泣き虫お姫様と優しい王子様
あるところに、泣いてばかりいるお姫様がいました。
もともと泣き虫だった幼いお姫様は、大好きだったお母上が亡くなると、あまりに深い悲しみに涙が止まらなくなってしまいました。お姫様を抱きしめてくれた温もりも、頭を撫でてくれる優しい手も、もうどこにもないのです。お姫様はまた、泣きました。
誰がどんな風に慰めても、お姫様は泣きやみませんでした。そんなお姫様の噂を聞きつけた人がいました。隣国の王子様でした。
優しい王子様はお姫様の噂を聞いてとても憐れみ、何とかしてあげられないだろうかとお姫様の国を訪ねたのでした。
けれど、王子様がどれだけ慰めても、お姫様の涙は止まりません。王子様は何度もお姫様の元に通いましたが、あの手この手で慰めても、お姫様は泣き続けました。王子様はほとほと困り果ててしまいます。諦めの気持ちも湧いてきました。けれどその度に、王子様は自身を奮い立たせるのです。
王子様は、何とかお姫様に笑って欲しいのです。こんな小さな女の子が泣き続けるのは見ている王子様の方が哀しくなります。それに、きっとこの女の子は笑った方が可愛いと思いました。
お母上を求めて泣き続けるお姫様に、王子様は名案を思いつきました。
「そうだ。僕があなたのお母上になろう」
お姫様はびっくりして涙が止まりました。
「王子様がお母さま…?」
「もちろん、本物のお母上には遠く及ばないだろうが、出来る限りあなたのお母上の代わりになろう。さあ、教えてくれ。こんなとき、あなたのお母上ならどうするのだ?」
お姫様は迷いながら口にしました。
「王子様、だっこ」
王子様はお姫様を抱きしめました。幼い頃に王子様のお母上がしてくれたように、できるだけ優しく包むように抱きしめました。
王子様の抱き締め方は、お姫様のお母上とよく似ていました。すると、お姫様はますますお母上が恋しくなって、今まで以上に声を上げて泣きました。びっくりした王子様が手を離そうとすれば、離さないで、と縋って抱きしめ方を細かく訴えました。ますますお母上の温もりによく似ていて、お姫様はやっぱり泣き声を上げました。
そうして、枯れるまで泣いたお姫様はようやく、笑顔を取り戻したのでした。
王子様はお姫様が再び笑えるようになったことを、とても喜びました。やっぱりこの女の子は笑っていた方が可愛い、と無性に嬉しくなりました。王子様はお姫様が可愛くて、それからも約束通りお姫様のお母上の代わりを務めました。王子様は隣国に訪れる度に、お姫様のお母上のように慈しみ、時には厳しく、そしていつだってお姫様を見守っていました。
「姫、一人で泣いてはいけないよ」
あるとき優しい王子様は言いました。お母上の事から立ち直っても、お姫様はやっぱり泣き虫でした。
「姫が哀しいときは、僕がすぐに駆け付ける。だから姫は、けして一人で泣いてはいけないよ」
一人で泣くと余計に寂しくなってしまうから、と王子様は実際にお姫様が悲しんでいると聞く度に隣国に来てくれました。
「わかったよ、王子様。王子様がきてくれるのを、姫はまっているよ」
お姫様もまた、約束通り王子様の訪れを待ちました。それでも我慢出来ずに泣いてしまう事は何度もありましたが、お姫様は出来るだけ我慢しました。
お姫様は王子様に、とてもよく懐いていました。
やがて、二人は年頃に成長し、お姫様は王子様を好きになってしまいました。お母上の代わりのように慕っていた王子様の優しさが、お姫様は何より嬉しいのです。そして、それは王子様も同じでした。素直に慕ってくれるお姫様を可愛いと思う気持ちから、いつしか愛しさを感じるようになっていました。
「わたくしは王子様に会えない日々も、いつも王子様を想ってこの胸を焦がしているのです」
泣き虫でお転婆だったお姫様は、いつしか美しい女性となりました。
「それは僕も同じだ。待っていてくれ、姫。時が来れば、あなたに僕の妻になっていただきたい」
王子様もまた、逞しい男性になっていました。二人は結婚の約束をしていました。お互いの国の王様からも認められ、あとは時が満ちるのを待つばかりでした。誰からも祝福される、素晴らしい結婚式を、二人とも待ち遠しく思っていました。
