夏の雪を求めて
空は晴れ渡り、セミの騒々しい憎しみに包まれているかのような音が響き渡る。
仮に耳栓でもして阻害しようものなら、今度は冷涼の代名詞の風鈴の音も遮ってしまう。
「あのさ、謳夏君。雪を見に行かない?」
「今、夏だぞ。どこに雪があるっていうんだ」
当然のように呆れている。正直鈴菜も信用はしていなかったのだがクラスメートに調査を頼まれたのだ。
「噂によると、そこの路地裏にあるらしいよ」
「なら一人で行けばいいだろう」
それが出来れば誘わない。何故か雪を見つけるには二人一組でなければならないそうで、残りの部員はここにはいなかった。
「それが二人以上必須らしくてね」
「先輩と女同士仲良く行ってこればいいじゃないか」
次第に投げやりな態度になっていた。結香と氷雨は自分の世界に入り切っているだろうし、それに先輩は病院に毎日のように通っていて非常に誘いにくかったので消去法で頼むしかない。
だから鈴菜は……
◇◇◇
一時間後
「結局俺が折れるんだよな」
こんがり熱せられたセメントの上で、隣にいる謳夏が愚痴を呟く。
結構交渉に時間をかけることになったが、それでも気になるものは気になるのだ。因みに謳夏は結構体格は良く文武両道で女子にも人気があるらしいのだが、鈴菜にとっては嫉妬の塊を押し付けられるが為に迷惑としか思っていない。
「まあ、今日の料金は私が払うんだからいいでしょ」
一食分奢ることで着いてきてもらうことに成功したのだが、鈴菜はバイトをしていない。頭の中で財布と情報を天秤にかけた結果だったのだが、今さらながら奢ってくれそうな先輩に頼んだ方が良かったのではないかと後悔する。
「それはそうだがな、男のプライドっていうのがな――」
当然鈴菜の財布事情を知らない謳夏は少し不満そうであった。
「この学校の生徒会長が女子の時点でそんなのないと思うけどね」
「それもそうだな」
鈴菜達の学校は、ジェンダーフリーが囁かれているこの時代に珍しく女性の方が権力者が多い。例えば部活動執行部というもう一つの生徒会でも副委員長、書記は女性である。むしろ余程の実力が伴わない限り男性の方が幹部になりにくいらしい。
いつも通りの話を繰り広げている中、鈴菜達は一つの行列を見つける。目的地は分からないが、均一のペースで前へと前へと歩き続けていた。
「鈴菜が言ってたのはこれか?」
「方向から考えて多分違うと思う」
正直なんでこんな行列が出来ているか不思議でならない。少なくとも鈴菜の情報網では今日この辺りでイベントはなかった筈であった。
「確かこっちの方向だった筈だけど」
鈴菜が指さした方向は暗く、犯罪の温床になっていそうな路地裏である。思わず謳夏は顔をしかめるが鈴菜が勢いよく走り出したので仕方なく着いていく。
「こっちに何かあるのかな?」
「もしかしたら近道かもな」
「最近の若いカップルはこんな昼間から……」
「カードそっちに落ちてるのかな……」
謳夏がふと後ろの行列に耳を傾けると、数人がこちらに注目しているようだった。憐みと興味のこもった視線は先日5点ビハインド満塁の状況の助っ人として、バッターボックスに立った時と違い余り気分の良いものではなかった。
◇◇◇
薄暗く埃にまみれている路地裏を抜けた先は「 」であった。
そこは前時代的な平屋が立ち並び、しかし閑散としていた。
古くからの良き伝統を踏襲していながら、その先に伝える手段を持ち合わせていなかったのだろうか。
「謳夏君、次は右に曲がって……」
こちらに手を振りながら前へ突き進んでいく情報通の少女。彼女はここにきたのが初めてではないのか、一切迷う気配がない。
「鈴菜の家はこっちの方なのか?」
「ううん。ただ、ちょっと思い出があるだけの場所かな」
謳夏の率直な疑問に対して、鈴菜は感慨にふけりながら答える。その表情はが悲しみを伴っているように謳夏には感じられた。
「どうりでさっきから足取りが軽いわけか。そういえば何を奢ってもらおうか、久々に寿司でも食べるか?」
しかし女子に黄色い視線を送られようと、謳夏は女子一人の悲しみを背負うことは出来なかった。それは鈴菜に迷惑をかけるかもしれないからである。だから代わりに話を逸らし気を紛らわせようとする。
「一応聞くけど謳夏君って何皿位食べれるの?」
ようやく追いついた謳夏に振り向きながら尋ねる。表情は呆れ交じりの笑顔に戻っていた。
「最低20~25――」
「寿司は止めてください。私の財布が空になるから」
もしここが室内だったら土下座の一つでもしていたであろう。態々こっちに深々と直角に頭を下げる。
「なら……あとで考えるか。その地図を見た限りだとここらへんだろうし」
鈴菜は手に持っていた地図と記憶を照合させ、
「目的地は次の交差点を曲がった所だね。……にしてもこんな近くとはね」
