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VR-Debug 仮想世界と共に生まれる諸問題
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それから数日が経ってついにデバッグ作業が片付いた。
ノイズバグを中心とした一通りのものは消し尽くしたと、後は第二陣のチームに任せることになっていた。
とにかくやっと終わったのだ。
俺は作業を終えるなり、このイスの上で熟睡した。
(ん……んん……)
どれくらい寝たかは定かではない。
俺だけしかいないはずの仕事場で、何か物音が発生した。
それは緩やかに人を覚醒させて、開かれたまぶたの向こう側にT氏の姿を映し出す。
「う、お……っ?!」
「ああ、起こしてしまってすまないねNくん。デバッグ作業を終えたそうじゃないか」
「……ああ、ええ、はい」
我ながら寝ぼけた返答だったが、彼の姿に叫び声を上げるような失態は冒さなかった。
「ところでNくん。その後、変なものは見なかったかい?」
いつからいたんだろう。
俺の寝顔からも探りを入れていたんだろうか。
高そうな甘いコロンの匂いが、ただでさえ狭いこの個室に漂っている。
「ああ、そのことですか……」
「ふふふ……お疲れさま、本当に助かったよ。君のおかげだ」
T氏の余裕が逆に怖い。
でも胸にわき起こるその感情も、今は隠蔽しなくてはいけない。
ポーカーフェイスを作って彼を見つめ返す。
「どうだい、規定には違反してしまうけど、これから一緒に飲みにでもいかないか。美味いホッケの出る店を君に紹介したい」
「いきなりですね……。すみません、もうちょっとで完全に目覚めますので……少し待って下さい」
寝ぼけた頭でぼんやり考えた。
T氏は何を考えているのだろうか。
彼はいまだにこちらを疑っている。
アレを見たのではないかと怯えている。
フレンドリーなこの態度は虚勢だ。
彼はきっと、誰かにあの事件の弁解がしたいんだろう。
本音を誰かに語りたがっているように見える。
しかしそれは出来ない、だが可能にする方法が存在する。
(目撃者である俺に、全てを語った上で抹殺すればいい)
そんな欲求が彼の中でうずまいているはずだ。
彼の精神に触れた以上、何となくわかる。
ノイズバグはデバッカーが削除した。ならばそのデバッカーを消せば完璧だ。
一仕事終えてしまったからこそ、俺はいま断崖絶壁みたいなところに立たされてしまっている。
「それで……。何度も聞いてすまないね。変なものは見なかったかい?」
それが最後通牒だったのかも。
何気なくよそおいながらも、その彼の本心は怖いくらい真剣に見えた。
(はぁ、バカらしい……ああ、バカらしくなってきたな……)
考えを変える。
黙っていても仕方ない。
「一体なんのことなのかと、数日間は当惑しましたよ」
「……ほぅ」
重く深く恐ろしい感嘆を口から漏らして、その瞳がギラギラと俺を睨む。
「変なもの……ええ、確かに変なものを見ましたよ。それを消すのが仕事みたいなものですから」
「っっ……!! そうか、そうか、そうか見たんだな、アレを見たんだなNくんっ!!」
それから叫んだ。
普段の彼からは考えられない、あの仮想世界の彼と重なってしまうほどの狼狽と興奮ぶりだ。
「見た」
それに負けぬように、ポーカーフェイスであっさりとした同意をしてやった。
さあこれで相手はどう出るのかな、なかなかにスリルのある駆け引きだ。
「……ふ、ふふふっ、ああ……そうか、正直に答えてくれて助かるよ。さあ飲みに行こう、なら僕の言い訳を聞いてくれ」
「あれは最低の女だったんだ、最低の女だったんだよNくんっ!」
意外なことにT氏は満面の笑顔を浮かべた。
どれほど語りたがっていたのだろうかと、思わず彼の顔を見返す。
敵意は感じられない。
「なんか……予想外です。そんなぶっちゃけちゃっていんですかね?」
「僕は自分が作ったゲームをしっかりプレイしているんだ。つまり間接的に君の仕事をよく知っているんだよ。君の人柄も、ドライなそのVRデバッカー気質もね」
それは光栄なことだった。
あの天才T氏が自分の仕事を認めてくれたのだから。
「それで思ったんだ、正義感がこんな仕事続けられるはずがない。だから君は黙っていてくれる、そう信じていたよ」
そうは言いながらも、こちらが恐喝の姿勢を見せればあのカタギとは言い難い連中を差し向けるんだろう。
「契約社員だよね君」
「ええ、そうですけど」
「ならうちの会社に来てくれ、今の倍を出そう」
「……マジですか」