けれど、二人のその願いは残酷に引き裂かれてしまったのです。
王子様の国で、権力を欲した者による反乱が起きました。王様は反乱者に斃され、王子様もその身を追われました。噂を聞いたお姫様は、王子様の無事を祈り続けました。
そして、もたらされた報告は、王子様が崖から落ちて亡くなられたというものでした。その情報は、お姫様を絶望の淵へと突き落としたのです。
けれど、お姫様は泣きませんでした。その代わり、笑う事も無くなりました。表情を忘れてしまったように一日を呆然と過ごし、無理矢理口に運ばなければ食事を取ろうともしませんでした。まるで人形のようになってしまったお姫様は、その心が王子様と共に崖の下に落ちてしまったようでした。
すっかり心をなくしてしまったお姫様を心配した王様は、何とかお姫様を笑わせようと、国中に御触れを出しました。お姫様を笑わせた者には報奨を与えるというものでした。
我こそは、と城に集まる者達にお姫様は毎日のように会わされましたが、お姫様は変わらずどこも見ていない瞳で呆然としていました。どんな道化を演じても、どんな歌を歌っても、どんな特技を披露しても、お姫様はそれらに目を向ける事もありませんでした。
そんなある日、ローブで顔を隠した小汚い男がお姫様の元を訪れました。お姫様を笑わせようと陽気な者が集まる中、無口な男は一際異彩を放っていました。
男はあまりに醜いのだ、と言ってお姫様の前でもローブを脱ごうとはしませんでした。心を無くしたお姫様はそんな事を全く気にしません。男は安堵した様子で口を開きました。
「それではお姫様には、遠い国のお伽噺をお聞かせ致しましょう」
その声はひどく濁っていて、何とも醜い声でした。お姫様のそばに仕える女性達は、こんなに醜い声ならばなるほど容姿もさぞ醜いのだろう、と思いました。
そのときです。ずっと塞ぎこんでいたお姫様が立ち上がったのは。自発的にお姫様が動くのは、王子様の知らせを聞いて以来初めての事でした。
「お顔を見せてちょうだい」
「なりません。私はとても醜い容姿をしているのです」
お姫様が言葉を口にするのも、随分久しぶりでした。そんな事を知ってか知らずか、男はすぐに断りました。
「わたくしが良いと言っているのです」
「いいえ、繊細なお姫様が見ては、そのお心に傷を付けてしまいます」
ふと気が付けば、お姫様は涙を流していました。王子様の知らせを受けても、泣き虫だったお姫様が流さなかった涙です。
「わたくしには分かります。あなたは王子様です」
「恐れ多い事を。私はただの醜い旅人です」
お姫様は幼かった頃のように髪を振り乱して首を振り、男に訴えます。
「いいえ、あなたは王子様です。わたくしの涙がその証拠です。お約束の通り、あなたが来て下さるまで泣かなかったわたくしを、褒めてはくださらないのですか…?」
お姫様は声を上げて泣き始めました。困り果てた男は、戸惑いながらローブを脱ぎます。薄汚れて痛ましい姿でしたが、その姿は確かに王子様のものでした。
「命からがら逃げたものの、崖から落ち、声は潰れ………このまま姫に会う事は出来なかった。追っては止まず、怪我を治して隠れ潜んでいた。けれど、姫が泣く事も出来ずにいると聞いて、居ても立ってもいられなくなってしまった」
王子様の姿を見たお姫様は顔を上げると、にっこりと微笑みました。お姫様は、王子様が生きていてくれれば、それだけで良かったのです。
泣きながら笑顔で抱きついてきたお姫様を、王子様はかつてのように優しく抱きしめました。
時を置き、力を蓄えた王子様は、お姫様の国の協力も得て、見事反乱者達を討ち滅ぼしました。王子様は国を取り戻したのです。
王子様の帰還を、誰もが喜びました。王子様は国中の人々に愛されていたのです。
王子様は王様になりました。王様は、即位してすぐに一人のお妃様を迎えます。隣国の、美しいお姫様でした。
こうして、泣き虫お姫様と優しい王子様は、いつまでも幸せに暮らしましたとさ。
めでたし、めでたし。
読了ありがとうございます。
一度書いてみたかった童話風なので、本人は非常に満足です。