お別れ。
借りていた部屋を一通り見渡す。忘れ物がないか、ゴミが落ちてないかを確認する。一ヶ月。長かったような短かったような、とても微妙な気持ちになる。
その中で麻木さんと過ごしたのは二週間。しかし、同じ屋根の下に暮らしていた分、一ヶ月全部いたような感覚がする。
「こんなもんですね。お世話になりました。」
「部屋にも言うのかよ。」
「うわっ! やめて下さいよ、いきなり。何もかも飛び出したらどうするんですか。」
「人はんなやわじゃない。 もう車来てんぞ。」
「呼びに来てくれたんですか?」
「…悪りぃかよ。」
「ふふっ、いえ、有難うございます。」
ケータイで呼び出せるというのにわざわざ呼びに来るなんて、麻木さん可愛い。
それから玄関まで気持ちの良い沈黙が続く。僕は僕でキョロキョロしてここで過ごした日々を思い返す。
1人で悪戦苦闘した初日、夕立で急いで取り込んだ洗濯物。麻木さんと勉強した書庫にテラス。
「あっ、」
「っと、危ねえな。絨毯に足引っ掛けるなんて、子供か。」
転けそうになったところを横抱きに抱えられてしまう。クスっと笑う声が真横で聞こえた。麻木さんの顔が直ぐそばに、ある。
シワなんて許さないと言わんばかりの張りのある肌。ハーフだろうか、目が不思議な色をしていて吸い込まれてしまいそうになる。肩が触れている胸は引き締まった体躯が容易に想像できる。
「す、みません。よそ見、してました。」
「だろうな。」
また、クスっと笑われてしまう。無駄に整っているから、心臓に、悪い。
「あの、もう大丈夫です…。」
「っああ、悪い。」
「いいえ。あと、有難うございました。何から何まで、今のも含めて。」
「ああ。」
「それじゃ、車も来てることなので、僕、行きますね。」
「…真白っ。」
「はぃ、へ? な、まえ?」
初めて呼ばれた。
「……楽しかったから、サービスしとく。」
「サービスって、ま、まさかっ。」
「通帳期待しとけよ。」
「最後の挨拶がお金の話。なんとも僕らしい…。」
「はっは、言えてる。じゃあな、元気で。」
「はい。あの、チカ子さんにはレシピを伝えます。食べたくなったら頼ん、」
「食わねえよ、お前の以外。」
「え、あ。そうですか?………いやぁ、そんな事言うと自惚れてしまいますよー?」
茶化したつもりだった。「んな訳ねぇだろ」と言われ「ですよねー。」と返す。だから、不意打ちだった。
「しとけば?」
「ふぇ?!あ、え?して、良いんですか。」
チカ子さんが作ったのは食べないと言い、僕が自惚れてしまうと言ったら、すればと言われた。つまりは、僕の作ったケーキが食べたい、と。
咄嗟に頭をさげる。自分でわかるほど、顔が熱くなっているのがわかる。きっとゆでダコみたいに赤くなっているだろう。自分の肌は人より白く出来ているから。
ふと、目線だけあげると麻木さんも心なしか赤く見える。目があった気がした。
「もう、早く帰れっ。」
「はいっ。失礼しましたっ。」
追い出されるように、声を急き立たられる。それに合わせて荷物を持ち玄関を出て行く。車は家の側には駐車する事はできず、山道を少し下った辺りに停車しているという。
そこまで走って行かないと勘違いしそうで、心臓の鼓動が速いのは、走ったせいであって他意はない。そう思ってる時点でもう手遅れとは分かっているものの、だけど…だけど。
「(僕も、楽しかったです。麻木さん。)」
ーできる事なら、もう一度貴方(お前)に会いたいー
回復したチカ子さんの運転で家まで送ってもらってしまった。その間、何を話したのか覚えていない。会話をしたのかすら分からない。家に着いた時、後日お金を渡すという事は覚えているけれど。
ぼうっとしていて弟妹に心配されてしまったが、曖昧に答えることしかできなかった。心の動きに聡く、唯一何かを感じ取ったのは僕の双子の妹だけだった。
二週間、長いようで短い。
そんな期間。
情が湧いたり、恋心を育むには十分かな。
って、思ったり、思わなかったり。