詳細を答えれば、それだけ長生きできるぜ? ……アレックスは、彼はどうしているんだ? 貴様の育てた小さな悪魔は何処で何をしている? さぁ、答えろよ。悪魔にも痛覚はあるんだろう」


 老人の瞳は白目の上を縦横に巡っている。何かを探していたが、しかし、求めるものは見つからなかったようだ。老人は発作のように哄笑する。絶望の色をした血塊が唇から零れた。


「アレックスは、もう、どこにもいない」


 老人の答えは、絶望と安堵、相反する感情を等しくウルフの心にもたらした。この口振りだと、アレックスはもう生きてはいないだろう。ウルフもアレックス自身も、アレックスは特別だと思いこんでいたが、この化け物にとっては、美しいアレックスさえ、一時の慰みでしかなかったということか。


 死人は殺せない。だから、ウルフの復讐は、この老人を……人ならざる化け物を殺すことで終わる。


 ウルフは総身を巡る血潮が、頭にのぼるのをはっきりと感じた。視界が血の色に染まる。激昂するままに、ウルフは警棒を振り上げた。最後の一線を、躊躇い無く踏み越える。


(これだ。この瞬間の為に、俺はこれまで生きて来た!)


 警棒で何度も何度も老人を打擲する。獣じみた悲鳴があがる度に、目を血走らせた。肉片と粘膜が飛び散る。一張羅のトレンチコートが血に塗れていることはお構いなしに、ウルフは無我夢中で老人を叩きのめした。耳に障る悲鳴を上げ七転八倒する老人が屑物のように倒れ伏すまで、ウルフは殴るのを止めなかった。


 ふと我に返ると、ウルフは無残に損なわれた老人の傍らに跪いていた。呪われた血が滴り警棒を握る手が滑る。ウルフは老人を冷ややかに眼下に見た。名状し難い感情にかられる。


「俺の所為で死ぬのか? 俺がこの手を汚して、貴様を殺すのか?」


 ウルフは腕を大きく振り上げる。首に提げていたチェーンが跳ねあがった。肌身離さず身につけているクリッカーが、ウルフの視界に飛び込んで来る。ウィルとの大切な思い出を呼び起こす。


 優しいウィル。孤独なウルフに寄り添ってくれた。ウルフが悲しいときは涙を舐めとってくれた。嬉しいときは尻尾を千切れんばかりにふって喜んでくれた。ウルフが助けを求めたから、ウルフを救う為に、目の前の悪魔に果敢に立ち向かってくれた。


 優しくて勇敢なウィル。献身の報酬は天国への方道切符だった。唯一無二の親友は二度と、ウルフの腕の中へ帰らない。


(こいつの所為だ。何もかも、この男が悪いんだ!)


「さっさと死ね!」


 この男は化け物だ。忌まわしい化け物だ。おぞましい化け物だ。哀れな犠牲者の精神も肉体も凌辱し、ついには精神を奪い、空っぽの肉体を奴隷として従えていた。その罪は万死に値する。


 ウルフは雄叫びを上げた。復讐心を鼓舞して、渾身の一撃を悪魔の脳天に振り下ろした。壮絶な断末魔が、がらんどうの路地裏に木霊した。


 その晩は、いまにも泣きだしそうな空模様だった。冷笑する満月は、涙に滲む叢雲の影に隠れて、ウルフが成し遂げたことを見届けていた。


 足元に冷え冷えとしたものが纏わりつく。名状しがたい、身の毛もよだつ怪異が、仮染めの肉体を喪ったことで楔より解き放たれ、ウルフの足元に、異次元の扉を開いたのかもしれなかった。危険に惹かれる天の邪鬼の心理が働いて、足元に目を落とす。


 足元には胴色の影が蟠っている。錆びを含み、血の色をした水たまり。警棒から血の一滴が滴り落ちると、水面がさわさわと騒ぎ、うつりこむウルフの輪郭を怯えたように波打たせた。赤錆び色の水溜まりが、氷を融かしたように叙叙にひろがっていく。屍を呑みこもうとしている。


 肉塊と化したのは、石のように年老いた老人だった。二十年の歳月はこの男の上で、何度も何度も踵を返したようだ。少なくとも肉体は、人間のそれと大差なかったらしい。


 枯れ木のように節くれだち萎んだ肉体の衰えは、型のしっかりしたネイビーのスーツを着ても誤魔化しきれない。長い手足は細く固く脆そうで、不自然に折れ曲がり、縺れている。そのシルエットは、忌々しい『黒い仔山羊の森』が見せる悪夢めいた幻影に似ていた。ブルーの開襟シャツから白鳥のようにすらりと伸びた首を捩って、老人は崩壊した顔面をウルフに見せつけている。


(終わった。脳みそをぐちゃぐちゃに潰してやった。これなら、ご自慢の技術を駆使することも出来ねぇさ)


 ウルフは道路を舗装するコンクリートで煙草の火をもみ消すと、携帯用灰皿に吸殻を捨てた。束の間、身動ぎもしなかった。脳天を打ち砕いた感触が生々しく手にこびりつき、五指が震えている。

 サイレンの波長がドップラー効果で次第に縮んでいく。失踪した市議の娘の行方を追う私服警察官が、惨殺死体と成り果てた容疑者の隣に突っ立っているのを見たら、同僚たちは度肝を抜かれるだろう。


 ウルフはトレンチコートのポケットからモーテルのルーム・キーを取り出し、老人の着ているサック・コートのポケットに忍ばせた。立ち上がり、コートの襟を立て、怯える亀のように首を窄める。足元から悪寒が駆けのぼる。身震いすることで冷えた末端まで血を巡らせようとした。同僚が駆けつけてくる前に、唇は色を取り戻せるだろうか。


(ゼロに戻った。これでようやく、人並みの人間に戻った)


 制服警官に取り囲まれホールドアップの体制をとりながら、ウルフはその言葉を心の中で繰り返し、呪文のように唱えていた。


 ウルフ・ピジョンの半生は最低な悪夢だった。全てを奪った化け物に引導を渡したことで、ウルフはやっと目覚め、人並みに戻る。


 ヘッドライトの濁流にのまれ、眩みながら、ウルフは取り戻した現実の、未来を見据えていた。


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