生贄
眠い。
いつもより 30 分は早く起きて、それ以上に早く教室へ到着。
昨日はひなの件があって話せなかったが、今日こそきっちりと話をするために。
オレは誰よりも早く教室に着いていた。あとは、二番目に来るはずの工藤さんを待つばかり。
そうは言っても、三人目がいつ来るかはわからない。
ここはやはり、工藤さんが来るやいなや、中庭あたりへ連れ込むのがベストだろう。
そして、誰の目にもつかない辺りまで引き込んで、あとはもう、思うがままに————
違う。
やっぱり寝不足は頭が回らない。
ひとりなのもよくない。頭に浮かぶことはだいたいが余計なことで、バカなことだ。
これ以上おかしくなる前に、早いところ工藤さんには来ていただきたいところなのだが。
————がらり。
扉が開く音に目を覚ます。
おっと、ヤバい。寝てた。
ついに来た、その二人目へ目を向けると。
立花
「おはよー」
修人
「お、おぅ、おはよう」
入ってきたのは、お目当てとは異なる、ローテンションの女子で。
彼女はオレの目の前の席に座る。
なんだろう。この空気。
そこそこ広い教室なのに、窓際で縦に並んで座る男女。
二人とも自分の席についているのだから、もちろん正しくはあるのだが。
彼女はなにを思うでもなさそうに、今日の授業の準備を始めている。
この状況に違和感を感じているのはオレだけなのか? 朝イチに慣れていない、オレだけなのか?
違う。
そんなことはどうでもいい。今日の目的はどうした。
慌てて、時計を確認する。
おかしい。フェリーの時間から逆算すれば、対象はもうとっくに着いているはずだ。
どころか、もう普通に生徒たちが来るような時間になっていて。
杉崎
「おっはよ〜」
高良
「おはよ」
立花
「あ、おはよー」
もう、挨拶なんてあちこちで乱舞状態で。
もういい。もう、寝る。
本日も目論見が打ち砕かれて、オレは机をよだれで濡らすのだった。
ということで、今日は朝から寝て過ごした。そりゃもう、要が呆れるくらいに。
たった 30 分早起きしただけなのに、眠い量が割に合わない気がする。世の中理不尽なことばかりだ。
その上、今日は教室移動もない。
移動中なら比較的他のクラスメイトとも話しやすいのに。
というわけで、ここまでなんの成果もないまま、昼休みを迎えてしまった。
しかし、今日は昨日とは違う。
意気込んで弁当を受け取ったオレは、昨日入手した有力情報に基づき、自習室へと向かう。
工藤さんが昼休みになると同時に教室を出たことは確認済だ。だとすると、今日もここに。
修人
「いねぇし。」
そろそろ、いいかげんにして欲しい。
やむなく、校長に見つかる前に、オレは自習室を後にする。
と、窓の外に、探し求めた黒髪ストレートを見つけた。
修人
「工藤さん!」
椎
「はいっ !?」
しまった、興奮しすぎて、全速力で声をかけてしまった。
椎
「あ、笠原くん。なに、急に」
修人
「ああ、いや、工藤さんは、お昼、中庭派?」
無駄に驚かせたせいで、こっちまで緊張してしまう。なんだ、中庭派って。
椎
「違う、けど」
修人
「そなの? じゃあ、今はなに中?」
声をかけるまでは、なにやら草むらを覗き込んでいたようにも見えたのだが。
椎
「え? あ、もう、大丈夫」
そう言って、廊下へと上がってくる工藤さん。
中庭での用事は終了したのか、そのまま教室へと戻ってしまう。それは、まずい。
修人
「あ、工藤さん。あの、昼飯、一緒に食べない?」
まずいあまりに、ド直球で誘ってしまった。
工藤さんもさすがに驚いて。
椎
「お昼? 私と?」
修人
「そ。あの、昨日の朝のことも、あるし」
しまった。工藤さんの表情が冷えていく。
