召還
——下って、登って、30 分。これももう幾度目か。
島育ちのゆかり先生は意外と健脚で、むしろオレの方が遅れがちだった。
慣れない木登りで日頃使わない筋肉が悲鳴を上げているせい、としたい。
ともあれ、空が赤く染まり始める頃には、なんとか高台まで辿り着くことができた。
ゆかり
「この辺?」
ゆかり先生が訊いてくる。その表情は、消えたのはここではなかったと語っている。
修人
「そ。消えたときとは違うやり方でアプローチすることになるらしい」
本人が作った世界に、本人が行くのと。
誰かが作った世界から、作った本人を喚び出すのと。
やり方も、それにかかる力も、全く異なってくる、らしい。
それは昨日散々聞かされたけど、ゆかり先生には詳しい説明はしていなかった。
オレがわかっていれば、それを信じてくれると思ったから。
ゆかり
「じゃあ、どうすればいいのかな」
やっぱり、それ以上は訊かずにいてくれるゆかり先生。
ただし、もうオレの出番は終わっているので、ここからの手順はわからない。
修人
「ちょっと、待機かな」
ここへ来れば、ひなか七葉さんが姿を見せてくれると思ってたのだが。
神問の壇の石櫃の隣で辺りを見回が、やっぱりいない。
ゆかり
「お姫さま待ちだね。巫女さんかな?」
修人
「両方らしいよ。姫が巫女になるから」
ゆかり先生が適当なところに腰を下ろす。
少し迷ったけど、オレもその隣に座った。
少しずつ、空の赤が勢力を増していく。
姫の時間がやってくる。
そう言えば、ひなとはこの時間帯にしか会っていない。
ゆかり
「ありがとね、修人くん」
いきなり、お礼を言われた。
修人
「なんすか、急に?」
ゆかり
「私に、協力してくれたから」
ゆかり先生は傾いていく夕陽を見つめながら、膝を抱えている。
ゆかり
「こんな荒唐無稽な話を、信じてくれたから」
オレは横目でその横顔を見つめていて。
ゆかり
「いっぱい、走り回ってくれたんだよね」
先生の顔が、こちらを向いた。
ゆかり
「だから、ありがとう」
なんだか気恥ずかしくて、オレは正面の夕陽に目を戻す。
修人
「ひなは、オレの妹みたいなもんすから」
妹がしたことだから、責任を取るとは言えないけど、できることはしてやりたくて。
そもそも、消えたひなを探す、っていう自分の目的もあったわけだし。
でも、そんなオレの答えは、なんだか不満だったようで。
ゆかり
「……な〜んだ、やっぱり、ひなちゃんのためか」
ちょっと拗ねたように、ゆかり先生が微笑った。
やっぱり気恥ずかしくて、オレも笑う。
ゆかり
「会ってみたいけど、私には見えないんだよね」
修人
「先生、島の人だからね」
こっちの方が、よっぽど荒唐無稽な気もするな。
ゆかり
「あ〜あ、残念。」
先生は、伸びをするように、後ろに手をついて、そのまま空を見上げた。
オレもつられて上空を見る。
空は、もう一面が真っ赤に染まっていて。
ひな
「————お待たせしました」
ようやく姿を現した姫巫女に、相応しい世界に仕上がっていた。
修人
「ひな、その格好————」
ひなはいつもの飾り気のない服装ではなかった。
白衣に緋袴、上には千早を羽織っている。いわゆる神事の際の巫女装束。
浅沓で、しずしずとこちらへと歩み寄ってくる。
ゆかり
「え? 来たの?」
慌ててきょろきょろするゆかり先生。だから、見えないって。
ひな
「修、準備は」
修人
「ああ。できている」
オレは持参した樹の枝を差し出した。ゆかり先生もオレの真似をして、彼のノートを差し出す。
それを確認すると、ひなは小さく頷いて、ゆかり先生へと向き直った。
ひな
「これから召還の儀式を執り行います。その間、貴女は消えてしまった方のことを強く想っていてください」
オレは隣に目配せし、聞こえていないことを確認すると、ひなの言ったことをそのまま伝える。
