表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
9/32

うつけ殿、柑橘水を作る

まだ嫁が来る前の話です。

スポーツドリンクや柑橘類に関する情報は多少間違っていますので、細かいツッコミはご遠慮いただきますようお願いいたします

 夏は暑い。

 クーラーがないし、氷もない。日陰にこもっても、風通しが良くなければ意味がない。そしてぬるい風が顔を撫でていく不快感、ぬぐっても吹き出る汗のべたべたする感じ。

 ごろんと仰向けになれば、照りつける太陽に目がやられる。

 屋内でこもっていれば、見目麗しい小姓たちが甲斐甲斐しく仰いでくれるのだが。どうせなら、肌も露わな美女に仰いでもらいたい。ああ、早く嫁来ないかな。

「あ、づ、い」

 暑いを暑いと言って、何が悪い。

 中身は現代日本に生きた俺だが、この時代に生まれ育った体だから大丈夫というわけでもなかった。暑いものは暑い。動かずにごろごろできれば汗もかかないが、働かざる者食うべからずである。筋肉をつけたいので、日々の鍛錬も欠かせない。

 そして汗をかく。

 冷たいシャワーなんぞあるわけもなく、川で水浴びすれば変態若様と呼ばれる。

 森の奥にある湖でひっそり行水しろってか。丸腰で熊や狼に襲われたらどうするんだ。男児が生まれつき持っている剣は、女の子専用である。獣には効かない、たぶん。

 舎弟どもに見張り番を兼ねた護衛を頼むという手もある。

 だが一人だけ涼しい思いをして、きゃっつめたーいとか……できるか!!

「ぬるくてもいい。すっきりする飲み物がほしい」

 川の水は冷たいが、がぶがぶ飲んでも腹が壊れる。

 井戸水もまあ生活用水としては基本だが、安心安全とは言いがたい。とにかく衛生面の配慮が弱いのだ。微量の毒でも毎日含めば耐性がつくといっても、生来の体質が強靭でない場合は毒に負ける。

 子供の死亡率が高いのもそのせいで、身体ができるまでは注意が必要だ。

「みず、みず……」

 ゾンビのようにふらふらと歩く。

 俺はエジソンじゃない。電気の発明なんかできない。仕組みも分からないし、クーラーが完成するまでに百年以上かかったはずだ。そんなに待てない。今、俺はすっきりしたい。

「み、ず」

 俺は閃いた。

 ハーブ水を作ればいいのだ。薬草として伝わる中には、薄荷もあったはず。ハーブとして認識しているものの多くは外来種だが、柑橘類は日本にもある。皮ごと食べられる果実を水にひたせば、果肉を齧るよりも簡単に喉を潤せる。

 そう、レモン水だ。

「待てよ? レモンも外来種だろ、横文字だし」

 ダメだ。振り上げた手ごと、へにょりと項垂れる。

「いやいや、スポーツドリンクはレモンじゃなくても代用できるはずだ。フルーツ系の味がするような水がいっぱい売られていたじゃないか」

 抽出したエキスと水と混ぜ、科学的に味を調えた清涼飲料水。

 その境地に達するのは無理だとしても、簡単スポーツドリンクの作り方は知っている。脱水症状や熱中症対策は自分で調べたこともあるのだ。

 栄養ドリンクよりも、水の方が安かったからな。

「えーと、塩と砂糖とクエン酸……クエン酸がレモン担当か。じゃあミカン系の何かで代用できるよな、柑橘類なんだし」

 俺はすぐさま、現時点で入手できる果物を調べさせた。

 季節は問わない。ミカン系の何かであればいいのだ。

「やっぱりレモンはない。が、柚子やカボスはある! いける!!」

 ついでに蜂蜜の情報も手に入った。

 砂糖並みにレアアイテムだというのに、養蜂の歴史は古い。安定供給のために遠心分離機を発明してやりたいが、舎弟どもが蜂の巣をぶん回すイメージしか沸かない。

 想像力の限界に絶望した。

「何よりも素晴らしいのは、無農薬栽培が当たり前に行われていることだなっ。ほんのり味がすればいいんだから、蜂蜜漬けをちょっぴり入れるだけでいいはずだ」

 そうして俺の柑橘水研究が始まった。

 暑いので火は使わない。

 生まれ変わって初めて舐める蜂蜜の甘さに腰砕けになりかけたが、それはまた別の話である。砂糖が薬扱いされるわけだ。なんだか納得した。これを使えば、嫁もイチコロである。

 村の子供たちが奇異な目で見てくるが、気にしない。

 蜂蜜はとても甘いのに、臭い。

 砂糖は無味無臭だったと思うが、漂白しないと白くならないはずだ。その辺は塩と違う。そして尾張国は海に面しているので、塩には不足していない。タダ同然とはいわないが。

 内陸部では黄金に並ぶ価値がある。

 海へ行って塩作りに飛び入り参加して得た、真っ当な対価だ。どう使おうと俺の自由である。蜂蜜に果物各種を手に入れる頃には季節も変わっていたが、気にしない。

「にがりって、本当に苦いんだな。……湯豆腐が食べたい」

 粗食が当たり前の時代と分かっていたが、どうにも味が濃くていけない。

 朝晩二食では当然腹持ちしないので、野山で食べ物をとってくるのが当たり前になってきた。たまには城下町で金を使うのも、当主一族の務めである。

 だから放蕩息子と呼ばないで。

 俺だってな、ちゃんと考えてるんだっつの!

