2.騎士教官の受難
彼女の話をしよう。いまだ赤い竜という存在が実しやかにささやかれる王国で見いだされた一人の少女騎士の話を。
彼女の出自は謎に包まれている。それが一つの魅力だというのは間違いないだろう。ミステリアスな名家の乙女というのは、それこそ民衆の噂話に相応しい。これはそんな王国の中の武門が一つ、『楯』の異名をとるグラディス家の末姫の話だ。
彼女がグラディス家の正当な血脈でないことは想像に難くない。
なぜなら、彼女は癖のない黒髪に琥珀色の瞳。さらに、この国の言葉を話しているのにどこの国でもない訛りがある。
現当主は何も話さないが、グラディス家の少し癖がある赤茶髪に緑色の瞳という外見的資質を一つも継いでいないことから、巷では養女ではないかと言われている。
しかし、グラディス家当主にはすでに二男三女を奥方との間にもうけている。養女をむかえるには少しばかり難があるように思われるのだ。名家とはいえ、財政的に裕福とは言えないからだ。
彼女が世に知られるようになったのは、騎士学校に最年少合格したところだろう。女性にも騎士学校の門戸が開かれるようになったのはここ最近のことではあるが、十二歳という齢で騎士学校に歩むものはまずもっていない。さらに、騎士学校に合格するためには実技もある。そこで武を示すために教官と試合うことが伝統となっている。防護の魔道障壁はあるが、それでも真剣での実技だ。むろん怪我も多い。
そこでの出来事をまずは話そうではないか。
「次、二〇一三番」
文官が次の受験者の番号を呼んだ。
「ここに!」
幼さが残る女の声が試験会場に響き渡る。
そして、そこに歩み出たのは長い黒髪を後ろで束ね、自分の身の丈よりも少し長いかと思われる曲刀とも直刀ともいえぬ(後にそれは「太刀」と呼ばれる)剣を携えた、少女だった。
試験会場に居合わせたすべての者が彼女を唖然として見つめた。
「おい、何であんな奴が受けているんだ?」
「……さすがに無理があるだろう」
そんな声がささやかれる中、試験が始まる。
相対する試験官は、騎士学校教官の中でも上位に位置する腕前の持ち主で、少女より頭二つ分は大きい。その体格差から周囲は「勝負あったな」と決めつけていたが、またそこで彼らは驚くことになる。後にその試験官は友人にこう漏らしたという。「戦場で出会いたくない化け物だよ」と。
「つっうぅ」
試験官が紙一重で大上段から振り下ろされた剣戟をかわす。その一撃を繰り出した少女は、軽々と身の丈以上もある得物をまるで生き物のように扱っている様に、周囲は驚嘆とも唖然ともとれぬ表情で、声すら出さずにみとれていた。
「試験官殿? これで終わりではありますまいな?」
少女はそう言いながら、振り下ろされた得物を優雅に構え直す。
試験官とて実践を幾度も潜り抜けた猛者だ。今までの打合いでも少女にみられたわずかな隙を狙い澄まし反撃してきたが、ことごとくその長い得物でいなされてしまっていた。言うなれば速い。取り回しが難しそうな得物を自在に操る技量に舌を巻いた
試験官は油断なく愛剣であるロングソードを正面に構え直しながら問うた。
「……貴君ときくのもおこがましいが、名を」
「アマレウス・グラディスであります」
「ならば、アマレウス嬢、この打合いをもって最後とする」
「結論をそう急がなくてもよいではありませんか」
少女はまだまだ足りないとばかりに小首をかしげる。
「無論。しかし、これは試験であって実戦ではない。貴君はすでに資格を有しておる」
そういうと、試験官はもう語ることはない、と一息に間合いを詰めた。
繰り出すのは打突。最速で、それまでの線ではなく点の攻撃。普段の実技試験ならば使わない奥の手。
未熟者であれば、それだけで命を落とすであろう一撃を少女は避けるでもなく、長大な得物を滑らすようにして横からその打突をさばききった。
試験官は打突の勢いのまま横へと体勢を崩す。戦場ならばここで勝負があっただろう。しかし、これは命を懸けない試合。そう少女が気を抜いたように見えた一瞬に試験官は全てを賭けた。
「はっ!」
伸ばしきった腕をもう一方の腕を使いながら強引に引き戻し、倒れこみそうになるのを片足で踏ん張り、そこを起点に横薙ぎにロングソードを両手でふるう。
強引な死に体からの奇襲。一矢報えるだろう、試験官はそう思いながらどこかで、防がれることを望んでいた。
「試験官殿。申し訳ない」
そんな声が試験官には聞こえた気がした。と同時にロングソードは空を切った。
「なるほど、我が誉れも地に落ちるというものだな……」
試験官は自らの首下に添えられた白刃を見つめながら、嘆息した。
勝負は決した。文官の試験終了の声が試験会場に響き渡る。
互いの得物を鞘におさめ、儀礼を済ませた後、試験官は少女に声をかけた。
「アマレウス・グラディス、か。君はグラディス家と何か関係があるのか?」
「私の実家であります。試験官殿」
「そうであったか……君の父君にも匹敵しようかというその力、存分に磨くがよい。歓迎しよう、騎士学校にようこそ」
試験官の差し出した手を少女は握り返した。
その光景を見ていた同期入学を果たしていた見習い騎士の一人はこう語ったという。「この少女が試験官より強大に、そして、滑稽ではあるが少女が将軍のように見えた」と。