「学校から徒歩で20分もかかっているんだが近いか?」
「ここの近くに先輩の実家があってね……」
「俺らの知っている人か?」
少なくとも部長は電車通学であり、こっちの方向ではなかった。
「私がこの高校に通うきっかけになった3つ上の先輩のことだから知らないと思うよ」
おそらくその先輩が鈴菜のあの表情と関係があるのだろうが深くは詮索しないことにする。
「目的地ってここか?」
謳夏が不思議がるのも無理はない。目的地は、さっきから立ち並んでいる平屋の一つであり、唯一違うところと言えば、外に整然と並べられた駄菓子が売られていること位である。
「その筈なんだけど……」
隣の鈴菜も頭を抱え、地図とにらめっこしていた。
「そこの二人どうかしたの? ……って鈴菜ちゃん、久しぶり。1年ぶりかしら」
そこに四十路位の女性がエプロン姿でこちらにやってきた。
「おばさ――お母さん、お久しぶりです」
「そんなに老けた? 鈴菜ちゃんは中学時代より純粋な子に成長したようだけど」
「そんなことはないですよ」
鈴菜は何故かよそよそしく挨拶をするが、軽い雰囲気で接してくれていた。
「それで本題ですが、「雪」を探してここまで来ましたが、どこにあるか心当たりはありますか?」
二人に任せておくと、質問に時間がとられそうなので謳夏が遮る。時刻は正午、早く終わらせて昼食をとりたい一心であった。
「雪なら今すぐ作るけど、食べる?」
何故か「見る?」ではなく「食べる?」なことに不安を感じつつも、謳夏は二つ返事で応じた。鈴菜も応じたのだが、何かが勘に障ったらしい。表情が少し曇っていた。
「二人ともちょっと待っててね」
そうして平屋の奥へと行ってしまった。
「結局「雪」ってどういう事だったのかな?」
二人は近くにあったベンチに腰掛け、少し隙間を開けて座る。
「最初は金持ちの道楽かと思ったが違うようだしな」
「それは私も思ってたんだけどさ、地図を友達が渡した時点で捨てたんだよね。水希先輩の家の方向ならまだ考えたんだけど」
とりあえず、二人とも人口雪のことではないという意見で纏まっていた。
「やっぱり『食べる?』って聞いてきたのが一番の謎かな」
「そこだよな。一つ仮説としてなんだが、白くて冷たい料理の別名じゃないかと思うんだ」
「……多分アレかな? でもアレだとネタとしてどうなのかな」
謳夏の発言に鈴菜は合点がいったようである。しかし、謳夏は肝心な所まで行っているという自信はあるが答えが出てこない。
「お悩みの所らしいが時間切れだ。持ってきたから二人とも溶けないうちに食べろよ」
答えが出てこない謳夏と鈴菜に青年が気怠い雰囲気を纏って話しかけてくる。
「先輩、こっちにいたんですか! 上京したから帰ってこないものかと」
鈴菜の信じられないものを見たという声色。幸い手に持っているものは無事であった。
対する先輩は頭を掻きながら恥ずかしそうに
「大学の夏休みって二か月もあるんだな。暇だから帰ってきた」
「それなら連絡してくれてもよかったじゃないですか」
「お袋が『忙しそうだから』って言ってからな、元ヤンの俺よりもいい友達が出来ていたようだったし」
友達の部分がやけに強調されていたような気がする。
「そこの男子。少なくともそれは勘違いだ」
赤面している訳でもないところを見ると、加護欲から来るものだったらしい。
謳夏達に渡されたものは、ガラスの上に白色に透き通った粉が山盛りに乗っていたものだった。粉は仄かに冷気を放ち、粉の山の上には透明の液体がかけられている。
つまりは……
「雪ってかき氷のことだったんか」
「やっぱりそういうことだよね」
なんで気が付かなかったのかと軽く落ち込む謳夏と予想が的中したが故に骨折り損だと感じる鈴菜。
「かき氷って言うけどな、うちのは結構製法に拘りがあってだな――」
二人の態度に腹が立ったのか、先輩が熱弁しようとする。
「先輩一回落ち着こう。その話してると溶けちゃうから」
「……(この話してると最低でも30分位経つからな)分かったよ。だが絶対話すからな!」
鈴菜が自信に満ちた表情の先輩から視線を逸らし嘆息する。謳夏はそんな鈴菜を気にかけることなくかき氷に手を付けていた。
◇◇◇
あの後、久々に会った鈴菜の先輩による30分にも渡るかき氷談話が繰り広げられた。既に聞き飽きた鈴菜は兎も角、初めて聞いた謳夏にすら最終的に無視される中、先輩は唯一人虚空に話し続けていた。
「途中まではまだ興味深い話があったんだけどな……」
帰り道、行きに比べて足跡が多い街道を二人は歩く。
「先輩の話は専門的過ぎるんだよね」
アイスクリーム頭痛の原因と対処法、かき氷が平安時代からあったのではないかという説について等一々細かかったのもあるが、何よりも先輩のプレゼン力は自信満々の表情に対してお世辞にも上手とは言えなかったのが問題であると謳夏は思う。