ゆかり
「想う。それだけでいいの?」
ゆかり先生はオレと、ノートを差し出した先を見比べながら。
修人
「いいってさ。あと、ノートは自分が思い出しやすいように持っていればいいって」
ひなからの回答を先生に伝える。
先生はあれこれと迷った末に、ノートをしっかりと胸に抱きしめた。
次に、ひなはオレの方へと手を伸ばす。
できるだけそれらしく。厳かを装って、オレは樹の枝をその手に乗せた。
ひなが、その枝を握った、その瞬間————
樹の枝が、光った。
ゆかり先生が息を飲む。
二人が見つめる中、その緑がかった光は、徐々にひなの手、腕、そして身体へと移っていって。
修人
「——ひな?」
全身に光を帯び、うっすらと目を閉じたひなが、びくりと全身を震わせた。
これが、解封、なのか。
邪魔をしてはいけないとは思っても、じっとしてはいられない。
七葉
「黙ってな」
背後からかかったその声に、踏み出しかけた足が止まった。
やっぱり来てくれていたのか。日頃勝てる気がしないだけに、こういう時には頼もしい。
……見た目は少女なのにな。
やがて枝の光が完全にひなへと移り、それも吸い込まれるように消えた。
なおも目を閉じていたひなだったが、ゆっくりと目を開いて。
ひな
「始めます」
樹の枝を両手に捧げ持ち、オレたちに背を向ける。いや、夕陽と正対したのか。
ひな
「祈りが届いたら、中に手を入れてください。彼に、届くはずです」
その姿は、まさに神託を告げる巫女のごとく。
修人
「お、おう」
完全に飲まれていたオレは、数秒遅れて返事をする。
七葉
「馬鹿。お前じゃない」
修人
「え? あ、そうか」
七葉さんにツッコまれ、慌ててゆかり先生に通訳する。
ひな
「そこから先は、私の力の及ばぬところ。あとは人と人との繋がりと願いの力です」
ゆかり
「私が、きっちりと説得すればいいってことだよね」
ゆかり先生が強くノートを抱きしめ直した。
そして、神事が始まる。
ひなが再び目を閉じた。
静かに、手にした樹を目の高さまで上げる。
微かに届く声は、やはり神道の祝詞のように響く。しかし人に伝わる言葉ではないようだ。
ゆかり先生はノートを胸に抱えたまま、両手を合わせていた。
オレは、ひなの一挙手一投足を見逃さないよう、目を凝らしている。
舞うように、ひながくるりと振り返った。
背に負った夕陽がひなの影を長く伸ばす。長く、長く。
ひなは樹をさらに高く掲げた。
その影がさらに長くなって。
影の先端が。
修人
「——先生」
ゆかり
「う、うん」
影の先端が届く先。
宙が、縦に裂けていく。下から、上へ。
まるでジッパーを開けるように。
ひなは樹を掲げたまま。目を閉じ、口は真言を唱え続けている。
それでも、促すような意思を感じた気がして。
修人
「行こう」
先生を支えるように腕を回して、オレたちは裂け目に近寄った。
ゆかり
「————手を入れて、いいんだよね?」
突如として空中にできた裂け目。中は影そのもののように黒い。
そこに手を入れる、というのだから、怖くないわけがない。
それでも、だからこそ、オレは自信満々に頷いて見せる。
修人
「その人のことを強く願って。そうしたら、絶対に届くから」
ゆかり先生は震えながらも、オレに頷き返して。
一度、心を落ち着けるように、目を閉じる。
そして。
ゆかり
「行きます」
意を決して、手を入れた。
ゆかり
「————あっ!」
ゆかり先生が声を上げたのは、もうすぐ肘まで入る辺りで。
修人
「なに? どうした?」
ゆかり
「なんか、触ってる!」
届いた、のか?
修人
「掴んで! 引っ張って !!」
わけもわからず、指示を飛ばす。
ゆかり先生は足を踏ん張って全身で引っ張り始めた。やがて、もう片手も突っ込んで。
ゆかり
「えいっ!」
???
