御影
結局、校舎中を歩き回ってはみたが、工藤さんの姿は発見できなかった。
まぁ、鞄も持って出ているし、校内にいる可能性は少なかったのだが。
残る心当たりはただひとつ。
今日、工藤さんにひなの話はできなかった。
まさか土日にフェリーに乗って探しに来たということはないだろうが、今日ひとりで探し回っている可能性はないとは言えない。たぶんオレに声はかけると思うが、行き違いになった可能性はある。
一縷の望みをかけて、オレはすっかり道慣れた祠へ向かっていた。
工藤さんが見つからなければ、ひなと七葉さんに会って帰ればいい。
今日は一応、昨日のお礼を言う、という目的もある。
気づけば二人ともいなくなっていたので、声をかけることもできなかったのだ。
そうして、丈の長い藪に挟まれた道を進んで行くと。
わずかにだけ、開けた道の中央で。
夕陽を背にした背中が見えた。
黒い艶やかな長い髪。制服でもないセーラー服。後ろからなので俯いた顔は見えないが。
————工藤、さん。
声は、かけられなかった。
赤い空の下で静かに佇むその姿に、なんとなく、儀式を行うひなの姿が重なって見えて。
オレは、遠くから、その背中を見つめているだけで。
どれほど、そうしていたのか。
いや、本当はわずかな間だったのかもしれない。
工藤さんが、その場に膝をついた。
修人
「工藤さん!」
なにか、あったのか。
慌てて駆け寄るオレを、工藤さんは驚いて見上げる。
修人
「大丈夫?」
椎
「え? 笠原くん? あ、ああ、大丈夫」
何事もなさそうに答えるが、左腕を抱え込むようにして、右手で抑えているのが気になった。
修人
「胸が、苦しい、とか?」
椎
「本当に大丈夫。少し、めまいがしただけ」
そう答えると、工藤さんはふらつくこともなく立ち上がった。
修人
「どうしたの、こんなところで?」
椎
「うん。ちょっとね」
口ごもるけど、工藤さんがこんな場所に来る理由と言えば。
修人
「やっぱり、ひなのこと?」
椎
「あ。うん、そう。やっぱり、気になって」
失敗した。朝イチで伝えられていたら。
修人
「ごめん。ひなとは、土曜日に会えたんだ。朝に言えればよかったんだけど」
椎
「え、会えたの?」
工藤さんの眉が少しだけ開いた。本当に心配させていたのに、と後悔が深まる。
修人
「うん。話もできた。別にもう会えないとかじゃないみたい。よかったら、これから一緒に行く?」
椎
「あ、————」
だけど、工藤さんは少し考えるようにして。
椎
「今日は、やめとく。フェリーの時間もあるし」
修人
「そっか」
椎
「でも、よかった。また遊ぼうね、って伝えておいて」
修人
「わかった」
それでも、少しだけ微笑ってくれたのがうれしかった。
ひなのことを怖がらないでいてくれることも。
椎
「じゃあ、私」
修人
「うん、また明日」
もう、今朝の話ができるような雰囲気ではなく。
短い挨拶を交わして、工藤さんはオレとすれ違う。
やっぱり、左腕は抱えたままだった。
七葉
「そりゃ、御影の法じゃないか。また、ずいぶんと懐かしいものを出してきたもんだ」
修人
「みかげのほう? あの数え歌の、御影?」
祠に行くと、普通に七葉さんが出てきてくれた。
ひなは解封の負担もあって、休んでいるらしい。
ひなのことは心配だったが、それよりも、と。
七葉さんは、オレにさっさと訊きたいことを訊くように促した。
目の前でうじうじされてるのはかなわない、と文句を言われて。
それで、さっきの工藤さんの様子を話し、返ってきたのが。
七葉
「夕陽を背負い、長く伸びた自分の影に向かって願いを唱える。それが御影の法だ。元々はこの島の術師に伝わる法術でね、使いこなせば、己の影を操り、人の影に干渉することもできるようになる」
修人
「懐かしい、って、古いものなんですか?」
七葉
「古いねぇ。ひなが現役だった頃の得意技さ」
そんな、ひなを往年のプロレスラーみたいに。