そんな二人に迫る一つの影。
「鈴菜ともう一人。お袋からお土産があったんだが」
振り向くと話題の種になっていた先輩が手ぬぐいと黒色のビニール袋を持ってやってきていた。手ぬぐいは大きく膨れ上がっており中身は特定できそうにない。
「因みに本当におばさんからだよね……」
鈴菜の行為はマナーに反しているのだが、理由なくそんなことをする彼女ではないことは知っていた。ならば理由は……
「当然。俺が嘘を吐く訳が――」
「プレゼントの中に蛇の抜け殻を入れる人が言うかな、それ」
「蛇は金運の御利益や天候の神としてたたえられているものだから」
「例えそうだとしても誕生日にまるまる一尾を送らなくてもね……」
余程トラウマになっているのか、瞳の熱がなく身振るいがこっちまで伝わってくる。
「……あの時は大きい程効果があると思ってたからさ、ごめん」
「今となっては『いい』思い出だけどね、当時は本当にどうしたらいいか分からなくてね」
二人して暗い雰囲気に包まれる中、謳夏は第三者に追い出されていた。
「それでなんで態々お土産を? それになんで俺まで」
時刻は二時過ぎ、いい加減奢ってほしいので早く渡してほしかった。
「『二人のおかげで店が儲かったから』としか言ってなかったからな、俺は分かんない」
そんな時だっただろうか、スポーツ少年三人組が路上を歩いていた。
「いつもの駄菓子屋が行列だってさ」
「何かあったのかな?」
「行って確かめてみようよ!」
「「賛成!!」」
そう言うと、駄菓子屋の方へ走り去って行った。
「そういうことね、納得」
どうやら思わぬところに収穫物はあったらしい。鈴菜の気分が明るくなっているように思える。男性陣二人は機嫌が直っての発言に納得がいかないまま、手ぬぐいを受け取り立ち去って行ってしまった。
「そこは変わってないのかよ。あとこっちがあんたの分だ」
空いた右手を見ながら先輩は呆れていた。
「もらって申し訳ない」
一応礼はしておく。といっても、もし「なら返せ」と言われたところで返す気はないのだが。
「申し訳ないと言うのなら、一つ忠告をしようか?」
複雑な感情がこもった笑顔を向けられ謳夏は後悔する。やっぱり『口は禍の元』なのだろうか。
「いきなりなんですか」
「鈴菜の猪突猛進の癖が直ってなければ復讐に走りかねんということだ。ま、諸悪の原因が俺だから会わないようにしてたんだけどな」
「もしいいんだったら(対処しやすくする為に)過去の話をざっくりと聞きたいんだが」
「一言で言うなら『とある執行部の役員に俺の部活が潰され俺の友人を失ったことを鈴菜が復讐する為、俺の母校を志望校にした』な感じになるが、これ位で伝わるのか?」
そこまで分かれば矛先は大方予想がつく。謳夏は十分だと感じ一礼し、先輩と別れた。
◇◇◇
(俺は鈴菜が更生する為に何が出来るのだろうか)
あの日、恐らく俺は選択肢を間違えた。鈴菜の意見を尊重し最大限譲歩した結果今でも俺の呪縛に囚われ続けているような気がする。
もし俺が伝えなければ鈴菜の将来は変わっていたかもしれないのに……むしろ俺の方が鈴菜の呪縛に囚われている様な錯覚に陥る。
(…………)
「おい、大丈夫か?」
(…………)
何故か道の先に一人、恐らく熱中症で倒れている中学生程度の少女がいた。恐らく行列の野次馬としてきたのだろうが、自分の体調の方に気を付けて欲しいものである。
それでもなんかこれを見ていると、「俺はなんであんなことをしたのか」って後悔の思いも生まれてくる。どうしても気になるものに縋るのだが力半ばで尽き果てる。まるで鈴菜の未来を暗示している様な死体(間違いなく生物的には生きているのだが)であった。
それから俺は何をしたのかは覚えていない。
そして元不良の俺が警察に当時とは逆の意味でお世話になったのはまた別の話である。
◇◇◇
そういえば鈴菜に奢ってもらう約束はどうなっただろうか。あの後一応追ってはみたが追いつくことはなかった。
諦めてビニール袋の中を覗くと手作りの駄菓子が詰められていて昼食の心配は杞憂に終わっていた。
今日一日を振り返って謳夏は満足していた。エアコンの効いた部屋でのんびり本を読む、そんな日常から一歩外れた今日は、普段にも増して経験が詰まっていた。
(さて、どうやって鈴菜に奢ってもらうかな。経験にはなったが約束は約束だからそれを前面に押し出すべきか……)
ビニール袋片手で家路に向かう謳夏の心はある意味変わらなかった気がする。
結局、雪とはかき氷の一種らしいです。
実際今回のは砂糖水を凍らせたものを先輩が手間暇かけて削ったものでした。
鈴菜の過去、最後の倒れていた少女等、製作中の本編で入れにくい話を詰め込んでみました。
最後に、ここまで読んでくださりありがとうございました。