「うおっ !!」
裂け目から引っ張り出されたのは、男性の上半身。
ゆかり
「……え? 貴志 !?」
貴志
「お前、ゆかり、か?」
引っ張り出された男性は、きょろきょろと辺りを確認し、すぐに知った顔を見つけたようだ。
むしろ、引っ張り出したゆかり先生の方が動揺していた。
年齢こそゆかり先生と同年代に見えるが、浅黒く日焼けした顔に、服の上からでもわかるほどに鍛え上げられた上半身。そして何より。
ゆかり
「なに、その、格好?」
彼は、呆然とするゆかり先生に、サークレットをはめた顔を向けた。
金属製の肩当が揺れる。そこから伸びる革ベルトで心臓の辺りだけを覆う胸当てを固定しているようだ。背中にはマントを羽織り、その向こうに長剣の柄とやっぱり金属製の盾がのぞいている。
一言で表すなら、ファンタジー世界の勇者。しかも、オーソドックスタイプ。
貴志
「ゆかり? そんなバカな。なんだ、なんの術に掛けられている?」
宙から上半身だけ生やした状態で、なにかに備えて構える勇者。
彼の世界とこちらの世界が入り混じり、困惑しているのだろう。
先に気を取り直したのは、ゆかり先生の方だった。
ゆかり
「貴志! 貴志でしょ。何してたの? 早く帰ってきてよ! おじさんもおばさんも心配してるよ !!」
貴志
「お前、本物のゆかり、か」
まだ状況を把握しきれていない様子で、ゆかり先生を見返す。
先生はさらに強い口調で。
ゆかり
「当たり前だよ! 本物も偽物もないの! もう七年も経ってるんだよ!」
貴志
「————七年。そうか、もう七年か」
懐かしむように俯く。きっと、彼には彼の、こちらが想像もできない七年間があったのだろう。
やがて顔を上げた彼は、ゆかり先生の両肩にそっと手を乗せて。
貴志
「ゆかり。残念だが、俺はまだ、帰れない」
ゆかり
「え? 何、言ってんの?」
彼はつらそうに、苦しそうに目を伏せる。
貴志
「いや、もう帰れない、と言った方がいいか。俺はあっちでやらなきゃいけないことがあるから」
ゆかり
「やらなきゃいけないって、それはあんたの————」
貴志
「信じてもらえないことはわかっている。信じてもらおうとも思わない。だが、俺を、待っている人がいるんだ」
ゆかり
「だから、それはあんたが————」
貴志
「もちろん、生きて帰ってこれるなんて思っちゃいない。だからこそ、俺はもう帰れない、と言おう。すまないが、そう伝えておいてくれないか。俺を育ててくれた、こっちの両親に」
ゆかり
「こっちの? ねぇ、両親にあっちもこっちも————」
なおも言い募るゆかり先生を、彼は強引に引き剥がした。
貴志
「じゃあな、ゆかり。もう逢うこともないだろうが、俺はお前の幸せを祈っている」
そう言い残して、裂け目へと身を翻す勇者。
しかし、そのマントはゆかり先生にがっちりと掴まれていて。
ゆかり
「待ちなさいって言ってるでしょ! こっちに散々苦労させて、いいだけ迷惑かけて !!」
貴志
「ちょっ、お前、今、俺が帰る流れで————」
ゆかり
「うるさい! 流れとか知るか! そもそもあんたが帰ってくるのはこっち側なの !!」
貴志
「だから、まだあっちに用があるって言ってるだろ!」
あれ? 少しずつ、勇者っぽい口調が剥がれている気がするぞ。
ゆかり
「そもそも、あんたがそっち行っちゃったのって、私のせいなんでしょ !? 謝るから、もう何も壊したり捨てたりしないから !!」
貴志
「あ? 何の話だよ !? 俺があっちに行くのは定められていたことなの! 運命なの !!」
ゆかり
「——えぇっ !?」
こんな駄々っ子みたいな運命も珍しいとは思うが、ゆかり先生のショックは別の話で。
ゆかり
「あんた、憶えてないの? あんたの作ったごちゃごちゃを私が全部窓から捨てたじゃない」
貴志
「あ? あ〜あ〜、あったね。懐かしいわ。でも、そんなんはもういいって!」
あんた、ゆかり先生の七年間の葛藤を、そんなんて。
ゆかり
「じゃあ、あんたがそっちに行ったのと、あれって————」
貴志
「関係ねぇよ! 全然! だから言ってるだろ、運命なの !!」
……もう、なんだろう、これ?
ゆかり先生と彼はなおも何やら言い争っていたが、もはや完全な泥試合で。
七葉
「もういいんじゃないかい。無理にこっちに戻したところで、互いに幸せになるとは思えないよ」
修人
「そすね。同感で」
飽きた、もとい、冷静な部外者からの指摘に。
ゆかり先生も力が抜けたのか。
するり、と。マントから指が離れた。
貴志
「もう呼ぶなよな!」
勇者は悪役のような捨て台詞を残して、彼の世界へと戻っていった。