呆気にとられて俺は、また中途半端に残っていたコーヒーに手をつける。
ぼんやりと寝ぼけたふりして考える。
(濃いな。だいぶ前のコーヒーの味だ。……ダイブ前だけに)
(って真面目に考えろよ、俺)
口止め料を拒絶するなんてのは賢い選択じゃない。
何せ相手は必死だ、金で解決しないなら別のカードを引いてくるに決まってる。
そう考えれば口止め料というのは、お互いに一番マシな解決方法だろう。
「どうだい?」
「そうっすねぇ……さすがに予想外でしたし」
幼い頃に夢見たような、魔法みたいなゲーム作りなんて存在しない。
ゲームを生み出すのは結局はただの人間と、その人が織りなす生活に根付いたものに過ぎない。
しかも最近に限ってはやたらと血なまぐさいとくる……。
死と暴力と腐臭が立ち込めてる。
あの奥さんの死体は今ごろ海の底か、山奥の土中か。どちらにしろ行方不明のまま腐れて消える運命だ。
「これって口封じですよね」
「いいや、君の冷徹な性格とドライな仕事っぷりを買っているんだ」
「ああそう……なら一つ聞いてもいいですか」
「いいとも、何でも聞いてくれ」
目線を彼に戻す。
今なら心を乱されることなく、穏やかにT氏を見返せる。
「どうして奥さんを殺したんですか」
そりゃそうだろう、彼は絶句した。
「データには残っていなかったのか……?」
でも俺に計られてるんだと理解して、ゆっくりとあの余裕が戻ってきた。
「アレは最低の女だったんだよ。彼女と一緒になって、僕は愛する妻のため必死にがんばってきたのに……」
悔しそうに彼の顔が歪む。
狂気の混じった、その後悔の無さにこっちが怖くなる表情だ。
「奥さんの目当ては最初からTさんのお金だった」
彼が答える前に正解を提示する。
ポーカーフェイスの俺が淡々と言うと、彼は怖い顔を止めて笑うしかなかった。
「人が悪い……やっぱり見てたんじゃないか。そうだよ、だから殺したんだ、許せなかったからね」
うん、笑顔でそんなこと言わないで欲しい。
逆にその底知れなさが怖い。思考回路が常人のそれではない。
「話は戻るけど、お金のことはどうだっていいですよ。でもTさんの闇を隠蔽し続けるには、俺が専属のデバッカーになるしかないですよね。ほらよく考えてみて下さい、この先、誰が貴方の第一デバッグをするんです」
気づいたことがある。
彼には俺が必要なのだ。
彼がクリエイターを続けるためには、全てを知った俺がその闇を拭い続ける他にない。
「つまり俺がいなければ貴方は引退を余儀なくされる。他のデバッカーに任せればいずれ秘密が漏れるだろう。業の深いTさんの世界をデリートし続けられるのは、俺くらいなものだと思います」
「だからTさんは俺を殺せないんです」
守銭奴の鬼女と、天才の生み出す作品を両天秤にかければ、俺は多少のモラルなどどうでもいいと思う。
それよりもこれからもずっと、彼の作品を見せて欲しい。
「そうだね、そのとおりだよ。つまりこれは契約の成立と受け取ってもいいのかな」
俺の言葉に戸惑いつつも、Tさんは喜びの微笑を浮かべた。
殺意というか、さぐり合いみたいなものがやっと彼から消える。
「だって口外したとこで、俺に何の利益もないじゃないですか」
「確かに、君からすると僕らに災難をかけられた立場だからね。そうか、わかったよ」
これで解決だ。
彼の記憶を追体験した限り、殺人は許されないかもしれないが、かといって悪女の仇をとる義理もない。
これでいいや、細かいことなんてどうでもいい。
こんな仕事続けるヤツなんて、どいつもこいつもどうかしていると思う。
気が狂って辞めていくのももっともだ。
もしかしたら今の自分みたいに、始末の悪い何かを見てしまって、引退することで口を閉ざしたのかもしれない。
「これからも応援してますよ、Tさん」
「おお……Nくん……ああ君って人は……ありがとう、ありがとう……」
言葉に彼は涙を浮かばせた。
人を殺めて、誰かにやさしくされるとは思っていなかったんだろう。
「いいんです、俺は今の仕事が出来れば満足なので」
彼は女に裏切られ、その女を刺し殺した。
その絶望と狂気は、一体どんな形で物語に影を落とすのだろう。
ああ、楽しみだ。
デバックに入ればすぐに飽きるとわかっていても、俺は期待せずにはいられない。
俺だけが知っている。
許されざる彼の罪を、俺だけが知っている。
作風の変質に誰もが首を傾げるであろうが、俺だけがそれを知っているのだ。
彼の罪を。
長い短編となりましたが、お付き合いありがとうございました。
コンテストも始まってますし、近々転生モノファンタジーの書きだめも投入しますので、お気が向きましたらそちらもよろしくお願いします。