後悔
彼を飲み込んで、裂け目は消えた。
気づけば辺りはもう薄暮に包まれていて、長く伸びていたひなの影も、ひな自身の姿も消えていた。
七葉さんももういない。
しばらく草の上にへたり込んで息を整えていたゆかり先生だったが、今は落ち着いていた。
脱力したまま俯いているその表情は、こちらからは見えないけれど。
だから、オレはその場に立ちつくしていた。ただ、ぼんやりと。
ゆかり
「————ねぇ、修人くん」
ぽつり、と。つぶやくように問いかけるゆかり先生。
ゆかり
「男の子って、みんなああなのかな?」
修人
「どうだろう。オレは、違う気がするけど」
そうかな。考えれば考えるほど、多かれ少なかれ、ああなような気もしてくるから怖い。
ゆかり
「杉浦くんとかって、ああなると思う?」
修人
「いや、要はバカだけど現実派なので」
身近で一番ああなりそうなのが、自分の父親なのが少しショックだ。
ゆかり
「そっか。意外」
そう言って、少しだけ笑った。
ゆかり
「でも、たくましくなってたな〜」
修人
「そうだね」
筋肉隆々ではなかったけど、鋼のような。実践で培ったという印象を受ける身体つきだった。
自分で作った世界だけど、都合がいいだけの世界ではないのだろう。それが少し意外だった。
ゆかり
「体育とか、大嫌いだったのにな」
先生は、七年前を思い出している。
ゆかり
「大人しいくせに、嫌なことは嫌で、でも最後までは抵抗しないから、結局は流されちゃうの」
そこにオレはいないから、オレは黙って聞いている。
ゆかり
「それが、あんなに抵抗して。やらなきゃいけないことがあるって。命をかけてもって」
彼の世界だから、死にはしないと思うけど。
ゆかり
「責任感とか、まるでないヤツだったのになぁ」
修人
「きっと、本気出したんだね」
会話が、途切れた。
過去を振り返っているのか、彼の世界を想像しているのか。
彼の家族のことを思っているのかもしれない。
オレたちは、彼を連れ戻すことはできなかったから。
ゆかり
「ねぇ、修人くん」
ゆかり先生は、俯いていた顔を上げていて。
ゆかり
「私、間違ってたかな?」
やっぱり、つぶやくように。
見上げる空は、夜空というには早い、中途半端な色合いで。
オレは、上手く答えることができなかった。
間違ってない、というのは簡単だけど。
どちらが間違っているかと訊かれれば、彼の方だとは思うのだけれど。
それでも、彼の気持ちもわかる気がして。
ゆかり
「さっき、説得っていうか、口ゲンカ? してて、思ったんだよね」
ゆかり先生は、オレの答えを待たずに話し始めた。
ゆかり
「結局、私って、本当に貴志に帰ってきて欲しかったのかな、って」
…………え?
ゆかり
「あ、帰ってきて欲しくないわけじゃないんだよ。もちろん帰ってきては、欲しいんだけど」
両手を振りながら、誤解を解くように言い直す。
ゆかり
「その、帰ってきて欲しい理由がね、貴志にここにいて欲しいから、じゃなくて、貴志の消えるところを見ちゃったから、だったのかなって思ったの」
彼が消えるところ、神隠しの現場は、ゆかり先生しか見ていない。
ゆかり
「私、見てたのに、止めることもできなくて。みんなに話すこともできなくて。おじさんとかおばさんとかが悲しんだり、苦しんだりしているところを見るたびに、後悔して、自分を責めて」
七年もの間。
そうやって、ゆかり先生は、苦しんできた。
ゆかり
「だから、自分が苦しいから、貴志に帰ってきて欲しかったのかな、って」
先生は空を見上げたまま。
ゆかり
「貴志のため、じゃなかったのかな、って思って」
だから、オレも先生の顔は見ない。
ゆかり
「それじゃ、帰ってきてくれるわけ、ないよね。結局、自分のためだもんね」
声が震えても。
顔がまた、下を向いても。
ゆかり
「……最低だね、私」
オレはどうすることもできなかった。
先生がもう一度顔を上げてくれるまで、ただ立ちつくしているしかなかった。
空がすっかり藍色へと染まり直した頃。
ゆかり
「ごめんね、遅くなっちゃったね」
ゆかり先生が顔を上げた。
ゆかり
「帰ろっか」
立ち上がる。おしりについた草を軽く払って。
ゆかり
「日曜日なのに、こんなに遅くまで生徒を連れ回して、先生失格だね」
そう言って、笑った。
家まで送ると言ったけど、大人だから大丈夫、と断られて。
別れ際にもう一度。
ゆかり
「本当に、ありがとうね。修人くん」
オレはやっぱり上手く言葉を返せなくて。
そのまま、先生と別れた。
ゆかり先生が、明日から少しでも楽になれればいいのに、って子どものように願いながら。




