【短編】止まったままの時間
引きこもり生活を始めて、もう何年になるだろう。
自分にとって最後の記憶は高校を卒業して半年程だと思う、それまでは高校の友人と何度か連絡を取り合ったり外出してどこか遊びに行ったりしていた。行く場所は大体お決まりである、カラオケかゲーセンだ。
ショッピングは専らネットで済ませることが出来るのでわざわざ疲労してまで外出する必要はない、そう思えば今は何でもネットで買い物が出来るから本当に便利な世の中になったと思う。
出来る友人は自分と似た者ばかりだ。だから遊びに行く場所で揉めたりすることはない、適当に時間を潰すことが出来ればそれで良いのだ。そして友人も同じ考えだから本当に楽だ。
だけどそんな友人達も大学生活や仕事などで日々を追われ、だんだんと連絡を取り合う回数が減って来た。自分はあまり積極的に連絡をするタイプではないので、殆どメールなどのやり取りは相手への返信ばかり。だから友人から連絡がなければこちらから連絡することもない、結果的に音信不通になるというわけだ。
そういう態度を保っていたら面白いことにたったの半年で連絡が途絶えてしまった。
友人から連絡が途絶えたところで別に寂しくも悲しくもなかった、面倒臭い返信をしなくて済んだと心の何処かで安心している。もし他人との交流を持ちたくなったらパソコンを開けばそれでいい、ネットの向こうでは自分と同じような人間がゴマンといるのだから。
しかもこちらの方が一定の距離感を保っていれば、特に会う必要もないし、深い付き合いになるわけでもない。適当な会話を楽しみつつ、必要な時にだけ相手をしていればいいのだから。そして相手のことが鬱陶しくなったら切ればいい、ブロックでも何でも自由自在だ。
なんて効率が良くて、なんて都合が良くて、なんて便利な世の中なんだろう。
おかげでこうして自分の部屋に引きこもっていても寂しいなんて思ったことはただの一度もなかった、探せば自分と同じ境遇の人間がたくさんいる。今の自分と共感してくれる同じ引きこもりを探せば、深夜だろうが真っ昼間だろうが話し相手に事欠かない。
腹が空いた時に飯を食い、眠りたい時に寝て、起きてる間はずっと読書かネットサーフィンだ。
テレビでよくニートや引きこもりに関するテーマとして口論している番組を見かけるが、あれは実に不毛で無駄な話し合いだと笑いながら見ていた記憶がある。そんなことをしても自分達の考えや価値観が変わるはずもない、その者達の親がそう育てたのだから。
本当にどうにかしたいなら寝る場所を与えず、食べ物を与えず、外に放り出せば済むことだ。それをしないからニート達は付け上がる、親は下僕か奴隷だと信じて疑っていないのだから。
親が子を殺す、とまではいかなくても死んでもいい位の勢いと覚悟でニートとなった子供と向き合わなくては、いつまで経ってもただのイタチごっこにしかならないだろう。子供を突き放せないから、可哀想だから、放っておいたら死んでしまうかもしれないから。そういう下らない理由を並べ、親は結局ニートとなった子供に不必要な小遣いを与え、寝る場所を、食べ物を、自由を与えてしまう。
結局世にはびこるニートを許してしまっているのは社会だけではない、親が原因でもあるのだ。
そうやって自分みたいな人間がどんどん増えていく。何もニートは男ばかりだけじゃない、女の中にだっているだろう。よくお見合いだか面接だかで履歴書にある職歴という欄に「家事手伝い」と書く女がいるが、要するにそれは無職と同じだろう。しかし「無職」と書いたら世間的に恥ずかしいという、なけなしのプライドがある為にどうせロクにしてもいない家事を、さも主婦並だと言わんばかりの態度で堂々と書く女。
ニートとして堂々と宣言している自分達より性質が悪いではないか。そしてそういう女に限って男を選別する。高学歴、高収入、高身長、あわよくば器量の良い男を選びたがる。自分は仕事も家事もロクにしない金食い虫のクセに。そんな女が最も嫌いだ。ようするに自分は働きもせず、家事どころか包丁もロクに握ったこともなく、掃除も嫌い、洗濯も嫌い、近所付き合いも面倒、だけどブランド物のバッグやアクセサリーや服は欲しい。
だから男に寄生する気満々なのだ、本当に腐っている。家族以外を巻き込まない自分達の方がまだ可愛いかもしれない。
そう考えたら自分は実に謙虚だと言える。内に閉じ込もってしまえば社会に迷惑をかけることもない、ただひっそりと部屋に閉じ込もっていればその存在さえも忘れ去られ、居なかったことになる。自分はそれで良いと思っている、ネット上からも突然消えたって別に構わない。相手だって特に深く自分のことを構っているわけではないのだから。
親もきっと食事を部屋まで運ぶ度に、ドアを開けたら自分が死んでくれてたらいいのにと思っているかもしれない。そうすれば自分にかける金を浪費することもなくなるし、自分が部屋から出て家の中を歩き回ったとしても息苦しく感じることもない、厄介払い出来て万々歳と思っているかもしれないし、実際自分が親の立場だったら同じように両手を振って喜んでいることだろう。
自分で言うのも何だが、律儀に食事を毎日三食きっちりと部屋まで運んで来て、風呂まで沸かして、自分に小遣いを与え、月に一度自分の部屋を掃除してくれ、洗濯までしてくれる。一日中部屋の中でテレビもパソコンも付けっ放し、ゲームもし放題、光熱費だって馬鹿にならないはずだ。それでも自分の親は黙って自分を部屋に飼っている。
自分はそれを情けないと思ったことはない、一度だけ小説投稿や漫画投稿などを考えたりもしたが、すぐに飽きてやめてしまう。何にでも興味を示すクセに、すぐに飽きてしまうこの性格。だから自分みたいな人間は労働に向いていないのだと早くに見切りをつけた。
そんな生活を続けて、もう何年になるだろう。
恐らく高校を卒業してから相当月日が経っているはずだ、ずっと部屋の中に引きこもっていると曜日感覚だけではなく月日の感覚までも麻痺してしまう。自分の時間はニートとなった瞬間に止まったような感じだ。
ネット上でしか他人とのコミュニケーションをはかっていない、そもそもそれはコミュニケーションと言えるかどうか疑わしいのだが……。他者との接触、会話などで得られる様々な経験。そうしたものを直に体験しなくては人は成長を止めてしまう。
そう、自分の時間はもう何年も前に止まったままなのだ。
体だけはどんどん老けていくのに、頭の中は高校卒業した頃のまま――何ひとつ変わっちゃいない。
そしてこれからも変わることはないだろう。
自分は今後も親の脛をかじって生きるつもりでいるし、親に愛想を尽かされこのまま朽ち果てても構わないとさえ思っている。
そう、親が自分を見捨ててくれない限り――自分の時間は死ぬまで止まったままなのだ。
わざわざ拙作を読んで下さり、誠にありがとうございます。
この作品のジャンルですが、正直悩みました。他に当てはまるようなものがなかったので、少々異なるかもしれませんが一応「文学」とさせてもらいます。
ニートに関する意見や考えは様々だと思います。
これも自分の考えのひとつなので、これが正しいというわけではないと思います。この話を読んで何を感じたか、何を思ったか、あなたの意見を是非お聞きしたいと思っています。
改めまして、こんなぐだぐだな後書きまで読んで下さり本当にありがとうございました。