「湯豆腐の話が出てくるくらいには外気温も下がってまいりました。つまりは冷房よりも暖房が恋しくなる時期でございます。って、誰に語っているんだ」

 寒くなると蜂蜜が凝固する。

 新発見だ。砂糖もどきみたいで面白いが、柚子の皮を揉んだらベタベタになってしまった。どうやら人肌で温まる程度の結晶らしい。触れないので外に放置したら、天日干しになっていた。

「なんということでしょう、これはオレンジピールです!?」

「なんか、また三郎様が叫んでいるぞ」

「楽しそうだなあ」

「てめえもな」

 ちょうどいいタイミングで現れた犬松コンビの口に放り込む。

 反射的に咀嚼を開始して、同時に括目した。

「!?!?」

「もいっこ!」

「そーら、とってこーい」

「わんっっ」

 四足で駆けていったのは見なかったことにしよう。

 やはり甘味は人を狂わせる危険物質だ。嫁に与えるときには十分注意しなければならない。そういえば、金柑の甘露煮(試作品)をお市に贈ってしまった。あれ以来音沙汰ないが、乳母が危険物として捨ててしまったのだろうか。

 可愛い妹がジャンキーになるのは忍びないので、もったいない精神は封印だ。

「さ、三郎様……こ、ここここれ」

「ブルータス、お前もか」

「は?」

「なんでもねえよ、松。気分はすっきりしたか?」

「いや、なんつーか……ふにゃっとした感じです。もらっといて何ですが、男の食べるもんじゃないですよ。女どもは喜びそうですけど」

 だからお前はモテないんだよ、とは言わないでおく。

 非リア充の俺たちは、揃いも揃って童貞である。ゆえに女体へ興味はあっても、女という性に色々思うことがあっても仕方ない。身近な女が乳母のおちよや土田御前というのもあるだろう。

 お市はちっちゃくても、最高に可愛いが。

「そういや、この時期なら冷えた水が作れるな」

「作るも何も」

「若様、どうぞ。少し減っておりますが」

 いつからそこに、とは言わないお約束。

 長秀が腰に下げていた竹筒を差し出すので、オレンジピールもどきを一つ投下した。ついでに塩をほんのひとつまみ足す。入れすぎると甘さが台無しになる。加減は大事だ。

「よし、五郎左。振れ」

「ぬおおおお!! どうぞ、若様」

「…………お、おう」

 やっぱり人力で遠心分離機できるかもしれない。

 早すぎて腕が見えなかった。ちぎれたわけじゃないのは、再び差し出してきた竹筒のおかげで証明されている。懐からマイ猪口を出して、ちょいと注ぐ。

 まずは一口。

「うん」

 はっきり言って、スポーツドリンクには程遠い。

 だが単純に水だけを飲むよりは美味しいかもしれない。水の量が少なすぎて、妙に味が濃くなっていた。長秀が渾身の力で振ったせいもあるだろう。

 ちなみにこの水筒は翌日、水増しした上でキンキンに冷えて再提出された。

 思いついてから、それだけの時間が経ったということだ。

「こ、これだ!」

 どこか懐かしく、ほんのりと香る柑橘水。

 思わずスタンディングオペレーションをしたくなるというものである。

 果肉の保存に頭を悩ませていたが、皮を使えるなら応用の幅が広がるのだ。柚子の皮を使ったので、柚子ピールと呼んだ方がいいだろう。現代日本でも存在していたかもしれないが。

 わずかな量で充分いける、というのもいい。

「これ配ったら、喜ばれるかな?」

「どうでしょう。水筒は持参している者もいるかもしれませんが」

「干飯を水で戻すときに、柚子の皮が一欠片あるだけで格段に違うぞ。基本的に塩味ばかりで飽きてたんだよな。干菓子です、って出したらウケるかも」

「確かに干したものではありますが……」

「なんだよ、五郎左。さっきから否定的な発言ばっかりして」

「いえ、その」

 珍しく言葉を濁らせ、ちらりと視線をやる。

 俺は促されるままに顔を向けて、固まった。頭の中が真っ白になったのは一瞬のことで、腰を抜かしかける小姓から太刀を奪い取った。

 すらりと抜き放つ。

「犬、松」

「ふぐお!? の、喉に詰まった」

「わ、わんっ」

 ここは村の一角にある俺専用の研究小屋。

 きちんと茣蓙ござの上に並べてあった柚子ピールが、一欠片たりとも残っていない。大仰にむせている成政の横で、利家が高速で顎を動かしている。

 ごっくんと飲み込んだと同時に、俺は笑った。

「そこになおれ。撫で斬りにしてやる」

「若様!! 村で殺生はお止めくださいっ」

「城でならいいのか、城でなら! てめえらの頭蓋骨に金箔貼って、脳天に盃ぶっこんで祝杯用に使ってやらああっ」

「さすがに趣味悪いですよ、それ!!」

「うるせえ、逃げんな馬鹿どもがあっ」

「いけませぬ、若様!」

「はーなーせえーっ」

 長秀が必死の羽交い絞めをかけて、俺はもがく。

 白刃を引っ提げて走り回れば、村中に悪評が広がっていくだろう。せっかく仲良くなった皆とも距離を空けることになる。ぎゃあぎゃあと俺たちがやりあっている間に、一足早く冷静になった小姓が馬鹿どもを捕縛してくれた。

 手が止まらなかった、と犯人は自供する。

 このことを教訓に踏まえて、柚子ピール作りは辛党の有志によって、密かに作られることになった。いつどこで、どうやって作られているかは一切明かされない。

 津島の宿場町で柑橘水が売られるようになるまで、5年以上の歳月がかかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