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短編

へらりと笑うトランペット

作者: 雨咲まどか

 失敗した、という自覚が脳内を支配し始めた頃には、曲は終わっていた。

 直ぐ目の前で起きているはずの拍手が、どこか遠くの音みたいに聞こえる。

 ステージの上には吹奏楽部員が三五人で、体育館の中は大勢の人で賑わっている。なのに、まるでひとりぼっちみたいだった。


 ほとんど放心状態のままステージから降りる。

 ああ、失敗した。あんなに練習したのに。

 トランペットを抱いて立ちすくむ私に、他の部員達が「お疲れ様」と声を掛けてくれた。私の言わなくちゃいけない「ごめんね」は、喉で引っかかって出てこない。


 今日は私達三年生にとっては最後の文化祭で、それと同時にみんなで演奏する最後の日だった。

 楽器を全て体育館から出すと、あちこちから泣き声が聞こえてきた。これで終わりなんて嫌だと、みんな泣いてる。

 私は泣き出しそうなのを堪えて上を向いた。透けるみたいな青空が、いっぱい広がっていた。


――失敗したのは、トランペットのソロだ。


 私達の学年にはトランペットが凄く上手い志田くんという人がいて、いつもその人がファーストでソロを吹いていた。けれど、今日の最後の曲にはセカンドにソロがあったから、私が吹くことになったのだ。高校から始めて三年間かけて、やっと手に入れた最初で最後のソロだった。

 最初の音が出無くって、どうにかしようと必死になるうちに、たった六小節の私のソロは終わっていた。

 この日のためにと精一杯練習してきたつもりが、全然努力が足りてなかったのだ。


 でもね、受験との両立もしながらさ、すっごく頑張ったんだよ。違うんだよ。私の三年間の頑張りは、あんなものじゃなかったんだ。

 けれど結果として残ったのは、大事なところで失敗した、万年二位って事実だけ。

 私は謝るべきなのだ。みんなに、失敗してごめんって。でも本当に、とっても頑張ったのに、謝らなきゃいけないの? 

 喉の奥の言葉は、空に吸い込まれたかのように声になる事はなかった。






「これから約束があるから」


 そう嘘をついて、私は部長の「一緒に文化祭回ろう?」という誘いを断った。吹奏楽部の人と一緒にいれる気分じゃ無かったから。

 部長の美雨はそっか、と小さく言って音楽室を後にする。


 片づけを終えた部員達は、各々文化祭を楽しむために出ていった。

 私はトランペットを窓際の机に置いて、窓の外を見つめる。すると視界の端に、人影がちらついた。私が三年間一度も勝てなかった、あの志田くんだ。無駄なライバル心を燃やしてか、私は今までこの人と曲の事以外でろくに話した事は無い。


「なんでまだ居るの?」


 一度くらい話しておこうかなあ、なんて気になって、目線だけ向けて問いかけると、志田くんはへらりと笑う。


「さあ」


 私はそっとため息一つ。


「……一緒に回ってくれる人が居ないとか?」


 志田くんはまた、へらり。


「さあねー」


 いつのまにやら私の横に並んだ志田くんは笑顔のまま、まねっこよろしく空を見上げた。

 私は背筋を伸ばして胸を張って大きくお腹で息を吸って、両手をメガホン代わりに叫ぶ。


「畜生―――――っ」


 力一杯声を出して肩で息をしながら志田くんの様子を窺うと、彼は愉快そうに笑っていた。

 開けはなった窓から冷たい風が入ってきてカーテンがなびく。

 悔しくてたまらなかったのに、志田くんの緩んだ頬を見ていると、どうでも良くなってきた。

 力が抜けて、近くにあった椅子に腰掛ける。


「…………なんでさぁ、そんなにへらへらしてるの?」


 そういえば、普段の練習の時もだった。彼は一人でへらへらして、先輩に怒られた時だって五分後にはへらりと笑ってた。


「楽しいからだよ」


 私が少し目を見張ると、視線が合った。志田くんは穏やかに続ける。


「へらへらしたら楽しくて、楽しいからへらへらする。――単純な事だろ」


 彼はいたずらっぽく、綺麗に笑った。

 そうだろうか。私には単純には思えなかった。

 けど志田くんがあんまり当たり前みたいに言いのけるから、なんの反論も出来ずにいた。


 吹く風が私の髪の毛を揺らして、ああ、秋が来たんだと思った。机の上の寂しそうなトランペットを、これから当分吹かないんだなと考えると、涙がせり上げてきた。この涙は、悔しいんじゃなくて悲しくて出たんだ。

 志田くんはふいに私に背を向ける。


「じゃあね」


 ひらひら手を振って、彼は音楽室から出て行った。

 私は志田くんが出ていったドアを眺める。

 すると少しして、クラスの友達の美沙と由希が顔を出した。


「おー、いたいた。探したんだよ」


「そうだよ、ケータイ鳴らしても出ないんだもん」


 二人は不満そうに口を尖らせる。

 私は慌てて目元を拭った。


「ごめんごめん、どうしたの?」


「文化祭、一緒に回ろうよ」


「あー、うん。ありがとう」


 トランペットを片づけようと立ち上がる。手に持った瞬間、彼女たちは言った。


「そうだ! 凄かったよ、吹奏楽部!」


「夏海トランペット上手いんだねー」


 夏海とは私のことだ。二人は感心したって表情だった。褒められるのは嬉しいけど、さっきの悔しい気持ちが戻ってきた。


「……ありがと。でも」


 言い訳をしようとすると、美沙が遮った。


「――ああ、本当はもっと上手いんでしょ? さっき志田くんが言ってたよ。夏海はもっと上手いんだって」


 由希が頷いて肯定する。私は口をぱくぱくさせた。

 どうして、そんなことを。どうして、私が言って欲しかった事を、君が言うんだ。ずっと嫉妬してきた志田くんが言ったんじゃ、素直に「ありがとう」を言えないじゃないか。


「ごめん、やっぱり一緒に回れないかも。あとでメールするから!」


 私はトランペットを胸に抱え込んで音楽室を飛び出した。美沙達が戸惑っている声がする。

 楽器を持って走っちゃいけませんって、顧問の先生に怒られたなあ。みつかりませんように。

 歩くのが遅いのか、それともわざとゆっくり歩いていたのか知らないけど、志田くんの後ろ姿が廊下の一番奥に見えた。


「ちょっとまって!」


 志田くんが振り返る。私は彼に駆け寄った。


「私、これからソロのとこ吹くから、観客になって。絶対完璧に吹いて見せるから、拍手して欲しいの」


 そう言ってへらりと笑う私に、志田くんは目を瞬かせる。

 ああ、ほんとだ。へらりと笑うと、なんだか愉快だ。

 廊下に光が差し込んでくる。胸の中のトランペットが、光った気がした。



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