理由を訊かれたらなんて答えようと思いすぎるあまりに、本音を先に言ってしまうパターンだ。
当然、このタイミングでは致命的で。
椎
「大丈夫」
これは、決して肯定の方の『大丈夫』ではないだろう。
スタスタと教室へ向かってしまう工藤さん。
だが、オレはなおも食らいついて。
行こうと、思ったのだが。
先に教室へ入った工藤さんの足が、その場で凍りついていた。
当然、オレの足もその背後で止まる。
教室では、小さな惨状が起こっていた。
教室前方の空白地。教壇と一列目の机との間で。
一匹の小さな蛇が、頭を潰されて、死んでいた。
高良
「あ、工藤さん、気をつけて。そこ、汚いから」
椎
「きた、ない?」
確かに、潰された頭からは血やらなにやらが床へこぼれ出してはいるが。
杉崎
「気持ち悪いよね〜。どっかからさ〜、いきなり蛇が入ってきて〜。にょろにょろ〜って」
気持ち、悪い。
工藤さんの口が、音もなくそう動いたように見えた。
高良
「でもさ、あみがやっつけてくれたんだよ」
杉崎
「へへ〜ん。でもさ〜、なんで蛇なんているのって感じだよね〜」
高良
「まさか、誰かが飼ってたりして」
そう言った高良さんの視線がちらりとこちらの方を向いた。
この、流れ。
これは間違いなく。
杉崎
「うわ〜、キモい〜。ね〜、工藤さんも蛇とかムリだよね〜」
頭潰した本人が言うか。
高良
「でもさ、これ、どうする? 誰かが、片付けないと」
誰か、に強くイントネーションを置いて。
杉崎
「あたしヤだよ〜。やっつけたんだもん。誰かやって〜」
誰か、を横目で見ながら。
高良
「これさ、————」
なおも、なにかが言われる前に。
オレが一歩踏み込むより早く。
工藤さんが、手を伸ばした。
杉崎
「——え?」
工藤さんは、頭の潰された蛇に、左手をかざして。
高良
「ちょ、なに?」
小さく口が動く。でも、声にはならない。
だが、それに応じて。
杉崎
「えぇっ !?」
死んだ蛇が、動いた、ように見えた。でも違う。
これはある意味、それ以上の衝撃で。
高良
「——なに、今の?」
蛇の影が、するすると動いて、工藤さんの左腕に巻きついた、ように見えた。
二人のリアクションを見る限り、そう見えていたのはオレだけではないのだろう。
工藤さんが、左腕を胸に抱え込んだ。まるで、あの時のように。
高良
「なんなの、アンタ」
高良の目は恐怖に怯え、それでもそれを敵意へと変えていた。
ビビってなんてやるものか。視線に込めて、睨みつける。
しかし工藤さんはそちらへ目をやることもなく。
無言で踵を返し、教室を出て行った。
————行かせてはいけない。
そう思ったときには、もう彼女の背中は階段を下りきっていて。
修人
「工藤さん!」
ようやく、追いかけ始めたときには。
ゆかり「ちょっと、修人くん。廊下を走ってはいけませんよ!」
ゆかり先生に前を塞がれた。
ゆかり「ん、どうしたの?」
修人
「先生、工藤さんは?」
ゆかり「え? 工藤さん? 自習室へでも行くのかと思ったけど、、、?」
当然、工藤さんは自習室には行ってはおらず。
教室に戻った頃には、蛇の死骸はゆかり先生が用務員さんを呼んで片付けてもらっていて。
高良
「なんで蛇がいたのかはわかりませんけど、朝、中庭で工藤さんがなにかに餌をやっているようなのが見えました。今思えば、蛇だったような気もします」
杉崎
「え〜、蛇なんて飼う方がキモいし、飼うなら逃すなって話じゃない〜? いたら殺すよ、キモいもん」
なんとか罪を工藤さんになすりつけようとしている二人が、もはや滑稽に見えて。
オレは中身が詰まったままの弁当箱を持って、自分の席に戻った。
もう、食欲はかけらも残っていなかった。
工藤さんは、午後の授業が始まっても、教室へは戻ってこなかった。




