式化
授業が終わる頃には、肚に溜まったもやもやは吐き気を催すほどに重くなっていたけれど。
本人のいないところで、加害者たちを追い詰めてみても、工藤さんが救われるはずもなく。
結局なにをすることもできずに、オレは教室を後にした。
帰り際、要がオレにだけ届くような声で伝えてきたことが、さらに肚を重くした。
要
「工藤さんって、一年の夏に突然転校してきたんだよね」
入学して半年足らず。
自宅が引越すわけでもなく、自分だけが突然学校を変える、理由。
椎
『慣れてるから』
そういった工藤さんの声を思い出す。
誰とでも話せるタイプでも、みんなと仲良くするタイプでもない。
クラスで目立ちもせず、クラスのために率先して動きもしない。
じゃあ、それが悪いのか。
よく、いじめられる方にも問題がある、という声を聞くけれど。
自分を曲げてでも、いじめられないキャラクターを演じないといけないのか。
いじめられないために自己防衛をしないと、いじめられても仕方がないのか。
高まる苛立ちを抑えきれず、近くの立木を蹴りつける。
修人
「————くそ、これもいじめ、か」
動けないものへの、理不尽な暴力。
オレなんかの蹴りで自然の樹木がどうなるものでもないけれど。
それでも気をとりなおすことができたことに、軽く自己嫌悪しつつ。
オレは顔を上げた。
オレが解決しなければならない問題があるとすれば、答えはあそこにある。
七葉
「修、お前、あれ以来毎日来てるじゃないか。まさか、惚れたかい?」
修人
「幼女に手を出す趣味はありませんよ。真面目な相談があるんです」
いつものように祠へ行くと、いつものように七葉さんがいた。
今日はひなもいる。前までのようにしゃがんだりせず、祠の隣にきちんと立って。
ひな
「相談、ですか?」
軽く首をかしげる仕草は、以前のひなを思い起こさせる。
修人
「工藤さんのこと。ひなには話してなかったよね」
ひな
「いえ、聞いています。椎に、なにかよくないことでも?」
そして、オレは今日の昼の件を二人に話す。
ひな
「……蛇、ですか」
つぶやいて、ひなが七葉さんを見る。
七葉さんはめんどくさそうに頭をかいた。
七葉
「厄介なことになったねぇ」
やっぱり、厄介なことなのか。
ふぅ、と大きく息をついて、七葉さんが説明モードに入った。
七葉
「昨日は言ってなかったけどね、大きな力を使う方法はもうひとつある」
修人
「もうひとつ?」
昨日聞いたのは、資質と知識と技術で自分でがんばる方法と、力のある者にお願する方法。
七葉
「そう。贄を上げることだ」
贄。生贄、か。
七葉
「贄の魂を上げて、それを素に力を使う。力がなくても、引き出せなくても、力が使えるようになる」
修人
「じゃあ今日、蛇の影が工藤さんに巻きついたってのは」
七葉
「蛇を贄に上げたんだろうね」
昼間の様子を思い出す。
あの蛇が、贄となったのか。
修人
「でも、どうして工藤さんにそんなことが?」
ひな
「御影式 (みかげしき) ですね。椎は、昨日、御影を行っていますから」
微妙に新しい言葉が出てきたぞ。当然オレの頭の上に ? が並ぶ。
修人
「ひな、ごめん。わかるように説明して」
ひな
「ああ、すみません。私もまだ整理しきれていなくって」
ひなは少しの間、目をつぶって考えをまとめてから。
ひな
「御影の法については昨日聞いたと思いますけど、御影式というのは、それで式とする贄を選ぶ術のことです。つまり御影の法で願いを込めた御影の中を通った動物を贄とする術なのです」
昨日、御影の法を行っていた工藤さんの背中を思い出す。
修人
「じゃあ、昨日、工藤さんがしゃがんだのは」
ひな
「きっと、影の中を通った蛇を捕まえたのでしょう」
その蛇が左腕の袖の中に入っていったから、あんな姿勢になったのか。
ちょっと気持ち悪いけど。爬虫類、大丈夫なんだね、工藤さん。
修人
「それにしても、工藤さんはどこでそんな術を?」
ひな
