神隠
この島で、スーパーに売っていないものを、いったいどこで入手すればいいのか。
せっかくの土曜だというのに、オレは銘酒『茜姫』を求め、島中を彷徨っていた。
昨日と比べればずいぶんと軽い探し物ではあるが、これはこれで死活問題だったりする。
いい歳こいた親父様からのちまちまとした精神攻撃というのも、これがなかなかに堪えるもので。
いいかげん借りを返さないと、そろそろ本気で殴ってしまいそうだ。
ということで、手当たり次第に島を歩いては、行き会った人に酒を売る店の情報を求める。
それでも。ふと見かける小さな人影には、つい反応してしまう。
こんな明るいうちには出会えないとはわかっているのだが。
数人目の島人に話を聞いて、ようやく確実な情報を得た。
島の東に蔵元があり、そこで少しだけど小売もやっているはず、とのこと。
まさか本丸まで攻め入ることになるとは思っていなかったがやむをえまい。
ほぼ島を横断し、『茜姫』の酒蔵まで向かう。
しかし、そこで待ち受けていたのは、予想もしなかった事実。
修人
「まさか、一升瓶でしか売っていないとは、、、。」
大ダメージである。
せいぜい二千円程度とたかをくくっていたのに、まさかの倍額。もちろん重さは倍以上。
その上、天気は今日も今日とて快晴で、照りつける陽射しの下、風すらも吹き抜けない。
修人
「ここで作ってるんだから、売ってくれよ〜」
クソ重たい一升瓶を片手に下げて、これからまた島を横断して家に帰ることを考えれば、そりゃ愚痴のひとつもこぼれようというもの。
耐えかねて『茜姫アイス』まで買ってしまったことも、やむなしと言うべきである。
修人
「こんなもん売る余裕があるなら、四合瓶くらい売れるだろうに。……うまいけど」
道端のベンチに腰掛けて、カップアイスを食う高校生。これも青春と言えるのだろうか。
少なくとも、『本当の自分』は見つからない。流されまくってるんだから、当たり前である。
修人
「そもそもオレが呑んだわけじゃないっつ〜のに。でも、相手は七葉さんだしなぁ」
工藤さんとひなは被害者だから請求はできないし、主犯は、中身はどうあれ、見た目は子どもだ。
七葉さんに金をせびってる自分の画を想像して、首を振る。だめだ。人としてのなにかが崩れる。
修人
「四合瓶との差額くらいなら、回収できるんじゃないだろうか?」
そんなセコいことまで考え始めたところで。
目の端を、見覚えのある人影が通り過ぎて行った。
修人
「————ゆかり先生」
ここは、島の東端に位置する酒蔵から、島の中央へ少しだけ歩いた辺り。
目に入るのは田んぼかそれを耕す農家の家か、じゃなきゃ山の一部しかない。
住宅地と呼べる町からは遠く、学校も遠い。もちろん先生が住んでいる校長の家は学校の近くだ。
つまり、こんなところにゆかり先生がいる理由がない。
修人
「先生、日本酒好きなのかな?」
隣に立っている一升瓶を眺める。先生だって大人だし、大学生ともなれば、合コンとかウハウハと。
だとしても、たとえ迷っていたとしても、あんな明らかにどこへもつながらない獣道へは入らない。
となると、オレに思いつくのはただひとつ。
修人
「今日も探してるのか」
なにかを。
毎日毎日、人目のないところばかり。
あんなにも、泥だらけ、草まみれになりながら。
立ち上がる。
もう、ぐだぐだ考えている場合じゃない。
酒瓶を持って、ゆかり先生が消えていった小道へと走る。
ガサガサと、腰まで生えた雑草が絡みついた。
茂みは鬱蒼としており、どこが道かも見失いそうだ。
それでも、かき分けるようにして、走った。
やがて、一本の木に寄りかかっている、ゆかり先生を見つけた。
修人
「ゆかり先生」
ゆかり
「修人くん、どうして————?」
驚いた表情のゆかり先生。
まさかこんなところで人に、ましてオレに会うとは、思ってもなかったんだろう。
オレは先生の目の前に立って、息を整える。
修人
「先生。オレ、全部話す。先生に関係あるかどうかはわかんないけど、全部話すから。だから、先生も全部話してくれないか、オレに?」
ゆかり先生が戸惑っているのが、手に取るようにわかった。
オレが探しているものと、先生が探しているものとで、重なっているキーワードは今のところひとつしかない。
それでもオレは、そしてたぶん先生も、すがるところはそれしかないと思う。
だから、オレはゆかり先生の瞳を見つめた。
ゆかり先生も真っ直ぐにオレを見返してきて。
ゆかり
「わかった」
と、諦めたように頷いた。
ゆかり
「でも、まず私から話させて。その方が、私たちの探してるものが関係し合っているかどうか、わかると思うから」
意を決した先生。オレも頷く。
先生は寄りかかっていた木の根元へ腰を下ろし、オレにも『長くなるから』と隣を促した。
