感謝
午後の授業も、やっぱり頭に入ってくることはなく。もちろん、こちらが悪いんだけれども。
気づけば HR も終わっていて、すでに教室にはほとんど人がいなかった。
オレはぼんやりと窓の外を眺めている。何を見るでもなく、ぼーっと。
椎
「あの、笠原くん?」
修人
「ん?」
机の横に立っていたのは、工藤さん。俯いた顔が、少し赤いようにも見えるけど。
椎
「昨日は、その、ごめんね。私、なんか、間違っちゃったみたいで、、、」
ああ。その話か。
修人
「いやぁ、きっと、仕方がなかったんじゃないかな、あの状況じゃ」
あれから考えた結果、ひなと工藤さんに酒を呑ませたのは七葉さんであると、オレは確信していた。
ひなはともかく、工藤さんが麦茶と酒を間違えるはずがないし。方法は、わかんないけど。
おかげで工藤さんはしばらくぐっすりとお休みになられ、こちらが起こした後も、頭は痛いやら、時間はギリやらで、大騒ぎで帰って行ったのだった。普段の工藤さんからすれば、そりゃ赤くもなるか。
修人
「それより、フェリーには間に合った?」
椎
「うん、なんとか。片付けくらい、手伝って帰ろうと思ってたんだけど」
修人
「そんなんいいってば。うちの人には、バレたりしなかった?」
椎
「それも大丈夫。頭痛いって言って、すぐに部屋に上がったから。お腹いっぱいだったし」
修人
「たくさん食べてもらえて何よりです」
それでこそ、作りがいもあるというもの。
酒のつまみしか喜ばない、バカ父にも見習わせたいもんだ。
椎
「笠原くんこそ、怒られなかった? 全部、飲んじゃって」
一応、学校であることを意識してか、なにを、の部分を伏せる工藤さん。
修人
「今日、同じものを買って帰ることで手を打った」
本当は、そこまでの間に一悶着も二悶着もあったのだが、そこはあえて伏せておく。
どうやらオレは、高校生が酒を呑んだ、ではなく、父親の酒を勝手に呑んだ、で怒られたらしい。
椎
「でも、笠原くん、料理上手いんだね。感心した」
修人
「食材が良かったんだよ。取れたての、さばきたての、揚げたてなんだから、そりゃうまいって」
謙遜でもなんでもなく。
『たて』の料理に勝るものなし。
椎
「でも私なら、一人暮らししても、揚げ物なんてしないと思う。タルタルソースとかも」
修人
「今なら、どこでも買えるからね。買った方が安くて、うまかったりするし」
島では買えませんけど。
椎
「ううん。値段はわかんないけど、味は絶対笠原くんの方が上」
修人
「アジだけに?」
うん。ごめん、調子に乗った。
椎
「じゃあ、私、そろそろ」
修人
「あ、自習室? オレも行く」
思いついて、ぺらっぺらの鞄を持って立ち上がる。
椎
「笠原くんも自習室?」
修人
「んにゃ、図書室へ。ちょっと調べ物」
と言っても、図書室と自習室は繋がっている。というより、一つの部屋を分けているだけだ。
椎
「うちの図書室、なんにもないよ?」
修人
「そこがいいんだよ」
意味不明の返しで、さらに困惑させてみた。
案の定、工藤さんは眉をひそめたまま、自分の鞄を手に取った。
階段を下り、玄関を抜けて————
修人
「待った。」
椎
「え?」
驚いて足を止める工藤さん。
オレは生徒用玄関の外、正門のあたりを指さした。
椎
「あれ? ひなちゃん?」
良かった。工藤さんにも見えていた。
いや、島民じゃない工藤さんに見えるのは昨日も確認済なんだけど、オレの妄想じゃないってことが確認したかったわけで。なんのかんので、今日は一日中考えていたようなもんだから。
ともかく、靴を履き替えて、正門へ向かう。すぐに工藤さんもついてきてくれた。
不思議と、ひなが人じゃないと知る前よりも、恐怖感が薄れている気がした。
修人
「ひな、どうした?」
声をかける前から、ひなの視線はオレを捉えていた。
ひな
「修に、お礼が言いたくて」
修人
「おお。そっか」
なにもわざわざ、というか、そんな律儀に、というか。
しかし、七葉さんにああ言われた以上、今日ひなに会いに行きにくかったのは事実だ。
椎
「ここじゃなんだよね。中に入る?」
オレたちが付いていれば、先生たちもうるさいことは言わないだろう。
しかし、ひなはふるふると首を振って。
ひな
「ちょっと、いい?」
誘われた。
修「お? おう、いいぞ」
なんだろう、この、言葉の端々に感じる違和感。
ひなって、こんなしゃべり方をする子だったろうか?
椎
「じゃあ、私は————」
ひな
「椎も」
そう言って、ひなは椎に手を伸ばす。
この押しの強さは、いつものひなだ。
戸惑いながらも、工藤さんが差し出された手を握る。
ひな
「————。」
……えっと、オレもですか。
結局、ひなを中心に、三人で手をつないで歩く。
なんだ、これ。思ったより恥ずかしいぞ。
修人
「ひな、別にお礼なんてわざわざいいんだぞ」
沈黙に耐えられずに、どうでもいいことを口に出す。
ひな
「でも、修のおかげだから」
修人
「ん、オレ、なにかしたっけ?」
少なくとも、わざわざお礼を言いに来てもらうほどのことをした覚えはない。
なのに、ひなはわざわざオレの方へ顔を向けて。
ひな
「昨日、楽しかった」
修人
「あ〜、そんなことか。それならまた、いつでもど〜ぞ」
わざと軽い口調で応える。
ひなが来たのは驚きだったが、あれくらいの宴会ならまたいつやったっていい。オレも楽しかったし。
そうだ、今度はちゃんと誘ってやろう。子ども向けの料理もバッチリ用意して。
ひな
「みかんも、見つけてくれた」
ああ、みかんな。
あれは、さすがにいつでもとは言えない。みかんの季節なら、またどうぞ。
ひな
「お札も、見つけてくれた」
————え?
ひな
「私も、見つけてくれた」
————えっと、何を言っている?
ひな
「ありがとう、修」
ちょっと待て。待ってくれ。
ひなを見つけた、はまだわかる。
ひなの姿が島民に見えないというのなら、見える人と出会えたのは久しぶりなのかもしれない。
でも、お札ってのは? オレが見つけた札っぽいものといったら、あれしかないわけだけど。
思わずシャツの上から胸を押さえる。でも、あの日と違って、もう現物はそこにはない。家だ。
困惑するオレをよそに、ひなは工藤さんへ向き直る。
ひな
「椎も、ありがとう。昨日、楽しかった」
椎
「え? ううん、私は、なにも」
工藤さんも、ぎこちなく言葉を返す。
どこか異様な空気を感じているのだろうか。それとも俺の異状を察しているのだろうか。
椎
「私も、楽しかったし」
それでも、あの笑顔で微笑みかける。
応えるように、ひなもにっこり微笑んで。
ひな
「二人とも、ありがとう」
ひなのお礼が終わった。
すぅ、と。
二人の間にあった小さな身体が、消えた。
繋いでいたはずの手が、すとん、と落ちた。
ひなが、消えた。