「たぶん椎は御影の法しか知らなかったのでしょう。そこに、たまたま蛇が通った」
修人
「それでも、御影式には、なる?」
ひな
「願いの種類にもよりますし、他の動物では難しかったでしょうが、この島の蛇は特別ですから」
そう言って、なぜかまた七葉さんの方を見るひな。七葉さんがプイッとそっぽを向いた。
ひな
「この島では、蛇は護り神の眷属なので、術力を宿しているのです。もちろん自身ではなにもできませんが、椎の願いを聞いて、椎と繋がってしまったのかもしれません」
修人
「蛇と、繋がる」
ひな
「意識を通わせる、と言ってもいいですが」
う〜ん、どちらにせよ、あんまりいい印象は受けないが。蛇に対する偏見だろうか。
ひな
「おそらく、贄としたのも、上がった直後に影を吸わせたのも、蛇の意思でしょう。きっと椎は言われるがままだったのではないでしょうか。だとすると、今頃はもう蛇は式となっているかと」
修人
「式になると、どうなる?」
ひな
「椎が式蛇を使えるようになります。御影への願いで式を得たのですから、それで願いを叶えられるのでしょう」
願いが、叶う。
あの状況で、式を持つこと、力を得ることを願ったとすれば、その先は。
修人
「もし式蛇で、普通の人を攻撃したら?」
答えてくれたのは七葉さんだった。
七葉
「昨日教えてやったろう? 式蛇は影の蛇だ。それに人の影を喰わせれば」
最悪、人でいられなくなる、か。
修人
「やめさせなきゃ。工藤さんは、その結果を知らないかもしれない」
七葉
「闇雲に力を求めたなら、そうだろうね。ただ、厄介なのはそれだけじゃないよ」
まだ、あるのか。
七葉
「椎には元々の力がない。にもかかわらず、不相応な力を得た。ろくなことにゃならないさ」
修人
「ろくなことって、具体的には?」
七葉
「元が蛇なら執念深い。命の仇には命を奪う。椎やお前が止めたところで、すぐに蛇が言うことを聞かなくなるだろう」
工藤さんの願いが二人の命だとは思えない。蛇が命を奪おうとすれば、さすがに止めるだろう。
できるなら、オレだって止めたい。でも、それも一時的ということか。
七葉
「もうひとつ。式を維持するのには力がいる。椎になければ、外から補給するしかない」
修人
「補給って、ひょっとして」
七葉
「お前だって、他の命を食って永らえてるだろう。影だって、他の影を喰わなきゃ消えちまう」
仇の命を喰らい、それで足りなくなれば、また次の命を喰らう。それを、工藤さんに止める術はない。
七葉
「自ら名乗りを上げて、現身を捨ててまで式になったんだ。簡単に消えちゃくれないだろうね」
式が、暴走する。
修人
「工藤さんに、早くその式を捨てさせなきゃ、ってことですね」
七葉
「が、椎はその方法を知らない。知らずに式にしたのなら、一方的な解式 (げしき) はできないだろう」
修人
「できない? 式って、召使いみたいなものなんじゃないんですか?」
七葉
「そんなもんに自らなりたがるヤツがいるもんか」
七葉さんは、小馬鹿にしたように嘲笑って。
七葉
「本来なら、式にする前に上下関係をきっちりしとかなきゃならないのさ。それも知らないで契約したなら、しゃぶり尽くされても文句は言えない」
修人
「なにも知らない子に近寄って、足元見て、不正な契約結んで、って完全な詐欺じゃないすか!」
七葉
「怒鳴られたって知らないよ。人と人ならそうだろうね。ただ、なにせ相手は蛇だからねぇ」
式にしていれば手遅れか。なら。
修人
「まだ式にしてないかもしれない。今のうちに、なんとか」
七葉
「椎の家は島の外だろう。なんとかするにも、島に呼び戻す必要がある」
そうか。オレは工藤さんの連絡先すら知らない。
家に帰れば連絡網くらいはあるけど、それで間に合うとは思えなかった。
八方塞がり。
知らず、オレはひなを見ていた。
喉元まで出かかっている言葉。
でも、これ以上、ひなに。
ひなが、小さく頷いた。
ひな
「椎の式を解きましょう」
