遭遇
夕闇の降りた山道をひとり下る。
足元が不安になるほどの暗さではないが、なんとなく背中に薄ら寒いものを感じるのは知らない土地だからか。海風もここでは強くはないものの、たまにガサリと葉を揺らすのが余計に雰囲気を醸しだす。
なにかが出るとしても、時刻は早い。それはわかっていても、そこはかとなく不安は募る。
だって、道がわからない。
もちろん来た道を戻れば帰れるが、あのアップダウンの回り道を選ぶほど体力は残っていなかった。
修人
「方角は合ってるはずだよなぁ」
わざと口に出して、見渡す限りを見はるかす。
山から見下ろす景色はほぼ田んぼ、もしくは畑。道に沿って遠くに人家。見覚えのある風景は、ない。
誰かに道を訊こうにも、視界の中に人影はなく、そもそもなんて訊いていいのかもよくわからない。
最悪、港まで出られたら、なんとか帰れるはずだ。で、港の行き方は?
悩んでいても仕方ないので、とにかく下る。山よりは人里の方が安心だ。たとえ誰もいなくとも。
???
「————、———」
なにか、聞こえた。
???
「————、———」
かすれるほどの、小さな声。子どもだろうか。
???
「————、———」
歌だ。
そこで初めて気がついた。
山道を下りきった先、人里と呼べそうな場所との境。
そこにひとりの少女がいた。
おかっぱの黒髪。飾り気のない服。小学生くらいだろうか。
その小さな手には似つかわしくないほど大きなピンクのビニールボールを、一生懸命ついている。
鞠つきのように。
???
「————、———」
修人
「数え歌だ」
ボールをつきながら歌っている。
鞠つき歌、というよりは、数え歌。
よくは聞こえないのに、そう感じた。
???
「————!」
ほとんど無意識にそちらへ運んだ足音に、少女の気配が変わった。
俯いた顔は見えない。でも、こちらに気づいて。
修人
「あ。」
くるりと身を返して、少女は背後の薮の中へ消えた。
その場に、大きなビニールボールを残して。
驚かせてしまっただろうか。
修人
「ボール、忘れたよ」
聞こえるとも思えない、普通の声で呼びかける。
反応はない。
なるべくゆっくり近づいて、なおも弾んでいたボールを捕まえる。
修人
「ボール、なくしちゃうよ」
薮からの返答はない。それでも、大きな声を出す気にはなれなかった。
なんとなく手持ち無沙汰になって、手にしたボールを地面に落とす。
ティン、と。思ったより弾んだ。少し慌てて、捕まえる。
舗装されていない地面はバウンドの予測が難しい。
修人
「————」
なおも呼びかけようかと思ったが、もうかける言葉が出てこなかった。
もう一度、ボールをつく。さっきよりは上手く手元に戻った。
歌を真似しようかとも思ったけれど、よく聞こえなかったから思い出せない。
修人
「じゃあ、ボール、ここに置くからね」
なんとなく、まだそこの薮の中にいるような気がして。
なるべく優しい声で呼びかけて、ボールを道の端に置いた。
転がっていかないように、気をつけて。
修人
「じゃあ、ね」
『またね』と言いかけて、思わず言い換える。特に、意味はないけれど。
薮に駆け込んで行った時、葉音はしただろうか、などと下らないことを考えながら。
少し歩いてから振り向くと、まだそこにボールはあった。
もう少し歩いてから振り向いても、やっぱりまだボールはあった。
ずいぶんと歩いてから振り向いた時には、もうよく見えなかったけれど。
まだピンク色が見えていたような気がする。
そうして歩いていたら、家の前に立っていた。
バカ父は、まだ帰っていなかった。