少しの間
Qちゃん(仮)改め、麻木国光さんに会ってから、僕の1日は変わり果てました。
朝から晩まで、おいとかお前で呼び出され、腹が減っただの暑いだの言われるここ数日。弟も妹も家が不安定な分、しっかりとした子に育ってしまって、兄としては物足りなさを感じていた。
「今は、超絶ハッピーです!」
「いきなし、叫ぶな!てか…お前、マゾだろ。それか、頭イカれてるか。」
「マゾでもなければ、イカれてないです。それから麻木さん、はいどうぞ。」
「、あぁ。」
僕には全然心を開いてはくれないけれど、僕の作る料理には心を開いてくれているらしい。今渡したのは書庫で偶然見つけたケーキ本を頼りに、ここにあるもので作ったものだ。
今では少なくなってしまった自由時間に作っていたら、お腹のすかした麻木さんが厨房に現れて5人分くらいをペロリと平らげてしまった。そしたら、「これ、呼んだ時に持ってこい」と一言。その後の夕食にはいつも通りの量を食べていたのは驚きだった。
一つ上の男性ってこうも違うのかと、今の自分を見て呆れてしまったほどだ。
今の時間、麻木さんはテラスで本を読んだり、仕事を片付けている。ここに住むと言っていたが、学校が夏休みの間実家に戻るのがかったるいという理由でこの洋館に来たという。
お金持ちにはお金持ちの事情があるのだろう。僕は真っ先に帰って弟妹たちに抱かれたい。さすがに一ヶ月、声だけは辛いものがあった。麻木さんが来ることで少し話し相手ができ、なんとなく緩和わされたけれど。
「(あー、そんなにほうばって…ケーキは逃げませんよー。)」
「何、?」
「…ここ、涼しいですけどちゃんと水分補給して下さいね。集中してると、何も飲まない様ですから。」
フォークをせわしなく動かして食べているのを見て、弟妹を思い出したなどと言えるわけがない。それに気付かれでもしたら、口をきいてもらえないかもしれない。
とっさに作った言い訳が功を奏したのか、ふーんと視線を下に戻す。
「…お前さ、学校、いかねえの。」
「えっと、いきなりなにを…」
「行かねえのかって聞いてんだよ。」
突拍子に質問されたもんだから、理解するのに少々時間がかかった。
「行きたいですね。けど、大丈夫です。」
「は? どっちだよ。」
「本音と建前です。察して下さい。」
「あー、ド貧乏。じゃあ勉強嫌いか。」
ド貧乏という言葉に反応はしたものの、それよりも今日はやけに喋りかけてくると、戸惑ってしまう。こんなに喋ったのは麻木さんが来てから初めてだろう。これまでは一方的に言って終わりだった会話とも取れないものだった。
不安になりつつも、質問されたのだから答えなくてはと動揺を悟られぬ様につとめた。
「わからないですね。」
「何故?」
「出来るか分からないからです。誰だって出来なきゃ面白くないと思う、と思います。それをバネにするかは兎も角として。」
「ふーん。(あのバカ共に爪の垢煎じて飲ませてぇ…。)」
「ん、何か言いましたか?」
「いや、それよりあとで書庫に来い。」
「なにゆえ、」
「ド貧乏なお前に、勉強の素晴らしさを叩き込もうと思ったからだ。絶対来い。サボったら給料から何円か引く。」
「行きます、行きます!行かさせていただきますっ。」
選択肢がはいしか見つからなかった上に、退路をも塞ぐなんてどれだけ僕に勉強させたいんだと思ってしまう。労働者にとって給料が一番だというのに。それを活用してするだなんて、性格の悪い。
「…というか、良いんですか?休み期間中ですよ。こんなモヤシな僕に勉強させるメリットが見つかりません。」
「暇。それから、俺の復習兼将来の予習。」
「将来の予習?………教師?とかになりたいんですか?」
「それがどうした。」
麻木さんの機嫌が少し悪くなった様な気がした。教師っていうのは、自分だけでなく相手にも理解させ出来るようにしなければならない職業だろう。それを目指すなんて良いことだろうに。なにかあったんだろうか。
「…んと、僕が言うのもアレですが。頑張って下さい。麻木さんのお役に立てるのなら、第一生徒としてビシバシ指導します。」
「生意気、ざけんな。こっちがビシバシすんだよ。」
「ふふ。すみません、ふざけました。あっケーキ、持っていきますね。」
「…ああ。」
今度は少し機嫌が良さそうに見えた。きっとケーキのおかげだろう。見た目は硬派で大人っぽいのに将来の夢を人に気にしたり、好きな物で気分が良くなったりするのは、まだ高校生っぽい。そこが悪いとかじゃなくて、身近な人と感じることができて、嬉しく思う。
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「ぐぬぬぬぬ…。」
「おらおら、昨日教えたろ。そんくらい早く解け。」
「しかしですね、如何にもこうにもそれが出てこないのです。さては先生、何か仕込んで…いひゃいれす。はなひへぇくらひゃい。」
「なにを仕込むってんだ。先生に口答えするのはこの口か?えぇ?」
あれから、スパルタな授業が続いた。何時間も書庫に軟禁され、高圧な力を浴びられながら問題を解く。ノリで先生、なんて呼んではいるが、悩もうものならこうして頬を抓ったり、頭をはたいてくる。
体罰教師なんて癖がついたらどうするんですかと、まえ尋ねたことがあるが仏頂面で、これ込みで付き合え、と返された記憶がある。
「(全然改善されてないんですが…。)」
痛い。抓るだけなら慣れたが、上下に引っ張られるのはまだ痛い。
「ったく。二倍角の公式覚えてきてないだろ。」
「あー、ヤツでしたか。」
昨日ものすごく格闘したけれど、どうにも数字の羅列を覚えられずに早々に諦め寝てしまった。
「…。」
「…。」
数日間麻木さんに勉強、授業をして貰って気づいたことがある。静かに、ただ静かにこっちを見ている時、これは麻木さんからの細やかな合図。
授業が分かりやすいかどうか。そういう合図。
「…大丈夫ですよ麻木先生。」
「…。」
机から麻木さんに視線を移すと眉間に皺が寄っていた。こういう時はもうひとおし。
「この教科書麻木さんが来る前、僕1人で読もうとしたことがありましたけどわけがわからなかったです。けど、先生のコツや一言があれば僕一人でも出来るようになりましたし、この教科書も読むだけで理解できるようになりました。他の教科だってそうです。」
「そうか。」
「はい。同級生たちはきっと吃驚しますよ。僕がこんなに出来るだなんて知ったら。」
「当たり前だ。誰におそわってると思ってる。」
「かの有名な、麻木先生です。」
「…はいはい。ここ終わったら休憩にするぞ。」
「天気が良いので、外でしましょう。麻木さんっ。」
「…終わったらな。」
そう微笑む麻木さんから、テラスで休憩をとる許可をもらって気分は上々。鉛筆も軽やかに進んで、すぐケーキでも食べよう。
そうウキウキした気持ちの片隅にこの生活も残り5日と僅かになってしまった、と思う自分がいて。思いの外楽しんでいたということ、そしてなぜか胸がおもくなった。