その声は、夕闇の中に凛と響いた。
修人
「できるの、か?」
ひな
「はい。私に、姫の力、術を使いこなす力が戻ってくれば」
姫の、力。
ってことはやっぱり。
修人
「次の、解封が必要?」
ひながもう一度頷く。
オレは慌てて、七葉さんを見た。でも、七葉さんはそっぽを向いたままで。
修人
「大丈夫、なの?」
ひな
「椎のためですから」
ひながにっこり微笑んだ。
ひな
「あの日、私を探す椎の声は、何度も何度も聞こえていました。私は出て行くことはできなかったけれど、うれしかった。だから、私も椎を救いたい」
あの日。ひなが、オレたちの前から消えた日。
あのときの工藤さんの声は、ひなに届いていたんだ。
七葉
「現状、それは椎の願いじゃないし、そもそも椎は島の者じゃない。それでも?」
そっぽを向いたまま、七葉さんが口を挟む。でもそれは、反対ではなく、確認で。
ひな
「はい。これは私の願いです。椎は優しくしてくれましたから」
ひなはしっかりと頷いた。
七葉
「偉くなったもんだね、自分のために力が振るえるとは」
ひな
「蛇の、仕出かしたことですし」
七葉
「ふん。」
いたずらっぽく笑うひなと、不満げな七葉さん。
なんだか、珍しい絵面だ。
修人
「じゃあ、次はオレは何を持ってくればいいんですかね?」
解封の鍵探しがオレの役目。
前回が樹の枝、『いつ』だったから、次は、『む』?
頭をひねるオレにかけられたのは、呆れきった声で。
七葉
「……お前、まだ下の句を読んでないのかい?」
修人
「読みました、読みましたよ。だから、むは、え〜と、、、」
念のために持ち歩いていた数え歌の紙をごそごそと。
七葉
「むつきだ。繦褓を持ってきな」
紙は出されるまでもなく、また懐へと戻された。
修人
「繦褓というと、あの赤ん坊の?」
ひな
「赤ん坊のものを想像すると、少し違うかもしれません。繦褓は姫が神事で使うのですけれど、姫は七年に一度しか歳を取らず、四十九歳までは子どもと見なされるので、繦褓と呼ぶのです」
儀式的なことは思い出しているひなが訂正してくれた。
他人事っぽいのは、記憶としては思い出してないということだろうか。
ともかく、繦褓の大きさは大人サイズだということだな。
ひな
「その神事は岬の社で行われたので、繦褓があるとすれば、きっとそこかと」
みさきのやしろ。また新しいワードが出てきたぞ。
修人
「岬ってことは、西の方の、なにもない辺り?」
高台での要の解説が頭に蘇る。あのバカも役に立つことがあって本望だろう。
ひな
「そうですね。岬の根元にあるので、先端まではいかなくていいはずです。ほとんどが岩場ですので、足元など気をつけて下さい」
道案内の上に、心配までしてもらった。ただ、遠いな。
修人
「なるべく急ぐけど、学校が終わった後からだから、夕方までには戻れないかもな」
ひな
「その場合は、申し訳ありませんけど、この祠に入れておいて下さい」
修人
「了解。みかんみたいに乗っけておくよ」
ふと、みかんを欲しがったひなを思い出す。
あの頃には、まだ片言みたいにしか話せなかったのに。
なんとなく懐かしくなって、オレはひなの頭に手を乗せた。
ひな
「——あ。」
修人
「あ、ごめん。そうだよな、お姫さまなんだから、失礼だよな」
慌てて手を引っ込める。あの頃と、見た目は変わってないもんだから、つい。
でも、ひなは静かに微笑んで。
ひな
「いえ、そんなことはありません。修の手は温かいですし、いいのですけれど」
そう言った、ひなの目が俯いて。
ひな
「でも、こんなことをしてもらったことがなかったので、、、」
してもらったことがない。
やっぱり、少しずつ記憶も戻ってきているのか。
もう一度手を伸ばすべきか、戸惑うオレと。
少し淋しそうな顔で俯くひなと。
七葉
「……なんだい、やっぱり惚れたかい?」
修人
「そういうんじゃねぇっす !!」
思わず、全力で否定してしまった。