修人
「そういえば、影がなくなると人は人でいられなくなる、とか」
バカな父親が言っていた、ような。
七葉
「おや、知ってるね。影に影を喰われると、その部位の支配を失う。つまり、死んだようになるのさ。全身の影を喰われれば、生きてるか死んでるかもわからない木偶の坊のできあがり」
おおう、怖い。って。
修人
「そんなヤバい術を、工藤さんが?」
しかし、七葉さんは呆れ顔で。
七葉
「馬鹿だね。使いこなせば、と言ったろう?」
修人
「工藤さんには、使いこなせないんですか?」
七葉
「念のために聞いてやるけど、あの娘は真言や呪言を使えるかい?」
修人
「無理です」
訊いたことはないけど、一介の女子高生が使いこなせるものじゃないだろう。
七葉
「歌にもあるだろう。御影には御言を満たさなきゃ願いは叶わない。大きな力を使うには資質と知識と技術がいるんだ。資質の方は知らないが、知識と技術がなけりゃ、力は引き出せないさ」
確かに。聞けば聞くほど当たり前の話だ。
影に願うだけで、人を動けなくさせられるような力が、そうホイホイ使えるわけもない。
修人
「じゃあ、どうして工藤さんはそんな術を」
七葉
「ま、それは術っていうより、おまじないの方かね」
修人
「おまじない?」
七葉さんの口から、少しかわいらしい言葉が出てきた。
七葉
「姫に願いを届けてもらえない者たちの間で流行ったんだけどね。自分じゃ願いを叶えられないから、自分の影に願い、力のある者へと伝えてもらうんだ。その場合は、強く願うだけでいい」
修人
「それで、願いが叶う?」
真面目な顔で訊き返すオレを、七葉さんは横目で見下して。
七葉
「修、お前、おまじないとか信じる方かい?」
修人
「いや、あんまり」
七葉
「まぁ、そうだろうね。叶うも叶わないも、信心一つさ」
つまり、数あるおまじないの中の一つだと。多少、ローカルなだけで。
なら、叶うも叶わないもないだろう。そんな都合のいい話はない。
七葉
「ついでに、届けようにも、肝心の姫様は眠ってるんだからね。どうにもなりゃしないさ」
そう言って、七葉さんは話を締めた。
物騒な話じゃなくて安心した。願いの内容を考えると、逆に心が痛むけれども。
工藤さんの願い事が『ひなが見つかりますように』だったら、もう叶ってるんだけどな。
そこで、話題をひなの方へシフトさせる。
修人
「ひなは、悪いんですか?」
七葉
「悪いって、別に病気じゃあるまいし」
七葉さんの口調からは深刻さは伝わってこない。でも、七葉さんだしな。
修人
「昨日、無理させちゃったのかと」
七葉
「儀式で疲れた、ってことじゃないね。どちらかといえば、解封の影響さ」
修人
「また、いろいろと思い出してるんですね」
七葉
「今回は、巫女の力を狙って解封したからね。力や儀式に関する知識が一気にきてるのさ」
なるほど。蘇った知識に対して、処理が追いついていない感じか。
でも。
修人
「どちらにしろ、無理させたことに変わりはないですね」
七葉
「それはアレも納得の上だろう。馬鹿を引き戻すとなったら別だが、案の定それもなかったわけだし」
案の定て。最初から失敗するのがわかってたみたいに。
いや、七葉さんは最初からそう言ってたか。
オレはそこで改めて七葉さんに向き直る。
修人
「七葉さん、今回はすみませんでした」
勢いよく頭を下げる。
七葉
「なんだい、藪から棒に」
修人
「七葉さんの言葉を無視して、ひなに無理させて、その上、喚び戻すのにも失敗して」
七葉
「後ろの二つは知らないね。あたしには関係ない」
やっぱりそっけなくいい捨てられて。
七葉
「でも、そうだね。あたしの言葉を無視した罪は大きいか」
う。てことは、やっぱり————
七葉
「次は、あんな小さな刺身じゃ許さないよ」
修人
「ははーっ」
改めて、オレは深々と頭を下げるのだった。
一生、ついていきます、姐さん。
いやいや、んなバカな。