ゆかり
「こういうの話すの下手だから、くどくなると思うけど」
そう前置きして、先生はゆっくりと話し始めた。
ゆかり先生は、自分の探し物を『神隠しにあった、昔の同級生』だと言った。
中学校時代に、突然いなくなってしまった友だち、なのだと。
その友だちは、ゆかりと同じくこの島の出身で、同い歳だった。
同じ船で一緒に通った小学校は、今も隣の島にあって、当時は一クラスしかなかったから、当然クラスメイトだったはずだけど、特に一緒に遊んだ記憶はなかった。
中学校も、今と同じく、二つ隣の島にあって、近隣の島々の子どもたちは皆そこへ通う。その分、生徒の数も一気に増えて、クラス数も増えたけど、そうなってからなぜか、二人は仲良くなった。
他の島出身の子どもばかりだったから、同じ島出身という仲間意識が強くなったのかもしれない。
ゆかりも、友だちも、学年でも成績は良い方で、テストのたびに張り合っていた。
でも、それも一年の間だけだった。
二年に上がる頃から、友だちの学力が下がり始める。
友だちは学校が終わると真っ先に家に帰るようになり、休日も外出はしなくなった。
学校でも誰とも交わろうともせず、授業中も休み時間もかまわず、何かをノートに書き続けていた。
やがて、ゆかりの方から話しかけても、誘い出そうとしても、ほとんど反応を返さなくなった。
そのうち、ゆかりの転校が決まる。家も、島から本土へと引っ越すこととなった。
ゆかりは焦った。自分がいる間に、友だちを何とかしなくては。
ゆかりは挑発したり、相談に乗ろうとしたり、いろいろと手を尽くしてみたが、無駄だった。
友だちは、学校も休みがちになった。電話にも出ない。
とうとうゆかりは友だちの家に乗り込んだ。
昼間だったから、休日だったのだろう。それにしては、友だちの両親がいた記憶はないけれど。
初めて見た友だちの部屋は、なんだかわからないもので溢れていた。
彼が自ら作った、彼にしかわからないものに囲まれて、彼は、彼にしかわからないことをノートに書き綴っていた。そこは、彼だけの世界だった。
ここは、よくない。
そう感じたのだと、ゆかり先生は言った。
だから、全部壊して、窓から捨てた、と。
彼の手からノートを奪い取ってまで、窓から捨てたのだ、と。
彼は、それを止めるでもなく、ただ見ていた。
一通り捨て尽くしたゆかりは、何の反応もない彼にそれ以上かける言葉もなく、帰った。
彼の世界は壊したから、また学校に来てくれるんじゃないか、と甘く期待していた。
その日、彼はいなくなった。
彼の母親から連絡があったのは夕方と言うにも少し早い頃だった。中学生を心配するには早すぎる、とゆかりは父親が言っていたのを覚えている。
でも、ゆかりは飛び出した。
胸騒ぎではない、はっきりとした原因が思い当たるからだった。
居場所に心当たりなどない。ただ闇雲に、人気のない辺りを走っていた。
木があったら、必ず枝を見上げた。でも、山に入りはしないだろうと思っていた。
走って、走って。もう、どこかもわからなくなるまで走った。
そうして、ようやく、彼を見つけた。
夕焼けが眩しいくらいだった、とゆかり先生は言った。
友だちの足元から、影が向こうへ長く長く伸びていて。
その先端の辺りが、縦にすうっと裂けたらしい。
最初は地面かと思ったが、どうやら宙が裂けている。
その裂け目の下に、膝をついた、おかっぱの少女が。
ゆかりは強く叫んだ。引き止めたはずだが、何と言ったかはよく覚えていない。
彼は、一度ゆかりへ振り向いたけれど、そのまま向こうへ歩き出した。
ゆかりはそれ以上その場を動くことはできず。
彼は裂け目の向こうへと消えた。
彼が入ると同時に裂け目も消え、いつの間にか少女もいなかった。
ゆかりは急いで帰ろうとしたが道に迷い、家に着いた頃にはもう真っ暗だった。
両親はひどく怒っていて、ゆかりの言い分は聞かれもしない。
大人たちの手で島中が捜索されたが、彼が発見されることはついになかった。
彼は今でも、神隠しに遇ったのだ、と云われている。
友だちが裂け目に手をかけた時、もう一度ゆかり先生を振り向いたらしい。
微かに口が動いて、何かを言ったように見えたけれど、その口からは何も聞こえなかった。
その時の言葉が、どうしても聞きたい、とゆかり先生は言った。
ゆかり
「彼がいなくなっちゃったのは、彼が一生懸命に作った彼の世界を私が壊したからだ、って思ったの。だから、あのおかっぱの子が連れて行っちゃったんだって」
先生の口調が苦く染まる。
自責、後悔、もう取り返せない想い。
ゆかり
「なんて、自分でも自分の見たことが信じられなかったから、誰にも言えなかったんだけどね」
そう、ゆかり先生は苦笑した。
だから、今さらでも探している。またこの島へ戻ってきた、この時に。




